※本作品は、元がR18で制作しておりそれをカクヨム用にしてもらったものです。R18で読みたい方は、小説家になろうのミッドナイトノベルズ。もしくはpixivよりお読みください。
世界が終わってから、どれくらい経ったのだろう。
少なくとも、この道に転がっている車がまだ新車だった頃を知る人間は、もうほとんど生きていない。
道路は、干からびた蛇の抜け殻のように地平へ延びていた。アスファルトは網目状にひび割れ、その裂け目から伸びた雑草が、色褪せた白線を端から飲み込んでいる。路肩には乗り捨てられた車が点々と並び、塗装を失った車体は赤茶色の錆に覆われて、中身を食われた甲殻のように見えた。窓の抜けた運転席には、何かが巣を作った跡が残っている。
道沿いの建物は、どれも骨組みだけになっていた。壁も床も天井も、とうの昔に風と雨が持ち去ったらしい。折れた鉄骨の先にカーテンの切れ端が引っかかり、誰かの暮らしの名残が旗のようにはためいている。
その少し先では、錆びた看板が風に吹かれて軋んでいた。かつては何かを宣伝していたのだろうが、塗装は剥げ落ち、文字は半分ほど失われている。残った文字を眺めても、何を売っていたのか見当もつかなかった。
そんな看板の下で、シカの頭をした生き物が、道端に転がる人間の死体を食べていた。
乾いたアスファルトには黒ずんだ染みが広がり、その周囲を羽虫が飛び回っている。シカ頭は長い首を折り曲げ、死体に鼻先を突っ込んでいた。湿った咀嚼音が、静まり返った朝の道によく響く。
時折、シカ頭はこちらを窺うように顔を上げた。口の周りは赤黒く汚れ、枝分かれした角には、食べ残しらしきものが引っかかっている。
「うわぁ。朝から食欲なくす光景」
女が一人、心底嫌そうに言った。
長い黒髪が、乾いた風に吹かれて背中に流れる。細身の身体を包むのは、傷や擦れの目立つ黒いレザージャケットと、使い込まれた黒のバンドTシャツ。耳にはいくつものシルバーピアスが光り、鼻梁には薄いブルーグレーのレンズを嵌めた丸いサングラス。気だるげな立ち姿には、どこか人を食ったような余裕が漂っていた。
腰には刀を提げている。歩くたびに鞘が太腿を軽く叩いた。
クロウ・エリス・ブラックウッド。
彼女は死体から目を逸らし、隣を歩く相棒へ視線を移した。
「朝飯、あれでいい?」
「あれ食いたいの? 引くわー」
「いや、食いたいとは言ってないじゃん。食えるかって聞いてんの」
「食えるんじゃね? 知らんけど」
ジェス・ブルー・ウォーカーは、大きな欠伸をしながら答えた。
砂色がかった明るい金髪は、短い毛先があちこち跳ね、キャップの下から覗く前髪も好き勝手に散らばっている。着古したデニムジャケットの下には、腹の見える丈のノースリーブ。黒ずんだミニスカートの裾からは、使い込まれたショートブーツへと伸びる脚が覗いていた。
両腰には二丁の拳銃。片耳では、小さな宇宙飛行士のピアスが歩調に合わせて揺れている。落ち着きなく動く手と、悪戯を思いついた子供のような笑みが、彼女の人懐っこくも油断ならない雰囲気を際立たせていた。
ジェスはシカ頭を眺め、それから死体を眺め、最後にクロウを見た。
「でもさ、あいつが食ってんの人間っしょ?」
「そうだね」
「ってことは、あいつ人食いじゃーん」
「見りゃ分かるよ」
「じゃあ、あいつを食ったら人食いを食ったことになるわけ? 人食い食い?」
「……朝から何の話?」
「いや、倫理的にどうなのかなって」
「お前が倫理とか言うなよ」
「ひでぇー。あたしだって倫理くらいあるわ」
ジェスは胸を張った。
クロウはふと目を細め、相棒の顔をじっと見つめた。
「……あんた、ブラは?」
「ん?」
「してないでしょ」
「あぁ、壊れた」
「壊れた?」
「昨日、ホックがね。フックだったっけ? まあ、留めるとこ」
ジェスは両腕を胸元で交差させ、身を守るように抱え込んだ。だがその表情は、悪戯っぽく笑っている。
「昨日クロウがあんな乱暴にするからじゃん。欲望で殴るみたいにさ」
「へぇ。昨日、私がねぇ」
「もうちょっと優しくしてくれてもよかったんじゃない?」
「その服、斬り裂いて上裸不可避にしてあげようか?」
クロウは腰の刀に手をかけ、鞘ごと少し持ち上げた。鍔が、チキッ、と小さな音を立てる。
「上裸と一緒に歩きたいの?」
「それは嫌だ」
「じゃあ黙ってろよ」
二人は笑った。
シカ頭はその間にも食事を続けていた。どうやら人間の倫理観など、彼女たち以上にどうでもいいらしい。
クロウはポケットを探り、潰れかけたタバコの箱を取り出した。軽く振ると、中で乾いた音がする。覗き込めば、残りは二本。一本はフィルターが曲がっていた。
彼女はしばらく箱を眺め、舌打ちした。
「最悪。もう二本しかない」
「昨日、吸う時にも言ってたな、それ」
「昨日は昨日。今日は今日」
「じゃあ、今吸えば一本になるね」
「お前、天才?」
「だろ?」
意味不明な掛け合いに、二人は軽く笑った。
クロウは曲がった方を抜き取り、残った一本を箱に戻して大事そうにポケットの奥へ押し込んだ。
咥えて、火を点ける。ライターの炎は風に煽られ、一度で消えた。
二度目も消えた。背を丸めて片手で風を遮り、三度目。ようやく小さな火がタバコの先に移り、クロウは深く息を吸い込んだ。
乾いた喉に、煙が染みる。
――うまい。
腹は減っているし、昨夜からまともに眠れていない。身体のあちこちは軋み、靴の中には小石が入り込んで、さっきから踵を責めている。それでも、タバコ一本で少しだけ機嫌が戻った。
「美味そうに吸うねぇー。一本ちょうだい」
「もうない」
「さっき残り二本って言ってたじゃん。じゃあ一口」
「ない」
「いや、今吸ってんじゃん」
「これは私の」
「ケチ」
「お前昨日、勝手に吸ったじゃん」
「吸ってない。味見しただけ」
「一本まるごと?」
「味の確認に時間がかかるタイプなんだよ。――ジェスちゃんグルメなのっ!」
最後はとびっきり可愛い声を意識した上に、ポーズまで決めた。
それを見たクロウは笑いながら煙を吐いた。白い筋は風に千切れ、あっという間に散っていく。
「やっば、あたし可愛過ぎ」
そう言ってジェスも笑った。
それで話は終わりだった。
この世界では、昨日のことをいつまでも根に持っていると疲れる。今日になれば、昨日とは別のろくでもないことが起きるのだから。
彼女たちは、それを身をもって知っていた。
*

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