翌日。
昼頃に阿鬼を背負って、温羅がやってきた。
「傷のほうはどうだ」
「もう大丈夫そうなの。なんだか治りが早くて」
「なら良かった」
安堵の表情を浮かべつつ、座る。阿鬼は温羅自身の隣に座らせ、体を寄りかからせた。
「そういえば、死体はどうしたの」
屋敷の中も、外も隠が殺した人で休めたものじゃなかったはずだ。隠は綺麗だった部屋で寝かされたものの、他はそうはいくまい。
「全部、おきよさんが掃除して、俺と吉打で埋葬した。あんたは寝てたからわからなかっただろうが」
「そうなのね」
安心した。いくら敵だったとはいえ供養は必要だろう。
「俺たちは今日出発する予定なんだ。つまり今日でお別れだ。世話になった」
そういって阿鬼の肩を抱く。
「随分急なのね」
「あぁ。心配事はもうなくなったし、阿鬼を早く治したいんだ。あんたのおかげでだいぶ希望ができた」
陰陽師――道行が持っていた鬼の面。それが本物の鬼の角が使われた為に、移植をする角が手に入った。あとは、その移植のできる者を探せばいい。考えてみれば、己の大事な妻を治せる可能性が高くなったのだ。先を急ぎたくなるのも無理はない。
「返せるものがないのが心残りだが」
「構わないわ。ほしいものなんてないもの」
元々、見返りを求めてしたわけではなかった。そも、朧のしたいこと、己のしたいことをしたまでだ。
結果、温羅たちの助けになっただけだ。
「あんたたちには助けられてばかりだったな。また縁があったら、困り事でもなんでも協力させてくれ」
「そのときはお願いするわ」
温羅は深く頭を下げると、阿鬼を背負いなおし、部屋を後にした。
閉まり切った戸を、しばらく眺め続ける。
『いつかまた会えると良いな』
「そうね」
そのときは阿鬼とも話ができれば良いなと、隠は心の中で思った。
〇
「良い月じゃな」
隠の声で、話しかける。
相手は、階段に腰かけているおきよである。
「あら、こんばんは。傷は大丈夫なの」
「塞いだ。平気じゃよ」
傷のあった部分を手で撫でる。傷口はある程度塞がってきており、激しく動き回らなければ問題はなかった。
「隣どうぞ」
「どうも」
おきよの隣であぐらをかいて座る。
「もう何もないじゃろ」
「えぇ。何もないわね」
寂しげに笑みをこぼす。
空を見上げて、おきよは語った。
「昔、夫がいたの」
「人間か」
こくり、と頷く。
「あのときは、憎らしいというか悔しいというか……ただの狐だったから。他の高位な狐にお願いして、人になれる薬をもらったの。それで、薬を飲んで無理やり嫁入り」
懐かしむように、尻尾がゆるやかに動く。思い出を描いているようにも見えた。
「人でい続けられるかは五分五分。賭けだったわ。で、結論から言うと負けたわ。適合できなければ弱って死ぬだけ。それを避けるには狐に戻るしかない」
朧は何も言わない。ただ黙って続きを待った。
語りたいから語っているのだ、好きに語ってもらうのが一番である。
「死んでもいいと思ったの。あの人と結ばれないくらいなら死んだ方がいいって。でも、私の事情を知って、夫は無理やりに狐に戻したの」
朧は最初、人間が人でないと知って突き放したのだと思った。しかし、おきよの顔を見て、すぐに違うと知る。
なぜなら語っているおきよの表情は乙女のそれだったからだ。
「生きてりゃいいって。狐でも人でも構いやしないって。死ぬまで私と一緒にいてくれたの。この屋敷で」
おきよが屋敷へ振り返る。その動きにつられて、朧も目を向けた。
「あの人が死んでからだった。私が妖狐として、真っ当な人の姿をとれるようになったのは」
人でなくとも愛された嬉しさ。同じ姿でいられなかったことの悔しさ。おきよからはそのどちらも読み取れた。
「だから羨ましいのかもしれないわ。温羅と阿鬼も、あなたと隠も。そして報われてほしいと思ってる」
そっと頬を触れられる。
温かかった。生きている熱だった。
赤い瞳の中で、自分ではない姿が映る。
「温羅と阿鬼はともかく、あなたたちは危なっかしいわ」
視線をそらす。
完治させたとはいえ、大怪我を負ったのだ。しかも負わずに済んだ傷をである。
大丈夫などとは口が裂けても言えない。
「ねえ、ここで暮らさない? 旅をしているよりもきっとずっと楽だと思うの」
「いや、それは……」
隠が寝ているから答えようがない。この体は朧のものではないのだから。
「あなたはどう思ってるのか聞かせて」
答えなかったからか、悩んでいるとみたらしい。おきよはこちらの顔を覗き込んできた。
「正直言うとな」
どうせ今結論を出さなければいけないわけではないだろう。隠には後で聞くとして、朧は自身の考えを言うことにした。
「ここに留まるつもりは毛ほどもない」
どうして、と。おきよの瞳が問いかけてくる。
「わしは長い間封印されていたゆえな。今ようやっと外を出歩けておるのよ。だというのに一か所に留まるのはもったいないと思っておる。まだ見てないものがたくさんある」
「身の危険を冒してまですることなの」
「微妙じゃな。わしの中では旅を続けるほうが魅力的なだけだ。隠は知らぬ。平和に過ごす方が好きかもな」
「隠がここにいたいと言ったら?」
「そのときはもちろん隠の意思を尊重する」
迷いなく答えた。朧の中でとっくの前から決まっていることだからだ。
人間の命は短い。朧は人間の何十倍も長いときを生きてきた。ゆえにその短い命の主導権は人間が握るべきだと考えている。
「おかしな人」
「なんじゃ」
「鬼ってもっと欲望に忠実なものだと思っていたから」
「欲望に忠実じゃよ。方向性が違うだけさ」
立てあがって空を見る。満天の星がきらめき、夜空を彩っていた。
「星だって赤やら青やら色が違うんじゃ。人だろうが妖だろうが違うものは違うさ。ほら、人の言葉で、なんといったか……」
「十人十色?」
「おう、それじゃ」
おきよは微笑んで頷いた。それから諦めたように息を吐く。
「えぇ、そうね。その通りだわ」
残念そうに呟く。しかし、その表情は実に満足げではあった。
〇
山を下る。
朝におきよから旅の道具を受け取った隠は、すぐに準備を済ませて屋敷を出た。
別れは実にあっさりしたもので、特筆すべきことは何もない。
少年は姿すら見かけなかった。会ったとしてどう言葉を交えればいいかわからないのだろう。これからどうするかも、隠には知る由もない。
ただ、少しでも彼が変われるのであれば、良いと思う。復讐をやめろとは思わない。だが、それにばかり縛られるというのはあまりにも悲しい生き方に思えたから。
『良かったのか、出てしまって。あそこで暮らせば一生困らないと思うぞ』
「困りはしないだろうけど、良いのかわからないわ」
『かといって旅に目的もないんじゃろ』
足を止める。
「あるわ」
『……へ?』
「あなたと旅をする。それで楽しむ。できれば、体を取り戻してもらって、祝い酒をする」
『それ、わしの目的にならんか』
強く首を振る。
「私たちの、にしましょう」
『……そうか』
朧の嬉しそうな声音に、隠は微笑む。
そして、振り返る。
本来であれば屋敷が見えるはずだが、見えなくなっていた。まるで幻のようだ。
だが、綺麗になった服も、ずっしりと重い荷袋も、幻ではないことを伝えてくれる。
前に向いて、隠は空を見る。
空には清々しい青が広がっていた。
この先には何が待っているのだろうか。それが、楽しみでしかなかった。
~完~

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