双子が赤坂へ旅立った日。
庵の外はもう陽が昇り始めていた。
いつもなら一番に起きているはずの刹が、珍しくまだ横になっていた。
頭に鈍い痛みが走る。
「……なんか、変な夢みたな」
梓の栗色の柔らかい髪が頬をかすめ、くすぐったい気がした。
こめかみの辺りを押さえながら起き上がると、すでに梓の姿はない。
自分の布団はきちんと部屋の隅に畳まれ、もぬけの殻。
ふと、刹が文机の上に目をやると、梓の字で書かれた小さな紙切れが――。
『いってらっしゃい、気をつけて』
刹はその紙切れを手に取り、暫し眺めながら不思議に思う。
(……? 俺、なんかしたっけ? 見送りもしてくれねぇのかよ。アイツらしくねぇな)
戸を開けると、朝の空気がひやりと頬を撫でる。
井戸端で水を汲んでいた朔がちらりと刹に目をやり、振り返りもせずに声をかけた。
「……遅かったね」
「妙に頭が痛くてな」
「へー」
「火弦と火緒はもう出たのか?」
「うん。さっき出発した」
「梓は?」
朔が、ビクっと身体を震わせる。
「梓は、朝一の薬草を摘みに行ったよ。まだ他の薬も作るんだって」
何故か目を合わせようとせず、よそよそしい朔の返事に刹は首を傾げた。
「ふぇ……」
くしゅんっ。くしゅんっ。
刹は急に鼻がむず痒くなり、クシャミを二回した。
「風邪?」
「いや? (誰か俺の悪い噂でもしてんのかなぁ?)」
その背後から、紅梅の怒声が飛んだ。
「おそーい! 出立の刻、とっくに過ぎとるわ!」
「うるさいなぁ、今行く!」
刹は手早く顔を洗った。
朔に、「飯は食ったのか?」と聞くと「もう皆とっくだよ」と、つっけんどんな答えが返ってきた。
刹は急いで残っていた雑炊を、飲むように腹に流し込む。
昨晩まとめておいた荷を背負い、草鞋を履くと、戸口を思い切り開けて急いで飛び出した。
「すまん! 遅れた!」
外では朔と紅梅が待っていた。
「何をしておったんじゃっ! おぬしともあろう者が……まったく。ほれ、持ってゆけ」
紅梅が旅賃を刹に渡した。
「よいか? 薬を売り、薬草を仕入れ、戦の情報を持って帰るのじゃ。くれぐれも、怪しまれぬようにな」
『いってきます!』
紅梅は双子の時と同様、旅の無事を祈り、二人が見えなくなるまで見送った。
庵を出ると、日はすでに少し高くなっていた。
刹と朔は、いつも行く団子屋とは違う道を行き、足早に北へと向かう。
暫く行くと、谷にかかる吊り橋が見えてきた。
「この吊り橋を渡ると、『雲井谷』を抜けて白岩街道に出る」
刹が吊り橋を見て説明した。
「なんでこっちなの? 赤坂領から白岩領に抜ける街道があるのに」
「街道は人が多すぎるからな。こっちは山道だけど、険しい分近道ができる。ほとんど人が通ることは無いし、気楽でいいだろ?」
「ふーん。吊り橋なのに、結構しっかりしてるんだね。荷車が通っても大丈夫そう」
それ以降、朔は一言も口を聞かなくなった。
(間がもたねぇ……)
普段あれだけよく喋る朔が、ほとんど口をきかないのはおかしい。
刹は、思い切って朔に話しかけてみた。
「なぁ、朔。俺、昨日なんかしたか? 梓もよそよそしいし。朝から顔も合わせず、紙切れ一枚残してやがった。お前もなんか変じゃね?」
朔は、しばらく黙ったまま歩き続ける。
そして「はぁ」と小さくため息をつき、立ち止まった。
くるりと刹の方を振り返ると、眉間にシワを寄せ、神妙な面持ちで話し始めた。
「あのさ、刹。昨日の晩。……梓と、何してたの?」
「……? は?」
刹は、ぽかんとする。
昨日のことを順に思い出す。
「昨日は……自分の部屋に帰って、本見返して、布団敷いて寝た。それだけだ」
「ほんとに?」
朔が念を押して聞くので、刹は素直に頷いた。
「じゃあ聞くけどさ、なんで梓が刹の布団で腕枕されて寝てたの? しかも、梓……着物、はだ……はだけてたしっ! 刹だって、着物が……」
朔の声が、今まで聞いたこともないような声で上擦った。
朝の光景を思い出したのか、朔は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
(ん? 今なんつった? 梓が俺の布団で寝てて、俺が梓を腕枕? 梓の着物がはだ……)
昨晩の事が頭の中を走馬灯のように駆け巡る。
夢だと思っていたことが、だんだんと鮮明に順を追って思い出されてゆく。
(確かに……。朝起きた時、いつも以上に衣が……)
刹の顔はみるみるうちに真っ赤になり、耳まで熱くなる。
断片的に昨日の事が脳裏に蘇り、思わず口を抑えた。
それでも、声が漏れ出てしまった。
「……ッ!?」
その様子を、行き過ぎる旅人が変な目で見ながら通り過ぎて行く。
「僕たち、刹があまりにも起きてこないから、部屋に様子を見に行ったんだ。そしたら二人で、ひと……ひとつの薄掛けを掛けて。寄り添ってさ……正直、ちょっと引いたよ」
朔は顔を背け、話す声もだんだんと小さくなっていった。
(あいつ……逃げたなっ!)
「朔、誤解のないように言っとくけどな、梓は恐ろしく寝相が悪いんだ! 一度隣で寝てみればわかる!」
刹は朔の肩を掴み、必死に弁明する。
朔は「はいはい」と相手にしない様に軽くあしらう。
「いや、本当に何にもなかったんだ。信じてくれっ! 朔っ!」
「僕に言われてもねぇ? 見たまんまだったし。本当の事なんかわからないでしょ?」
朔は悪気なく真実を言っているようだったが、刹にはそんなことは関係ない。
とにかく、「自分の沽券を取り戻さねばっ!」と必死に弁明した。
だが、弁明すればするほど、どんどん墓穴を掘っているようで、自分でももはや何を言っているのか分からなくなってきていた。
そして、そこで先程の朔の言葉が何気なしに引っかかる。
「あれ? えっ? ちょっと待て。朔、お前さっき、『僕たち』って言ってなかったか?」
「うん、言ったね」
「じゃ、じゃぁ、火緒と火弦も見たのか!?」
「……見てたね」
「…………」
「……二人とも、絶句してたよ。あ、でも火緒は喜んでたかな」
それを聞いて、後に双子にからかわれる様子が鮮明に脳裏に浮かぶ。
あまりの恥ずかしさに、顔を手で覆い首を垂れた。
刹は、もはや諦めた。
刹の背中に湧き出てくる、変な汗は止まらなかった。
しばらくその場に立ち尽くし、微動だにしない。
(終わった……。俺、終わった……)
「刹……?」
朔が心配そうに刹を覗き込んだ。
「せめて……」
「ん?」
「せめてお前だけでも……。ぐっ……、忘れてください……」
「うん。努力はしてみる」
刹はぽそりと呟き、朔は真面目に応えてくれた。
それからはとんとやる気も起きず、刹はとぼとぼと朔の後をついて歩いた。
そうこうしているうちに、あっという間に白岩街道の入口まできていた。
気付けば、陽も茜に染まりかけている。
人の姿も増え、空気が変わる。
白岩街道の入口に立つと、刹はふと足を止めた。
じっと道の先にある白岩の方を見つめる。
胸の奥が、きゅっと締めつけられるのを感じた。
「刹? どうしたの?」
朔は、心配そうに刹に尋ねてくる。
「いや、何でもない。行こう」
刹はすぐに気持ちを切り替え、白岩への道を歩き出した。
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