――懐かしい白岩の風。
常葉のように、緑生い茂る木々の薫る風はない。
(来ちまったな……。いつかは……とは、思ってたけど)
刹は思い切り空気を吸い込んだ。
全身で懐かしい風を感じる。
子供の頃と何ら変わらない。
だが、それが少し悲しくもあり、寂しくもあった。
城下街の門に着くと、目の前に街並みが一気に広がった。
「うわぁー! でっかい街だねぇ!」
「何とか日が暮れるまでに、街に入れたな」
朔は、街の大きさに目を輝かせている。
問屋。
呉服屋。
飲み屋。
屋台。
店が所狭しと並び、街は活気に満ちていた。
「ほら、朔。町巡りは後だ。とりあえず、宿を探さねぇとな」
「はぁいっ!」
幸いにも、大門から入ってすぐの所にいい宿が見つかり、そこに決めた。
「はぁー! 疲れたー!」
朔は部屋に上がるなり荷物を置き、足を畳に投げ出した。
草履の紐でこすれた足は赤くなり、長旅の辛さを物語っている。
刹も荷物を置き、畳に足を投げ出した。
「……さぁて。夕飯、どうすっかなぁ……」
窓の外に目を向けると、空は暗くなり始めていた。
腹をさすりながら、夕飯をどうするか考える。
庵とは違い、見える景色は山ではなく、家の屋根ばかり。
刹には若干、息の詰まるように思えた。
「なんか、軽いものがいいな。なんか疲れちゃったし。あ、うどんが食べたい! 最近、うどん食べてないし」
その後、朔の希望通りうどんを食べに行く事にした。
夕焼に染まる町は、未だ活気に溢れ、人で賑わっている。
宿からすぐ近くにうどん屋の看板を見つけ、手っ取り早くそこに入った。
店内では、うどん屋の女将が明かりに灯を入れて回っていた。
二人は『かけうどん』を注文し、うどんを運んできた女将さんに刹が尋ねる。
「すみません。俺たち、常葉から旅をして薬を売りに来たんですが、何処かいい買取り処があれば教えて貰えませんか?」
女将はしばし考えた後、「なら、この先を行った『桐屋』さんがいいわよ」と教えてくれた。
「桐屋?」
「刹、桐屋ってあの清瀬の町にある桐屋と、なんか関係あるのかなぁ?」
「そうだな。行ってみりゃわかるだろ?」
刹は、普段漁ったものを売りに行っている桐屋を思い出した。
(あそこは、ばあさんの昔なじみの店で、どんなガラクタでも買い取りをしてくれるけど。こっちの店も、買い取りしてくれっかなぁ……)
そんなことを考えていると、女将がうどんを持ってきた。
「はいよっ!」と、にこやかに渡してくれたうどんには、頼んでいない油揚げが入っていた。
「え? 油揚げ……、頼んでませんけど?」
刹が困惑し、女将に尋ねる。
「常葉から、こんな若い子が長旅してきたんだ。おまけ。しといてやるよっ」
女将はそう言うと、豪快に笑いながら下がっていった。
「あ、ありがとうございますっ!」
「よかったね! 刹!」
「そうだな」
機嫌よく二人でうどんを啜っていると、女の管を巻く声が、どこからともなく聞こえてきた。
店の端では、徳利を抱えた女がブツブツと文句を言っている。
(なんだあいつ。女版玄瑞だな)
刹は、女の酔っぱらう姿に、つい玄瑞を重ねてしまった。
(だらしなさ、酒好き)
「弥一郎が来ないとつまんないのよ。退屈で死んじゃいそうっ」
(ついでに男好き。やっぱり、女版玄瑞で決まりだな)
女の張り上げる声に、刹がちらりと机向こうに視線をやると、不運にも目が合ってしまった。
女は徳利を片手に、ふらふらと千鳥足で刹たちに近寄ってくる。
「ねぇ、あのお姉さん、こっち来るよ!」
「う……やべぇ」
朔の慌て様に、刹は「しまった」と、思わず顔を背ける。
女は刹の肩に手を回し、顔を近づけて徳利を机に置いた。
「今さ、あたしの弥一郎、戦の準備とかで来てくんないの。私をほったらかして、敵陣視察なんて。ねぇ、あんた。代わりに遊んでって言ったら……怒る?」
酒の臭いを漂わせながら、指先で刹の顎の線を軽くなぞり、耳元に軽く息を吹きかける。
刹の体は石のように固まり、微動だにできない。
「それとも、一杯付き合う?」
「あ、いえ……」
刹は女に酒を勧められるも、小声で静かに断った。
「ふふっ。あんた、いい面構えしてるじゃない。……良かったら、香街までおいでな。……まけといてやるから……さ」
女が刹に顔を寄せ、耳元で甘い言葉を囁く。
指先の香が移り、吐息にもわずかな甘さが混じる。
普段の玄瑞も十分酒臭いが、それとは違い、香の匂いも混じるせいか上品さが伺え、刹の体はますます硬直していった。
刹はどくりと心臓を波打たせながらも、必死に平静を装った。
朔も顔を真っ赤にしながら女の仕草から目を離せないでいたが、勢いよく朔は椅子から立ち上がった。
「や、やめろよっ! 刹には梓がいるんだからなっ!」
「おいっ! 朔っ!」
何を思ったのか、朔の口から梓の名前が飛び出した。
「き、昨日だって、一緒に寝てたんだからなっ!」
「朔ーっ! それ以上言うんじゃねぇっ!」
それを聞いた女は、「ぷっ」っと吹き出し、大笑いした。
「なぁんだ。あんた、もうすでにいい人がいるのかい。ざんねぇん」
女は「梓」という名前に、『刹の女』と勘違いをしたらしく、くすっと笑うと、代わりに朔へと興味の矛先を変えた。
机に身を乗り出し、朔の柔らかそうな頬をぷにぷにとつつきながら、おちょくり始める。
「じゃぁ、坊やに……と言いたいところだけど……。坊やはね、もうちょっと大きくなったら相手して、あ・げ・る」
「ば、ばかにすんな!」
「ふふ、かわいいねぇ」
「あははっ」と笑いながら、女は持ってきた徳利を手に取り、自分のいた場所へとふらふら戻って行った。
「ふぅ」と刹はひと息つく。
顔色ひとつ変えないように努めたが、耳だけがやけに熱い。
「刹ぅ……」
朔はどうしてよいのかわからず、オロオロとしている。
「朔。お前、昼間『忘れる努力する』っつったよなぁ」
「ごめん。つい。でも、撃退できてよかったよねっ!」
「そうだな……」
刹は不貞腐れて、頬杖を突く。
女将が「ごめんね」という仕草をしながら、小走りで近づいてきた。
「あの子、影香って言ってね。香街の娘だからさ。悪気はないんだけどね。最近、『弥一郎』っていう影香のいい人が来ないもんだから、ちょいとご機嫌斜めでね。弥一郎、城仕えしてるらしいからねぇ。何やら、赤坂と戦が始まるらしいじゃないか。その準備なのか、久しく顔を見てないねぇ? 影香もいい加減止めときゃいいのに。いつ、戦で命を落とすかもわからない男なんてさ。あ、香街ってのは『色街』のことね。お兄さんも遊んでいくかい?」
「ふふふ」と笑うと、女将は刹の肩を軽く叩いた。
刹は女将の言葉を聞き逃さなかった。
確かに「戦」と言った。
刹はこの機を逃すまいと、すかさず女将に問いただす。
「女将さん、近々赤坂と戦が始まるんですか?」
「あぁ、そうらしいよ? だけどね。白岩は、度重なる戦で勢力が落ちているらしくてね。どうなるんだか。あ、これは内緒だよ? 弥一郎が酔ってぼやいてたんだよ」
女将が急に声を落とし、刹に顔を寄せた。
「あとね、前に弥一郎から聞いた話なんだけどね? 白岩の軍師が病に臥せってるって話だ。湯治場を巡って城を不在にしているらしいけど、あまりよくなさそうだね。何やら、いい『薬師』を探しているらしいよ? そんな状態で戦を受けるなんざ、負けに行くようなもんだよ。あたしらはどうなるのかねぇ」
「そうなんですね。『薬師』ですか……。でもいいんですか? そんなによそ者にペラペラ話しても」
「よそ者だからいいんだよっ! 町の奴らに言ったって不安を煽るだけだからね。それに、こんな噂を広めたとあっちゃあ、あたしがとっ捕まっちまうよ。はー、あたしも胸の内に入れとくのが苦しくてね。あんたに話して胸のつかえが降りたよ」
「それはよかったです」
刹は軽く返事を返し、女将は話終わると何事もなかったように腰を叩きながらふんぞり返る。
「まぁ、お上のすることはあたしらにはわからないけどさ。戦なんてやめてほしいものだね。悪いことは言わない。用事が済んだら、巻き込まれる前に、さっさと国へお帰り」
「あ、はい。ありがとうございます」
刹が丁寧に礼を言うと、女将は「ごゆっくり」と一礼し、奥へ下がっていった。
「朔、聞いたか?」
「うん。なんか、凄い情報手に入れた気がする」
二人は残りのうどんを腹へ流し込むと、足早に宿へと帰った。
――その夜。
うどん屋から帰ると、部屋で二人は明日の事を話し合った。
「明日はまず問屋に行って薬を売る」
「うん。他に情報探す?」
「そうだな。店の人と話せば、なんかわかるだろ。うどん屋の女将ですら知ってたんだ。商売人は何かしら情報を掴んでいると思う。でも、逆に聞き回ったら怪しまれるだけだからな。用心しろよ」
「うん」
刹は言い終えると、板の間に敷かれた茣蓙へと寝転がった。
朔が荷物を整えながら、刹に話しかけてきた。
「刹。せっかく白岩に来たのに、故郷に行かなくてもいいの?」
朔の悪気のない気遣いに、刹はしばし目を伏せ、やるせない気持ちで息を吐いた。
「あのな、朔。俺は戦孤児だ。親もいねぇし、村とかもうねぇって。行っても仕方ねぇだろ」
そう言って朔を見ると、ものすごく不服そうに口を膨らませている。
「なんだよ……」
「僕……刹が生まれ育ったとこ、見たい」
「だから、なんでだよっ」
「だって、せっかく白岩まできたんだからさっ。もう来ることないかもしれないし……」
ごにょごにょといつまでも口ごもる朔に、刹はやれやれと天井を見上げた。
刹は、窓から入り込む月明りへと目を向けた。
燈明皿の灯が揺らめき、天井に映し出された明かりがやけに落ち着かなかった。
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