「じゃぁ、ルミナ。あとは頼んだわよ」
「わかっております、ディアナ様」
頭を下げる金髪のメイド服の少女に片手を上げると、動きやすい格好をしたローズピンクの髪を持つ少女が、バルコニーへと続くガラスの嵌め込まれた扉を開け放つ。
そして、バルコニーに出ると手すりを掴み、階下を覗き込み外に誰もいないことを確認する。
「よし! 今日も行きますか!」
少女は小さく気合を入れると、3階にあるバルコニーから、迷わずに身を乗り出す。
近くにある大樹の枝に着地すると慣れた様子で木を降りた。
そして、周りを気にしながら、裏門へと続く道へと歩き出す。最初は周りを警戒しながら歩いていたが、途中からは追っ手の心配がなくなったのか小さく鼻歌を奏でてスキップする。
裏門の近くに着くと、一度息を殺して外壁へと少女は背中を預けた。
門にはいつもの顔見知りの門番しかいない。
「よし、これで行けますね」
「そうですか、それでどこに行かれるのですか、お嬢様?」
少女しかいないはずの空間から返答が返ってきた。
少女がゆっくりと後ろを振り向くと、真っ黒な騎士服を身に纏った黒髪の少年が立っている。
「……ルクス、いつの間に。そして、私をお嬢様とは呼ばないでください! これで何度目ですか!」
「しかし、お嬢様はお嬢様なので」
ルクスと呼ばれた黒髪の少年がこてりと首を傾げる。その様子を見て、少女はフルフルと体を震わせた。
ポケットから一枚の紙とペンを取り出すと、何かの印を書き込み、ルクスに見せる。
「一度ならず、三度も! この回数確認表もあと1回ですよ。次にお嬢様と言ってみなさい、私の護衛はクビですからね」
「そうですか。しかし、ディアナ様」
ルクスはわざとらしく瞳を伏せて、自分が護衛をしなければならない少女――ディアナ・リベルに言い聞かせるように話しかける。
「私の雇い主はディアナ様ではなく、旦那様です。貴方様には私をクビにできる権利はないのですよ」
「……知っていますよ! でも、なんで私の護衛を解雇する権利が私にはないのですか!」
「それは、お嬢様の自由を求める逃亡劇が原因ですね。私が着任するまで、随分と護衛を撒いて解雇に追いやられたそうで」
ルクスの返しにディアナは一瞬言葉に詰まる。
「そもそも、私は戦えます! 幼少期に嗜みとして剣術を習っていましたし、今でも稽古をしています。護衛なんて必要ないんですよ」
「それをお決めになるのは旦那様です」
ルクスは小さく笑う。それを見て、ディアナの瞳が吊り上がった。
「そうです、閃きました! 私がお金を稼いで貴方の雇用権をお父様から買い取れば、貴方を解雇できるじゃないですか!」
「ぶっ……」
ディアナは名案を閃いたと目を輝かせながらルクスを得意げに見る。
ルクスは少し俯きながら、口元に手を当てている。体はプルプルと震えていた。
目尻にはキラリと光る雫が見える。
しばらく震えていたルクスは、堪えきれないとばかりに口から手を離し、お腹に手を当てながらしゃがみ込んだ。
「ちょっと、どうしました? お腹痛いんです?」
「まっ、待って……これ以上、笑わせないでください……くくっ」
「人の真剣な話を笑いました?」
「いや、本当に最高ですよ、おじょ……ディアナ様」
ルクスは、堪えるのをやめてそのまましばらく笑い続ける。
ディアナはその様子をキッと睨みつけながら、被っていたウィッグを外す。
無理やり押し込めていた白銀の髪が解放されたというように広がりながら落ちた。
「とりあえず、今日のお出かけはこれで中止ですね」
「別に私がついていくので街へ行っても構いませんが?」
「こんなにあからさまに護衛です! 騎士です! って格好してるのを連れ回せますかっ!私は平民として街を探索したいんです。ゆくゆくは働きたいとすら思っているんですから、余計な噂話は立てたくないんです」
ディアナは真剣な表情でルクスを見る。ルクスも笑うのをやめて立ち上がりながら、ディアナを見た。
見つめ合う2人の間を風が吹き抜けた。
「……公爵令嬢である貴方様が働きたい……ですか?」
「働くのに身分は関係ないですよっ! 私は私のやりたいことをして生きたいんです」
「ですが……」
「なんです? 貴族としての務めですか? 生憎私は女です。弟が家を継ぎます。そして、両親は恋愛結婚。さらに、我がリベル家は王家に匹敵するほどの力を残念ながら持っている。……政略結婚の道具にされる心配はないのですよ!」
得意げに話すディアナを見て、またルクスが笑う。
「本当にリベル家の方は面白い方ばかりですね」
「雇われ護衛が雇い主一家を笑うのはいかがなものかと思いますけど?」
「くくっ……。それは失礼しました」
「もう、街には行きませんので部屋に戻ります」
「お供しますよ、お嬢様」
「だから、お嬢様とは、呼ばないでください!」
ディアナはまたポケットから紙とペンを取り出すとお嬢様と呼ばれた回数を律儀にメモした。
それを見て声を出さずに後ろに控えながらルクスは笑う。
そこからはお互い無言で3階にあるディアナの部屋へと向かった。
◇
「ただいま、ルミナ」
「お帰りなさい、ディアナ様。……今日もダメでしたか」
ディアナの部屋で待機していたルミナはディアナの後ろに控えているルクスを見て、察したように主人を労った。
「ディアナ様を護衛するのが私の仕事ですので……」
「わかっています。だから、私はどちらの味方もできないのです。……ディアナ様、お茶にしますか?」
「うん……。ルミナのお茶で癒されたい」
「ふふっ、かしこまりました」
ルミナは嬉しそうに部屋に備え付けの簡易キッチンへと向かい、お茶の用意を始めた。
その様子を見ながら、ディアナはソファへと腰をかける。そして、扉の前に控えているルクスに声をかけた。
「私を見張るのが仕事なら、もう今日の仕事は終わりですよ。一緒にお茶にしましょう。ルミナも3人分用意してるでしょうし」
「そうですか、それではお言葉に甘えて」
ルクスは、扉の前からディアナの向かいのソファに腰を下ろした。どこか優雅で洗練されたその動きは只者ではないと感じさせる。
「お待たせしました」
少しすると、ポットと3組のティーセット、クッキーが置かれた皿を乗せたカートを押しながらルミナが戻ってきた。
そして、慣れた手つきで、ティータイムの準備をしていく。
クッキーの乗った皿をテーブルの中央に置くと、ポットからティーカップへ紅茶を注ぎ、ディアナ、ルクスの順に配膳していく。
最後のティーカップをルクスの横に置くと、ルミナもソファに座る。
それを確認してディアナはティーカップを持った。
アールグレイのいい香りが鼻腔を通り抜ける。香りを楽しんでから、まずは一口飲む。
自然と表情が綻んだ。
「相変わらず、ルミナのお茶は美味しいね」
「ありがとうございます」
ルミナも嬉しそうに笑った。その様子をルクスは微笑ましそうに見ていた。
建国より王政の続く豊かな国、パシフィクス王国。
貴族の中でも最上位に位置するリベル公爵家。
自由を愛する長女ディアナ・リベルと、そんな彼女を護衛するため、自由を阻む存在になるルクス・ディート。
そして、その2人の攻防戦を見守りつつも、ディアナの一番の味方で居ようと努める専属メイド、ルミナ・ミスリル。
自由に生きたいお嬢様と護衛の攻防戦は、こうしてルクスの勝ちで幕を下ろした。……なんてことにはならず、ディアナはお茶を飲みながら、明日の逃走劇について考えていた。
それが彼ら3人――いや、リベル家の日常である。

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