10階層の迷宮。
チャリチャリと手の中で跳ねるネームタグ。
トルクは湿った土を踏みしめて歩く。
「……そろそろ上に戻るか」
腰のポーチへ突っ込む指先には硬いガラス瓶の感触。
商売道具である蘇生薬と聖水の数も心もとない。
反対側の袋には、邪魔にならない程度の鉱石が詰まっていた。
重みを確認し、小さく息を吐く。
なんとか明日の朝飯代くらいにはなりそうだ。
そのとき、脇の小部屋の中に倒れ伏す人影が目を引く。
人数は三人。
どれも男だ。
足を止め、入口の壁に背を預け息を潜めながら、中の様子をじっと観察する。
モンスターの気配はない。
突如、鼻腔を刺す強烈な刺激臭にトルクは咄嗟に手で口と鼻を塞いだ。
(この階層に毒を吐くモンスターはいない。ってことは……罠か)
部屋の奥へ視線を滑らせる。
そこにはポツンと置かれた木箱。
男の一人は、まさにその宝箱の真横で突っ伏していた。
(……見え見えの罠にかかりやがったか、ド素人が。こういうのは全滅を避ける為にまず開ける役が一人だけ行くのがセオリーだろうが)
心の中で毒づく。
懐から布切れを取り出し、口と鼻を覆った。
念のため肺の空気を吐き切り、息を止める。
部屋の中へ素早く踏み込んだ。
一番近い男の襟首を掴むと、そのままズルズルと入口の外へ引きずり出した。
二人目、三人目も同様に通路へ放り投げる。
三人の顔面は、どいつもこいつも青紫に変色していた。
「……ま、これも飯の種だ。助けてやるか……ん?」
腰のポーチへ手を突っ込む。
指先が探る革の底。
直後、思考が凍りついた。
(二人分しかない)
参ったな、と顔を顰める。
多人数を見つけた場合、全員を蘇生するのが鉄則だ。
一人だけ見捨てれば、起きた仲間と血を見るトラブルに発展する。
可能な限り全員救うのが、蘇生屋における暗黙の仁義。
どうしたものか。
頭を悩ませた、まさにその時だった。
「お困りですか?」
突如、背後からかかった声。
一切の気配もなく、距離が詰まっていた。
反射的に腰のスティレットへ手が伸びる。
だが、振り向きざまに刃を抜こうとした腕の力は、すぐさま抜けていく。
カンテラの光が、見慣れた奇妙なシルエットを暗闇から浮かび上がらせる。
「……お前か、ジジ」
「ホ・ホ・ホ、はい。本日も良い迷宮日和ですね、トルクさん」
(迷宮に日和もクソもあるか)
ため息とともに、柄から指を離した。
くぐもった、独特の気味悪い笑い声が土壁に反響する。
目の前に立つのは、何重にも布を巻きつけた怪人物。
体型すらぼやかすダボダボの衣服。
男か女か、それすらも判別を許さない。
布の隙間から覗く両目だけが、三日月のように細く歪んでいた。
その背には、自分の背丈より巨大なリュックサックが山の如くそびえ立つ。
「いきなり背後に立つんじゃねぇ、毎度心臓に悪いんだよお前は」
「申し訳ありません。お困りになるかと思いまして待っていましたので、ホ・ホ・ホ」
(こいつ、死体があるの知ってて待ち伏せてやがったな)
ギリッと奥歯を噛み鳴らす。
毒の罠に掛かった間抜けな三人の死体。
その処理でトルクの蘇生薬が足りなくなることまで、完全に計算済みだ。
薄暗い迷宮の底で蠢くのは、モンスターだけではない。
夢を追う冒険者。
死体を漁る蘇生屋。
そして、冒険者の生き血をすするようなこのジジという存在。
「さて、如何です?蘇生薬、聖水、カンテラの油、全て揃ってございますよ」
バサァッ。
大袈裟な動作で、ジジが分厚い上着を広げた。
裏地にビッシリと縫い付けられた無数のポケット。
大小様々なガラス瓶が触れ合い、チリンと硬質な音を立てる。
むせ返るような薬草の強い匂いが、カビ臭い空気をあっという間に上書きしていく。
迷宮商人、ジジ。
物資の枯渇が死に直結する迷宮において、救いの神。
と同時に、足元を見て骨の髄までしゃぶり尽くしてくる最悪の悪魔でもある。
「蘇生薬が足りないとお見受けしますね。トルクさんはお得意様ですので安くいたしますよ。銀貨一枚でいかがでしょう?」
「相変わらずのボッタクリが。地上の五割増し価格とか足元見過ぎじゃねえか」
「ホ・ホ・ホ。迷宮内価格ですよ。ここまで持ってきた私の苦労も汲んでくださいませ、結構重いんですよこれ?さて、いかがなさいますか?」
ジジの瞳が、ふたたび三日月の形に歪む。
完全にこちらの懐具合を見透かした、狡猾極まる目つきだ。
結局、首を縦に振るしかなかった。
「……蘇生薬一本だ」
忌々しげに腰のポーチを探る。
なけなしの銀貨を一枚つまみ出し、乱暴に突き出した。
「毎度ありがとうございます」
分厚い手袋越しの指が、するりと銀貨を奪い取る。
代わりに手渡されたのは、冷たい感触のガラス瓶。
チャリン、と商人の中へと消えていく銀貨の音が、トルクの鼓膜を虚しく揺らした。
「『いお・いお・あむらと 命よ戻れ』」
トルクが膝をつき、蘇生薬の液体を三人の死体へ乱暴に振りかける。
朗々と響く呪文の音。
薬品が淡く発光し、青ざめていた死体の肌に生気が巡り出した。
「ゴボッ……! ゲホッ、ゲホッ!」
どす黒い毒素が口から噴き出す。
勢いよく跳ね起きる三人。
「おう、ご愁傷様三人とも」
見慣れた光景に、トルクは気だるげに手を挙げた。
目を見開き、互いの顔を見合わせる男たち。
状況を察した瞬間、怒声が狭い通路に炸裂した。
「グライズてめぇ! 罠解除失敗しやがって!!」
「うるせぇよ!! 元はといえばあんな怪しいもんほっとこうって言ったのにジェインがやろうって言ったから……!」
「そもそもドミナがモンスターに追われて鉱石落としやがったから……!」
絶叫の嵐。
復活した途端に始まる見苦しいなすり付け合い。
冷え切った眼光を向けるトルク。
その隣では、怪しい笑みを浮かべたジジが胡散臭く佇む。
パンッ
「はいそこまで」
トルクが手を鳴らすと彼らの喧騒は止まった。
不毛な争いに付き合ってやる義理は無い。
「元気になった所悪いがそろそろ蘇生代金払ってくれ。ホレ」
突き出されるカサついた掌。
「……チッ」
苦々しく舌を鳴らし、グライズが懐から革袋を引きずり出した。
無造作に放たれた革袋が、低い音を立ててトルクの手に収まる。
(シケてやがるな……ま、あんなマヌケな死に方するレベルだからこんなもんか。
……はぁ、明日の朝飯は豪華に出来ると思ったのに)
掌に伝わる軽い手応えに、心の中で大きなため息が漏れた。
ジジにむしり取られた金貨の重みと、手元の革袋の寂しさを脳内で素早く計算。
熟練の手つきでコインを弾き、半数を自分のポケットへ滑り込ませる。
残りを革袋へ戻すと、グライズの胸元へ放り返した。
「ほい、毎度アリ。次からはもうちょっと用心するこったな」
膝を伸ばし、背を向けるトルク。
そこへ滑り込むように、ジジが三人の前に立ち塞がった。
「ホ・ホ・ホ、さて皆さま、無事に蘇った所で何かお困りはありませんか?
携帯食料、薬草、ポーション、カンテラの油等、迷宮探索の必需品各種全て取り揃えてございます。あと簡単な武器や防具の修繕修理も承っておりますが」
バサリと上着が広がる。
充満する強い薬草の匂い。
「うるせぇよ!! こっちは今ので素寒貧なんだ!」
「ホ・ホ・ホ、左様でございますか、それは残念」
眉一つ動かさず、ジジは優雅な動作で上着を閉じた。
その図々しさに呆れ果て、トルクは歩みを進める。
「では、またの機会に」
背後で響く、嫌み豊かな挨拶。
ジジは揉み手をしながら、トルクのすぐ後ろを擦り足で追ってきた。
刺さるような殺意。
背後からは、グライズたちの憎々しげな視線がじりじりと肌を焼いていた。
◇◇◇
迷宮の薄暗い通路を、トルクは淡々と歩く。
その背後を、シャリ……シャリ……と怪しい足取りで追ってくるジジ。
カンテラの頼りない灯りが、二人の影を土壁へ不気味に引き伸ばす。
冷たく湿った空気が肌を撫で、カビと血の混ざった匂いが鼻腔を突く。
不意に、トルクの耳がわずかな異音を捉えた。
カツッ、カツッ……。
自分たちの足音の隙間に混じる、極めて微小な響き。
意識を集中すれば、はっきりと聞き取れる。
後ろからついてくる足音は、正確に三人分。
(ド素人共が……足音隠す努力ぐらいしやがれ)
先ほど蘇生してやったばかりの、グライズたちの顔が頭に浮かぶ。
迷宮で収穫を得られなかった彼らは、追い剥ぎの道を選んだらしい。
安易で短絡的な思考に、胸の奥で重いため息が漏れる。
気配を完全に消しているジジも、おそらく背後の存在には気づいている。
(さて、どうしたものか……まずは向こうの出方を見るか)
そう腹を決めた直後、ちょうど目の前に分かれ道が姿を現した。
トルクは足を止め、振り返ることなく口を開く。
「じゃあ、俺はそろそろ上に戻る。今日はもう薬も無いんで仕事仕舞いだ」
「左様でございますか。私は暫くこの階層付近に滞在する予定ですので、御用の際には是非……」
「もうちょっと値段安くしてくれりゃな」
捨てゼリフを吐き捨て、右の道へと歩を進める。
ジジは何も言わず、反対側の左の道へとすり抜けるように消えていく。
トルクはそのまま十数メートルほど先へ進み、角を曲がった。
素早く反転し、ひんやりとした岩壁に背中をぴったりと預ける。
息を殺し、耳の神経を背後の通路へ集中させた。
ザッ、ザッ、ザッ……。
足音の塊が、迷いなく遠ざかっていく。
こちらへ向かってくる気配は一切ない。
狙いはトルクの進んだ右ではなく、大量の物資を背負ったジジの進む左。
グライズたちは、あの怪しい商人を獲物に選んだ様だ。
「……バカが」
闇の向こうを見つめながら、トルクは冷ややかに目を細めた。
◇◇◇
リュックの中の小瓶が、歩みに合わせてカチャカチャと乾いた金属音を鳴らす。
不意に足を止めるジジ。
くるりと首を回し、薄暗い暗闇へ振り返った。
「何か御用でしょうか?」
闇の中から現れる三つの影。
グライズたちは既にショートソードや手斧、ナイフを構え、ギラついた視線を飛ばしてくる。
「あぁ。ちょっと懐が寂しくてな。
人助けと思って有り金とその商品全部置いていけよ」
冷たい静寂が迷宮の空気を支配する。
次の瞬間、ジジはあっさりと背中の巨大なリュックを地面へ下ろした。
「わかりました。私も死にたくありません。トルクさんもいないようですので、ここはこれで勘弁して頂けませんか?」
両手を高く掲げる。
数歩後ろへ下がり、荷物から距離を置くジジ。
あまりのあっけなさに、顔を見合わせてニヤリと下劣な笑みを浮かべる男たち。
「へへっ、いいじゃねぇか。そうやって素直になるのが長生きの秘訣だぜ」
「はい、私もそう思います」
ジジの返事を聞きながら、グライズが獲物へ手を伸ばす。
リュックの上部を勢いよく開いた、まさにその瞬間。
カッ!
まばゆい閃光が爆発し、視界一面に白い光が焼き付いた。
「ぎゃっ!?」
視界を奪われ、思わず瞼を閉じる三人。
ドスッ!
不気味な着弾音が湿った壁に響く。
グライズの喉元へ深く突き刺さる小さな矢。
間髪入れず、横にいたジェインの右目にもまったく同じ矢が深く潜り込んだ。
「ぎゃああ!?」
右目を押さえ、血を撒き散らしながらのたうち回るジェイン。
その横で、グライズは悲鳴すら上げられずに膝から崩れ落ち、動かなくなった。
「な、て、てめ……」
残されたドミナが震える手でショートソードを構え直そうとした、その背後。
闇の中から突如伸びた角ばった掌が、がっしりと口を塞ぎ込む。
冷たいスティレットの刃が、喉の奥深くへ容赦なく深々と突き刺さった。
「げっぼ……」
悲鳴の代わりに重い血塊を噴き出し、倒れ伏すドミナ。
刃にこびりついた赤黒い液体を、振り払う動作ひとつ。
片目を血で染めてのたうち回るジェインを、トルクは冷ややかな眼光で見下ろしていた。
「ぎゃあああ!て、てめぇら……」
叫び声が迷宮へ響き渡る前に、勢いよく靴底が振り下ろされた。
グシュッ!
踏みつけられた足裏の圧力が、突き刺さった矢を頭蓋の奥深くへ一気に押し込む。
「叫ぶんじゃねぇ。モンスターが寄ってくるだろうがマヌケ」
脳をぶち抜かれたジェインは、二度とうめき声を上げることなく完全に沈黙した。
三人が完全に沈黙し、迷宮内は再び沈黙が流れ血の匂いが満ちた。
「ホ・ホ・ホ、助かりましたよトルクさん」
袖口から覗く小型のボウガン。
手首に巻かれたそれを手慣れた仕草で布の奥へ仕舞い込みながら、ジジが小さく頭を下げる。
そんな感謝の言葉を完無視で、足元に転がる不毛な死体へ冷ややかな視線を落とした。
「迷宮内で商人と蘇生屋に手を出すなって教わらなかったのかねぇ、こいつらは。
何の備えも無しに迷宮に潜るわけねぇってちょっと考えりゃわかる事だろうに」
「まぁまぁ、いつの時代にも愚者は尽きないのが世の常とも言いますし、お陰でこの小型ボウガンの性能もテスト出来ましたので私は助かりましたが……
ところで、この人たちいかがなさいますか?今なら助けて頂いたお礼に蘇生薬三本セットをサービスで銀貨二枚でお譲りしますが」
スティレットの刃を薄汚れた布切れで丁寧に拭う。
こびりついた赤黒い液体が拭き取られていくのを確かめつつ、三人の死体を黙って見つめた。
思考を巡らせること数秒。
シャキッと硬い音を立てて、凶器を腰の鞘へと押し戻す。
「やめとく。今日はもう金は使いたくねぇんだ。こいつらはまぁ……運が良けりゃ他の蘇生屋が助けるだろ。後は知らん」
「左様でございますか。では、またのご利用をお待ちしております」
こちらの判断を聞くや否や、あっさりと引き下がるジジ。
山のようなリュックを片手で軽々と背負い直す。
カチャカチャと小瓶の音を鳴らしながら、軽い足取りで闇の奥へと消えていった。
静まり返った通路に残されたのは、一人と物言わぬ三人の死体。
「……それにしてもまぁ、欲張って見え見えの罠に引っかかって一日に二回も死にやがるとはな。転職考えた方がいいぞ、お前ら」
盛大なため息とともに、重い靴底を返して歩き出す。
「生き返れたら、の話だがな」
今度こそ迷宮の出口へ向かい、足早に闇を蹴っていった。
『バカは死ななきゃ治らない』
容易に死が覆るこの世界では、その言葉はもはや死語になりつつあった。
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