「……難しいね」
リアが呟く。
「うん」
エルも頷いた。
「でも、前よりはずっといいんじゃない?」
カイルが言った。
「少なくとも、あいつらはここで同じ授業を受けてる。喧嘩したって、最後は先生が止める。昔だったら、そもそも同じ場所にいられなかったかもしれないだろ」
「……そうだね」
リアが笑う。
「カイルって、たまにいいこと言うよね」
「たまにって何だよ」
「たまには、でしょ?」
「どっちも似たようなもんだろ」
三人で笑い合う。
エルも、少し遅れてその輪に加わった。
「あれ、ルシエルじゃない?」
リアが声を上げ、指を差す。
その先では、数人の学生に囲まれたルシエルが食事をしていた。
「……ほんとだ」
エルは思わず目を逸らす。
「話しかけないの?」
「えっ? なんで?」
そのとき、ルシエルがふとこちらへ視線を向けた。
一瞬だけ、目が合う。エルは反射的に視線を逸らした。けれどルシエルは、何も言わなかった。
ただ、何事もなかったように再び友人たちとの会話へ戻っていった。
「おい、早く食おうぜ」
「そうだね」
「うん」
やがて食事を終え、それぞれの授業へ戻っていった。
午後の魔法学では術式の構築について学んだ。リアは教師の問い掛けに何度も答え、カイルは別の教室へ向かい、エルはノートを取りながら黙々と授業を受けた。
放課後。エルは寮へ戻る前に、図書館へ立ち寄った。広大な本棚が並ぶ、静かな空間。
魔法史。魔物学。武学。錬金術。種族史。知らないことばかりだった。
エルは棚を眺めながら歩き、ふと一冊の本を手に取った。
『魔族史――魔王時代』
表紙を見た瞬間、指が止まった。
魔族。その二文字だけで、胸の奥がわずかに重くなる。知りたい。
自分の父親が何者だったのか。
魔王とは、何だったのか。
なぜ自分は生まれたのか。
ずっと心のどこかにあった疑問だった。
けれど――。エルは、本を閉じた。
「……まだ、いい」
今は知らなくてもいい。
今はただ、授業を受けて、友達と昼を食べて、明日のことを考えていたかった。
それだけでよかった。
「エル!」
図書館の入口から声がした。
振り返ると、リアが手を振っている。
「こんなところにいたんだ」
「リア……」
「もう寮に戻るんでしょ?」
「うん」
「じゃあ一緒に帰ろう」
「……うん」
エルは一瞬だけ迷った。けれど、素直に頷いた。
図書館を出る。
夕暮れの学術院には、まだ多くの学生が残っていた。訓練場からは剣の打ち合う音が聞こえる。中庭では誰かが魔法の練習をしている。食堂へ向かう学生たちが笑いながら廊下を歩いていく。
その中に、自分もいる。ただの学生として。
エルは歩きながら、ふと足を止めた。
「どうしたの?」
「……いや」
夕日に染まった校舎を見上げる。
ここへ来る前は、毎日がただ過ぎていくだけだった。自分が何のために生きているのかも分からない。ただ、生きていることそのものが間違いなのだと思っていた。
けれど、今は違う。
授業がある。明日も学校へ行く。リアと話す。カイルとも会う。魔法を学ぶ。知らないことを知る。
そんな当たり前の予定が、明日にもある。
「……明日も授業か」
「そうだよ。嫌なの?」
「ううん」
エルは小さく首を振った。
「……ちょっと、楽しみ」
口にしてから、自分でも少し驚いた。
リアが笑う。
「じゃあ早く帰ろう。明日に遅刻するよ」
「まだ夕方だよ」
「それでも!」
二人は再び歩き始める。エルは、その背中を追った。
――ここにいても、いいのかもしれない。
まだ、そう言い切ることはできない。
魔王の子である自分が、本当にこの場所にいていいのか。
その答えは、まだ分からない。
それでも今だけは。この場所で笑っていてもいい。
そんな気がした。

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