魔王城。その最奥にある大広間は、まるで嵐が通り過ぎた後のように荒れ果てていた。
石造りの床には無数の亀裂が走り、壁には大きな爪痕が残っている。
そして……その中央。
一人の男が、血まみれの身体を引きずるようにして立っていた。
立っている、というより、倒れることだけを拒んでいるような姿だった。
足元は何度もふらつき、そのたびに身体が崩れかける。それでもカヅチは、奥にいる魔王から目を逸らさなかった。
転生勇者、カヅチ。
右腕は折れ、勇者の鎧はところどころ砕けている。
息をするだけでも胸が痛い。だが、それ以上に痛かったのは……
「はぁ、はぁ、……みんな……」
カヅチは、ゆっくりと周囲を見渡した。
長い旅を共にしてきた仲間たち。
剣士も、魔法使いも、賢者も、誰一人として立っている者はいなかった。
死体だけが、静まり返った大広間に転がっている。
「くっ……」
悔しさに歯を食いしばる。
ここまで来た。何度も死にかけた。何度も諦めそうになった。
それでも仲間たちと共に進み続け、ついに魔王のところまで辿り着いた。なのに……。
「……嘘だろ……こんなに遠いのかよ…」
カヅチは震える足で、目の前に立つほぼ無傷の存在を見上げた。
身長は二メートル近い。銀色の三つ編みツインテールの長髪。その頭から伸びる二本の角。
そして、細身の美女を想像していた者なら思わず二度見するほど、鍛え抜かれた肉体。
その肩には、彼女の体格に似合った巨大な斧が担がれていた。
魔王。ル・セポネ。
ただそこに立っているだけなのに、大広間そのものが彼女を中心に支配されているようだった。
カヅチは、自分がこれまで倒してきたどんな魔物とも違う、その圧倒的な存在感を肌で感じていた。
彼女はそんな恐ろしい姿とは裏腹に、穏やかな笑みを浮かべていた。
「ふふ……くやしそうじゃな…勇者よ!ただ死ぬのでは可哀想だから、せっかくじゃ、ここまで来た褒美をやろう。何がいい?」
ル・セポネはカヅチを見下ろす。その声は優しかった。
(ふふふ……可愛い顔をしおって♡どうせ妾に“殺せっ”と言うのだろ?お前たちは気高いからな。最後まで勇者としての誇りを……)
ル・セポネは心の中で微笑む。
カヅチは無言で魔王ル・セポネを見る。
そんなカヅチを見てル・セポネが首を傾げる。
そして次の瞬間、カヅチは勢いよく地面に額を叩きつけた。
「調子こいてすいませんでしたぁぁぁ!!」
その瞬間、大広間に響いたのは勇者の最期の言葉ではなく、全力の命乞いだった。
「…………はぁ?」
「俺!生きたいです!!どうか、殺さないでください!!」
「……いや…プライド…勇者としてのプライドは?」
「ありませんっ!俺、何でもしますからっ!!」
さらに額を床にぐりぐりと擦りつける。
「靴でも何でもどこでも舐めます!!二時間舐めさせられても文句言いません!!」
ル・セポネの笑顔が固まった。
数秒。静寂。そして……
「……ぷっ、ぷ、ぷははははははっ!!」
突然、ル・セポネが腹を抱えて笑い出した。
「命乞いだと!?お主、面白いな!」
「え?魔王が笑った?」
「ここまで来た勇者が、まさかそこまで潔く命乞いするとは思わなかったぞ!」
「いや、だって、俺、死にたくないんで……」
格好悪くてもいい。笑われてもいい。
仲間たちのように戦って死ぬことが、正しいとは限らない。少なくともカヅチは、今この瞬間、生きることを諦めたくなかった。
「ふふ……お主、なんか気に入った。殺すのが勿体無い気がする…。よし、お主は今日からこの城の掃除係じゃな」
ル・セポネは巨大な斧を肩に担ぎ直した。
「……はい?」
「この城は広いのだ。あいつら魔物どもは汚すばかりで、掃除をせん」
「そ……掃除?ですか?」
「そう。廊下も部屋も食堂も、ダンジョンもだ!妾はこう見えて綺麗好きなのだ!」
ル・セポネはニッと笑った。
「何でもするって言ったよな!お主ならできるだろ?」
「はいっ!もちろんです!!俺は!塵一つ許しませんっ!」
返事だけは早かった。
「あぁ、それと……能力も付けてやるか」
ル・セポネが片手を掲げる。黒い魔力が渦を巻き、カヅチの身体へ流れ込んでいく。
「妾の力を少し分けてやる」
「えっ……魔王の力…?」
「お主が望むものを何でも箒に作り替える力だ。素材でも武器でも防具にでも好きに使え。面白いのが出来たらまた、“妾に挑戦”してもいいぞ!」
カヅチの目が輝いた。勇者として再び戦える。
そんな期待が一瞬だけ胸をよぎった。だが……。
「……じゃあ…… これを使いやすい箒に変えます」
カヅチは鼻血を拭きながら、床に転がっていた自分の聖剣を拾い上げ笑った。
かつて世界を救うために握った剣。
それを今度は、誰かを倒すためではなく、何かを綺麗にするために使う。
「……お主…もう戦う気ゼロかよ…」
ル・セポネは、初めて勇者の将来について不安を覚えた。
◇◇◇
そして三ヶ月後。魔王城の一室➖➖
「ふぁぁぁ…… あれから三ヶ月かぁ……」
カヅチは一人、箒を手にしながら大きな欠伸をした。窓から差し込む朝日。
その部屋の磨き上げられた床は、鏡のように輝いている。
カヅチは箒を肩に担いだ。最初はただの箒だった。
だが、魔王から与えられた力を使い、柄を伸ばし、穂先を改良し、魔力を通し、今ではすっかり愛用の一本になっている。
「しっかし、魔王城って広すぎだろ……まだ行った事無いとこ多すぎ!」
「おう!新入り兄ちゃん!」
「ん?」
振り返ると、そこには大きな豚の魔獣がいた。
魔獣はカヅチの尻をポンと叩く。
「いつも綺麗にしてくれて、ありがとうな!」
「ああ……どういたしまして!」
カヅチは軽く手を上げて会釈した。
そして、ふと床を見る。ほんの少しだけ、埃が残っている。ほんの一粒。
普通なら、見なかったことにしても誰も気づかない程度の埃だった。
「……許せんなぁ…」
カヅチは箒を握り直し大きく伸びをする。
「んんんっ!よっしゃあ!今日も綺麗にするかぁ!!」
元勇者カヅチ。魔王を倒すことには失敗した。
だが……魔王城の清掃には、今日も一切の妥協をしない。
こうして、世界最強の清掃員を目指す男の生活が始まった。
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