目が覚めると、部屋が明るかった。
どうやら少なくとも、夜ではないらしい。
下へ横へ。目を動かす。
おきよが、横で座っていた。隠を見て、垂れた耳を立てる。
「起きたのね」
「おきよ。今は、朝なの。それとも昼?」
「昼よ。あなた随分長い間寝ていたのよ。血を出し過ぎていたし、大変だったんだから」
「ごめんなさい」
体を起こそうとすると、おきよに止められた。
「傷は一応塞がってるけど、まだ動くのはやめてね。少なくとも一週間は安静にしないと」
「……わかった」
「食事持ってくるわ。待ってて」
おきよは腰を上げ、そそくさ部屋を出ていく。足音が遠ざかっていくのを確認してから、深くため息を吐いた。
「朧」
声をかける。
先ほどおきよが座していたところに霧が集まり、童子の形になる。朧が隠を睥睨していた。
「怒ってる?」
「どう思う」
明らかに怒気をはらんだ声で聞き返される。隠は俯いた。
「すごい、怒ってる」
「たわけが」
声が、聞いたことがないくらいに低い。少し、こわいと思ってしまうくらいに。
「刺さりどころが悪ければ死んでおったわ」
「えぇ」
「死んでもいいと……思っておっただろ」
「えぇ」
舌打ちが聞こえた。
「どうしてあんなことをした」
深く眉間に皺が寄るのを見て、目を反らす。代わりに天井を見た。
朧に睨まれると、気が滅入りそうだった。
「私は戦ばかりしてたわ」
「知っとる」
「だから、私に何もかも奪われた人がいないわけじゃないわ。きっと、大事な人を殺されて、私を憎んでる人もいる」
以前戦った剣士を思い出す。無念のその、集合体。
「ほら、誰も殺していない鬼が刺されるくらいなら、人を殺してきた人間が刺されるべきだと思わない?」
あの場で少年に刺されても良いのは自分だけだ。
死んでもいいのは自分だけだ。殺されていいのは自分だけだ。
なぜなら殺されるべき理由がはっきりしている。殺してきたから殺される。実に単純だ。
「誰かが死ななければならないときの言い訳じゃな。あのときは小僧を押さえつけるくらい造作もない」
ため息が聞こえる。きっと朧はあきれ果てているのだろう。
「それは、受け止めなきゃって思ったの」
思い返す。少年の姿を。
「夜のあの子は余裕がなくて、すごく苦しそうだった」
「追い詰められば誰だってそうなる」
「そう。追い詰められてたの、あの子」
「は?」
何言ってんだこいつ、と言いたげな声がした。
隠は続ける。
「独りだったんじゃないかしら。認めてくれる人が誰もいなくて、自分でどうにかするしかなくて。間違ってもわからなくて正せなくて……うまく言えないけど、凄く息苦しいんだと思ったの」
「お主が刺さされて、その詰まった息を吐き出させてやろう、か?」
「えっと、たぶん。でも、直感みたいなものよ。あなたみたいに細かく説明なんてできないわ」
「そうか。お主の道理はわかった。だがな、こっちも言わせてもらうぞ。こっちを見ろお主」
脅すかのように、朧が言う。顔を見ると、怒りを隠さず、隠を見下ろしている。こんなにも怒りをあらわにしている朧は、初めてだった。
「お主があやつを助ける義理なぞない。どう道理を立てようが、あの行いはみじめだぞ。無知のうちの善意は、おこがましいことこの上ない」
顔をそらす。
正しい行いだと信じていたわけではない。胸を張れるような立派なものではない。わかっている。しかし、それを改めて突き付けられて、どうして返していいかわからなくなった。
視界に何かが入ってきた。それが何かを確認する前に、ばちんと額に痛みが響く。
「いたっ」
朧に目を向けると、指を弾いたらしい手の形をしていた。朧は心底つまらなそうな顔をしている。
「次はこれで済むと思うな」
額を手でおさえる。指で叩かれた箇所が、少し熱かった。
「いいか、死ぬような真似は絶対するな」
「あなたも死ぬものね」
「黙れ、わしなぞどうでも良いわ」
「どうでもいいって」
「わしが気にする話でお主に押し付ける事情じゃないということだ。わしがお主に言いたいのはそんなしょーもないことではない」
なくはないでしょ。
そう言い返したくなったが、呑み込む。言っても仕方がないことが、わかっているから。
「無茶も無理も構わん。命は投げ出すな。約束をしろ」
「約束なんてしなくても」
「しろ」
有無を言わせず、朧が強制してくる。
普段はあっけらかんとしている朧だが、いつまで待っても笑わない。
眉を吊り上げ、唇をきつく結び、冷たい目線で向けてくる。
「許さんぞ」
ここまで来て、隠はやっと気づいた。
朧は本気で怒っているのだ。
怪我をしたことにではない。死にかけたことにでもない。隠が、己の命を差し出すような真似をしたことにである。
己の力を出し切った結果ではなく、命を捨てるような真似をしたことに、心底怒ってくれているのである。
人でないのに、鬼であるのに。
朧はずっと、真剣に隠のことを想ってくれていた。本気で、隠の身を案じてくれている。だからこそ怒っている。
「……わかったわ」
観念した。
朧は疲れたように息を吐き、微笑みを浮かべる。
「なら良い」
手を伸ばしてきて、頭を撫でられる。
温かくも冷たくもない。物のような手でだった。
「子ども扱いしないで」
「悪いな」
そういうわりにはちっとも悪びれない。
いつもの朧であった。
「さて、話は終わりだ」
朧が形を崩して霧になっていく。
霧になった朧が隠の中に戻りきったころ、ちょうどおきよが戻ってきた。
〇
痛い。
胸の辺りを握りしめる。あれからずっと、痛いままだ。部屋にいたまま、時間間隔が狂っている。
少なくとも二日は経っていた。
何もない。たまに狐の妖が訊ねてきて食事を置いていくだけだ。誰も責めない。
両手で肩を抱くようにする。
「僕は何がしたかったんだっけ」
親を鬼に殺された。どんなに助けを求めたか、どんなに神仏に祈って泣いたか、覚えていない。
誰も助けてくれなかった。自分が残っただけだった。
厄介者扱いされ、さまよっているうちに、あの妖刀を拾った。幼い自分でも難なく振るえる、理想の武器だ。
それで、妖を殺した。
妖を殺せば、金がもらえた。
人はみんな感謝してくれて、気分が良かった。
もっと殺せばみんな褒めてくれる。感謝してくれる。
なぜなら妖は、忌むべき存在だから。誰も存在を望んでいないから。
妖なら殺していいのだ。だって、自分から全てを奪った、憎き敵だ。
斬った。斬って奪った。妖の持つ財宝も、家族も、命も全部。
敵はいない。
男の言葉を思い出す。そうだ、敵なんていないときのほうが多かった。
抵抗のない者も関係なく斬った。妖は区別をつけずに切った。
それは、自分から何もかも奪った鬼と同じではないか。
そんな疑問がよぎる。
頭を必死に振る。違う、自分は正しいことをしたはずだ。財宝だって手に入れたんだ。
正しいことをしたのだから財が巡ってきた。それ以外に何がある。
「……あ」
財宝で思い出す。まだ終わっていないことに。
自分が、妖を殺すためにしたことに。
このままなら、ここにいる自分以外全員、死ぬだろう。
ざまあみろ……とは思えなくなっていた。しかしだからといって、どうすればいいかわからない。
「入るわよ」
戸が勝手に開けられる。
入ってきたのは狐の妖だ。夕飯を置きにきたのだろう。手にはお盆がある。
「ちゃんと食べてくれて嬉しいわ。何か好きなものがあればつくるから言ってね」
喉が固まる。
会話らしい会話はしたことがない。あったとしても頷くか首を振るかだ。
それでも狐の妖は話しかけてきた。
「そろそろ名前くらい知りたいのだけれど」
「なんで」
自分にしては恐ろしくか細い声だった。自分で驚いてしまう。
「僕は敵でしょ」
「刀は持っていない。温羅もあなたを殺さなかった。だからあなたをここにおいている。敵も何もないわ。あてがないなら、ここに住んだって構わないくらいよ」
衝撃的だった。
この間まで殺そうとしていた相手である。であるというのに生活を共にしようなどという気が知れない。
正気ではないのか、それとも妖ゆえなのか。
「戦わなくていいのが一番だもの。あなたもそうは思わない?」
沈黙で返す。
同意したのではない。逆でもない。
ただ、わからなかった。
戦いに関して、少なくとも悪感情は持っていなかった。
かといって好意的であるかと言えばそれもどうも違う。
「ま、ゆっくり考えなさいな。また来るわ」
夕食は置いて、おきよは立ち去る。
またひとりになると頭を抱えて、身を丸めた。
わからないことだらけであった。
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