ある秋の午前、ぼくは砂浜の傍らを走る石畳の道を歩いていた。白いキャンバスの上に、黒く太い筆で曲線を幾重にも描いたような道だった。
石畳は、均等に切り分けられた大きな石のブロックと、小さな石ころ、そして砂を混ぜ合わせた、砂浜とよく似た色のセメントのようなもので敷き詰められていた。どこかイタリアのありふれた街道を思わせる道だった。
秋空は、手が届かないほど高いところにあった。淡い白色をした半透明の雲が、形も互いの位置も数ミリたりとも崩すことなく、風に流されていた。
ぼくは歩幅や靴音のリズムを気にしながら歩き、ときおり、それらを変えてみた。あたりは、さざ波とそよ風の音が混ざり合った音で満たされていた。それらはぼくの耳や頭の中を出入りし、心地よさに思わず目を閉じそうになると、すぐさま耐えがたい不快さがやってきた。
その音は耳の中で渦を巻き、あらゆる脈を伝って頭へと到達する。頭の中を満足するまで駆け巡ったあと、速度を緩め、心臓へとゆっくり下っていく。
その様子は、公園を取り囲む、ペンキが丁寧に塗られた太い針金の柵を、子どもが歩きながら指先でなぞっていく姿に似ていた。一時の暇を潰すような何気ない手つきで、音は首の中心を走る太い脈の壁面を撫でながら、着実にぼくの心臓へと下っていく。そして心臓のまわりを優しい足取りで歩いたあと、急激に速度を上げ、もう一方の耳から抜けていく。
そのあまりの起伏に、ぼくは参ってしまいそうになる。それでも、音が心臓のまわりを歩き始める頃には、いつも自分が海辺の石畳の道を歩いていることを思い出す。
左斜め前方に、小さな教会が見えた。ムスリムの影響を受けたかのような石造りのドーム型の屋根が載り、その頂点には、白い十字架がまっすぐに、どこか得意げに佇んでいた。
十字架といえば、普通はイエスを連想するものだ。つまり、ぼくはそれを男性的なものとして認識していた。けれど、その白く細い十字架には、どこか官能的で、女性的な魅力があった。淡いブルーの空と、均一な速さで流れていく雲を背景に佇む十字架は、うっとりするほど美しかった。ぼくは手繰り寄せられるように教会へ近づき、小ぶりな石のアーチを少し屈んでくぐり、その中へ入った。
天井が高いせいか、内部は外から想像していたよりもずっと広かった。壁は非常に厚い石で造られ、光の筋ひとつ通さない。教会の中は薄暗かったが、ところどころにあるステンドグラスが、外から差し込む太陽の光を色づけ、内部へと招き入れていた。そこには、神聖で、容易には踏み込めない空間が広がっていた。
ぼくは次第に呼吸がしづらくなっていくのを感じた。それは、教会もまた、外のさざ波やそよ風と同じように、優しさと暴力的な獰猛さを内に秘めているからなのだろうか。それとも、厚い石の壁が外の空気を遮り、いつからそこに留まっているのかもわからない、冷たく悲しい色をした空気が内部を満たしているからなのだろうか。ぼくにはわからなかった。
それでも、外にいるよりはいくらかましだった。
ぼくは大きな蝋燭や聖杯がちょこんと置かれた祭壇の脇まで歩き、冷たい床に寝転がって、まぶたを閉じた。
数分後、身体を起こしてあたりを見渡すと、ぼくはもう教会の中にはいなかった。
ぼくは、川辺に座っていた。
川幅は広く、岸辺の地面には、同じ種類の細長い緑の葉を持つ草がカーペットのように生い茂っていた。川の流れは速く、荒々しかった。それなのに、水は不思議なほど澄み切っていて、淡い半透明のブルーをしていた。
少し視線を上げると、向こう岸には果てしなく草原が広がっていた。その中に、大きな鏡がぽつんと置かれている。
鏡には、草の上に座っているぼくの姿が映っていた。
ぼくはその姿を見つめ、ほんの少し、口角を上げて笑った。

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