夜が明けた。
空は晴れていたが、雲が多く、雨を予感させた。
町に出ると、問屋街は昨日よりも活気づいていた。
戦の匂いなど、微塵も感じられない。
代わりに聞こえてくるのは、道行く人の声や秤の針の音。
商売人の客を引く声に、店から漂う出汁のいい匂いが鼻をくすぐる。
「ねぇ? 刹。なんか、戦が近づいているとは思えないよね?」
朔は街並みを歩きながら、きょろきょろと辺りを見ている。
「朔、あんまりきょろきょろすんな。どこで誰が見てるかわかんねぇんだからな」
朔は「うん」と頷くと、急に「あっ」と声を上げ、通りの先へ走っていった。
うどん屋の女将に教えてもらった『桐屋』という問屋を見つけたのだ。
問屋街の中でも、ひときわ大きく目立つ大店だった。
刹は棚に並ぶ商品を眺めながら、奥から出てきた店主らしき男と短く言葉を交わした。
「あの、すみません。うどん屋の女将から紹介されまして。手前どもは、薬を売って回っているのですが、こちらで買い取っては貰えませんか?」
「薬ですか? どのような薬でしょうか?」
「金創膏という傷によく効く薬なのですが」
そう言って、合わせ貝に入った薬を見せた。
店主は指に少し取り、匂いを嗅いだり、腕に塗ったりして確かめた。
「あの、不躾な事をお尋ねするのですが……」
「何でしょう?」
「常葉の『清瀬』という街にも、ここと同じ『桐屋』という店があるのですが、こちらと何か関係があるのですか?」
刹は昨晩からずっと気になっていたことを、店主に聞いてみた。
「あなた方は清瀬の桐屋をご存知で? それならば、店主の律はお達者でいらっしゃいますでしょうか!」
店主は急に声を荒らげ、興奮気味に尋ねた。
「あ、はい。律さんには、いつもお世話になっておりまして……」
店主の声に圧倒され、刹と朔は少し後ずさった。
「すみません。急に大きな声を出してしまって。私、元々律様の下で働いておりました蓮次と申します。大旦那様がこちらに店を構えると仰られた際、大旦那様に付いてきまして。そうですか、律様――お元気でいらっしゃいますか」
清瀬の桐屋の店主・律の話を聞き、蓮次は懐かしむように微笑んだ。
だが、すぐに我に返り、商売人の顔に戻る。
「あ、こちらの薬の買取でしたね。こちらなら……そうですね。ひとつ十文では如何ですか? 律様の交ということで、少し上乗せいたしましょう」
「ありがとうございます!」
二人は「やった!」と顔を見合わせた。
「あの、すみません。旅の方にこのようなお願いをするのは心苦しいのですが……」
「はい? なんでしょう?」
蓮次はひとつ咳払いをして、おずおずと頼み事をしてきた。
「もし、清瀬の桐屋へ行くことがあるのでしたら……。手紙を託けたいのですが……」
「あぁ、構いませんよ?」
刹が二つ返事で引き受けると、蓮次は「すぐに書きますっ!」と大慌てで店の奥へと引っ込んでいった。
しばらくして、嬉しそうに店の奥から出てきた蓮次は、二人に手紙を預けた。
朔は先ほど売った薬の代金を蓮次から受け取り、荷物の中にしまった。
「くれぐれも律様に宜しくお伝えくださいませ!」
蓮次から律への手紙を託され、二人は店を出た。
「なぁ、朔。蓮次さんて、見た目と何だか違うよな」
「うん。なんか、無骨そうな感じだけどね。律さんの話をする時はなんだか、人が違ったみたいに嬉しそうだったね。また、会えるかな?」
「清瀬に桐屋があるんだ。多分会えるんじゃね?」
先ほどの蓮次の話をしながら、二人は店を離れた。
桐屋を出てしばらく行くと、問屋街の喧噪も遠のいていった。
町から街道へ出るまでの道すがら、二人は沢山の店を見て回った。
中でも、町中に道場があることに驚いた。
とてもしっかりとした門構えで、庵の周辺ではまず見かけない佇まいだった。
「さすが『文武の国』と言うだけあって、全然ちがうね」と、朔も目を丸くした。
「破戒僧とかもいるんでしょ?」
朔が刹に聞くと、刹は少し笑って答えた。
「破戒僧はさすがにいねぇだろ? 僧兵はいるみたいだけどな。大体、破戒僧なんてどこで覚えたんだよ」
朔と町を見回しながらも、刹の顔は何処か浮かない。
しばらく歩くと、昨晩うどん屋で出くわした『あの女』がふらふらと歩いていた。
どうやら、この分かれ道から先は香町のようだ。
「あのお姉さん」
朔が嫌な顔をした。
「確か、影香とか言ったな」
刹は朔の腕を引き、影香に見つからないように道の反対側を行く。
影香は二人に気づく様子もなく、店先で店主と大声で話していた。
二人の耳には、その声が否応なく入ってくる。
「ちょっとー、最近弥一郎見かけた?あの人ほんと何処で何やってるんだろうね! あたしに何にも言わないでさっ」
「影香、知らないのかい? 弥一郎たちは、仕事でしばらくここを離れるって言ってたぜ?」
「はぁ? 聞いてないんだけど! そんな話!」
影香は店の主人に向かって、酔い任せに突っかかっている。
(仕事ねぇ?)
刹は昨夜の女将の話を思い出した。
刹達が通り過ぎようとした時、そばにいた年配の女二人の話し声が聞こえた。
「ほら、弥一郎って言えばあの遊び人のさ!」
「あー、あのちょっと言葉遣いが変な人でしょ? よくふらふらしてるわよね? ちゃんと仕事してるのかねぇ? この前もえらく酔っ払って、『俺は白岩忍組の殿じゃぁ! かかってこいやぁ!』とか猫に向かって、訳わかんないこと叫んでたわよ?」
「あぁ、あれね? ほんっと、怖いわよねぇ? 頭がおかしいのかしら? その後、若い二人組に両脇抱えられて、どこかへ連れて行かれたわよ? もの凄い剣幕だったわ!」
「城にとっ掴まったのかねぇ?」
それを聞いた刹の顔が、微かに反応した。
——白岩忍組。
(城仕えの忍びか。ばあさんが言ってたな。白岩には忍びがいるって。軍師は、病で臥せっている。うどん屋の女将はあちこち湯治場を巡っていると言っていた。弥一郎は、城仕え。町で酔って『白岩忍組の殿』と叫んでいた。そして、今現在、白岩にはいない……。ばあさんに報告だな)
刹は頭の中で今までの話をつなぎ合わせ、ひとり納得するように頷いた。
朔もその様子を見て、訳も分からず刹を真似て頷く。
「弥一郎! ほんと、どこいっちゃったのよぉ!」
ぎゃんぎゃんと喚きながら店主を叩く影香を尻目に、二人はそそくさとその場を立ち去った。

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