迷宮20階層――そこは冒険者にとって、初級者と中級者を分かつ境界線。
冒険者チーム『シャープナー』。
20階越えを狙う、若手注目株の筆頭だ。
実力は本物、あとは経験だけ――ギルドの評価にはそう記されていた。
トルクに言わせれば、単なる言い換えに過ぎない。
「まだ一度も死んだ事がない」というだけの。
普段のトルクは、常に単独で迷宮を這い回る。
誰かに歩調を合わせる柄でもない。単身でやる方が、圧倒的に楽だ。
そんな男が今、シャープナーの背中を追っている。
理由は至極単純。
懐が完全に底を突いていた。
◇◇◇
薬草集めかドブ浚いか。
実入りの薄い依頼書をギルドの掲示板で睨んでいた矢先、声がかかった。
「もうそろそろ俺達も20階越えを目指してみようと思ってね。今回は保険の為にあんたに同行して欲しいんだ。前金で金貨3枚でどうだ?」
語りかけてきたのは、リーダーの赤髪の青年ジュリド。
背後には黒ローブの魔術師アリアと、大剣を背負った金髪の大男サガン。
3人とも、武具に修羅場の傷が刻まれている。
金欠の身に前金の打診は魅力的すぎるが、足元を見させるつもりはない。
この商売は一度舐められれば命取りだ。
「条件は2つ。前金で金貨5枚。それと、3人死んだ時点で撤退することだ」
「金貨5枚だぁ?ぼったくるんじゃねぇよ、オッサン」
ジュリドの背後から、サガンが低い声を唸らせながら威圧感たっぷりに歩み出る。
鋭い眼光が上空から突き刺さる。
(なるほど。自慢の図体で田舎じゃ負け知らずのクチか)
思考を冷ややかに走らせ、正面から視線を受け止めた。
「20階目指すならこっちも命賭けなきゃならねぇんだ。嫌なら他を当たれ」
「落ち着けって、サガン」
ジュリドが割り込み肩を叩くと、サガンは舌打ちして引き下がった。
「前金五枚は了解した。けど、3人死んだ時点で撤退というのはどういうことだ?」
「20階へ行く前に3回も死ぬようじゃ話にならねぇって事だ。
そこの嬢ちゃんは脱出魔法は使えるのか?
或いは誰か、脱出魔法の巻物を持ってる奴は?」
問いかけに対し、揃って頭を振る3人。
空間干渉系の術式は難易度が高く、巻物の市場価格も跳ね上がる。
「地上に戻るまでの往復を考えりゃ、3回が限界だ」
「……わかった。その条件でいい」
「チッ、足引っ張るんじゃねぇぞオッサン」
サガンは、明後日の方向を向いたまま吐き捨てた。
「努力はする。蘇生屋トルクだ。よろしく頼む」
こうしてトルクは、有望株と評判なパーティとともに薄暗い洞窟へ足を踏み入れることとなった。
◇◇◇
「アリア、上を頼む! サガン、いつも通りに前のデカい奴は任せた!」
「うん!」
「おう!」
ジュリドの怒号に応え、アリアが杖を突き出す。
放たれた火炎弾が、上空を舞う大蝙蝠の翼を焼き払う。
直後、けたたましい打撃音。
サガンが大剣をすくい上げ、大柄の小鬼を豪快にすっ飛ばした。
(なるほど、腕前はそれなりにあるということか)
トルクは半歩引き、三人から付かず離れずの位置をキープする。
死角を塞ぎ、後方を警戒しつつ繰り広げられる戦闘を見つめた。
ジュリドの指示出し、陣形の立て直し、個々の連動。
どれをとっても隙がない。
文句なしに手慣れている。
だが、その完璧さこそが重い嫌な予感を生む。
じっとりと不快な汗が、トルクの背筋を滑り落ちた。
「よし、ちゃっちゃと行こうぜ。まだ10階にも着いてねぇわけだしな」
血を払った大剣を背中へ戻すサガン。
安堵の吐息が漏れ、空気の緊張が急速に緩んでいく。
誰一人として気づかない。
アリアの真後ろ。
地面に転がっていた大蝙蝠の翼が、ぴくりと痙攣したのを。
グシャッ!!
迷宮の壁に響き渡る、生々しく肉が爆ぜる音。
驚愕に目を見張る三人。
振り返った視線の先には、足元を踏みつけるトルクの姿。
ぐちゃりと潰れた大蝙蝠の頭部から、完全に生命反応が消え失せる。
「一匹仕留め損ねてたぞ」
血で汚れた靴底を岩肌になすりつけ、三人へ冷ややかな視線を向けた。
「……うるせぇなぁ。大蝙蝠ぐらいで騒ぐことじゃねぇだろ」
サガンが両拳を握り、剣呑な目つきで威圧してくる。
「やめろって、サガン。助かったよ、ありがとう」
「あ、ありがとうございます」
ジュリドが横から手を出し、荒れる巨躯を制した。
アリアも胸に手を当て、ぺこりと深く頭を下げる。
舌打ちを吐き、そっぽを向くサガン。
それらの反応を見つめ、胸中の嫌な予感は完全に確信へと化す。
(こいつら……危ういな)
迷宮初心者の生還率は実際はそんなに低くはない。
浅い階層でなら、死んでも運が良ければ蘇生屋に拾われる。
だがこの階層まで来て死ねば、その運すら期待できない。
一番タチが悪いのは、初心の頃の怯えを忘れた自称中級者だ。
実戦で真っ先に命を落とすのは弱者ではない。
恐怖を忘れた愚か者だ。
ジュリド達が歩を進める後ろでトルクは腰のポーチの中の触り慣れたビンの手触りを確かめる。
(3つで足りりゃあいいんだがな…)
◇◇◇
10階層へ足を踏み入れた瞬間。
冷ややかな湿気が、肌へとねっとりまとわりつく。
「よし、そろそろ気を引き締めよう。アリア、頼む」
「うん」
アリアが短く唱え、杖の先端を床へ軽く打ちつける。
トン、と硬い音が響いた。
杖から放たれた淡い光束が、波紋のように床や壁を這い回っていく。
(探知魔法か。ま、慎重なのに越したことは無いが……)
帰り道まで魔力が持つのか。
喉元まで出かかった小言を、かろうじて飲み込む。
百戦錬磨とは言わずとも、場数は踏んでいる筈の連中だ。
魔力のリソース配分くらいは、自分たちで計算していると信じたい。
「待って、向こうの角にモンスターの気配が2つある……」
通路を数歩進んだところで、アリアが探知魔法の手応えを口にした。
「こっちには……気付いてないみたい」
声を極限までひそめ、後ろの二人に目配せを送るアリア。
(よし、ならここはこのままやり過ごして……)
息を殺して通り過ぎる腹づもりだった。
だが、トルクの思考は無惨に打ち砕かれる。
「よし、チャンスだな。仲間呼ばれる前に片付けてやるぜ」
制止の暇など、微塵も与えない。
サガンは大剣の柄を掴むや、勢いよく前傾姿勢で飛び出していた。
「サガン!」
ジュリドの呼びかけも虚しく虚空へ消える。
弱り果てた溜め息とともに、ジュリドとアリアもその後を追った。
(前言撤回!! やっぱりこいつらリソース考えてねぇ!!)
脳内で苛立ちを爆発させつつ、トルクもスティレットの柄を握り直す。
石畳を蹴り、先行する3人の背中を猛追した。
「うおおおお!!」
鼓膜を揺さぶる豪快な雄叫び。
サガンが大剣を高々と掲げ、通路に佇む2匹の小鬼(グレムリン)へ突進する。
(叫ぶなバカ!! 不意打ちの意味がねぇだろ!!)
心の中の絶叫も届かない。
不意を突かれた小鬼どもが、ギョッとした顔でこちらを振り返る。
「ギュイイイッ!!」
案の定、小鬼が叫び仲間が通路の角から飛び出してきた。
敵が増えた。
トルクが心の中で何度目かの舌打ちをする。
「サガン、待って! そこの通路の床に罠が……」
アリアの切羽詰まった悲鳴。
しかし、駆けつけた小鬼の足が、事故か故意か、床の石板を押し込んでいた。
カチリ、と嫌な金属音が路地に鳴り渡る。
次の瞬間、小鬼の背後の岩壁が横へと滑り落ちた。
露出した投石器から、拳大の岩石が猛烈な速度で射出される。
岩は小鬼たちの頭上をすり抜けた。
サガンとジュリドの頬をすれすれで掠め去る。
一直線に飛来した岩石が、逃げ遅れたアリアの眉間を綺麗に穿った。
「あ”っ――」
鈍い打撃音。
凹んだ額から血を吹き出し、少女の体が糸の切れた人形のように倒れ込む。
床を叩く四肢が、小さく痙攣を繰り返した。
(チィッ!)
即座にアリアの背後へ滑り込み、手首の脈と呼吸を確かめる。
途絶えた体温。
すでに息絶えていた。
「アリアッ!!」
「今はそっちの敵に集中しろ!! 後で蘇らせる!!」
取り乱して駆け寄ろうとするジュリドを、一圧しの声で押し戻す。
ハッと我に返ったジュリドとサガンが、慌てて小鬼どもへ向き直った。
「この野郎ッ! てめぇらのせいで!!」
怒気で顔を真っ赤に染めたサガンが、狂暴に大剣を振り下ろす。
一撃で一匹の頭を粉砕。
返す刀で、もう一匹の胴体を斜めに真っ二つへと引き裂いた。
残りの一匹をジュリドが首を切り裂き仕留めた。
赤黒い肉片が飛び散り、戦闘の終わりを告げる。
二人は武器を放り出す勢いで、トルクと無機質な死体の元へ駆け寄ってきた。
「おいオッサン!」
「わかってる、周りにモンスターが寄ってこない様に見張ってろ」
淡々と告げ、慣れた手つきで遺体の前に膝をつく。
腰のポーチから引き抜いた蘇生薬を、潰れた額へ乱暴に振りかけた。
「『いお・いお・あむらと 命よ戻れ』」
立ち上る淡い光芒。
間もなく、途絶えていた呼吸が劇的に吐き出され、アリアが上体を起こした。
「もう、サガン! 貴方って昔からいっつも人の話聞かないで突っ込むんだから!」
「……あー、悪い。次はちゃんと気を付ける」
ばつが悪そうに頭を掻き、すぐいつもの調子で付け加えた。
「まあでも、今回は蘇生屋もちゃんと連れてきてるんだしいいだろ?」
生還を果たした安堵からか、ヘラヘラと笑うサガン。
アリアの剣幕を、ジュリドがやれやれと言いたげな苦笑いで見守っている。
緊張感の欠け落ちた、甘く弛緩した空気。
「……お前ら、少しは真面目にやったらどうだ」
静まり返った通路に、トルクの底冷えする低い声が落ちた。
「……ああ?」
サガンのこめかみに青筋が浮かぶ。
「最初に言った筈だ。3回死んだら即撤退。
たった10階でその1回を使っちまったんだぞ」
トルクは威圧を無視して淡々と吐き捨てる。
「雑魚との無駄な戦闘は極力避けろ。何のための探知魔法だ?
そこの嬢ちゃん、お前もだ。お前は帰り道の分合わせて20階層分の、戦闘も込みの魔力残量を計算に入れてるのか?」
アリアの肩が小さく跳ね、視線が足元へ落ちる。
「いや、その辺で……」
「一番の問題はお前だ、リーダー」
手を出して制そうとするジュリドへ、醒めた目を一瞬で横滑りさせる。
「仲間の暴走も止められねぇ、リソース計算もしない。
仲間の手綱を握れないならクビにするか一人でやれ」
「オイ、いい加減にしろよオッサン」
サガンが巨躯を押し出し、トルクの視界を真っ暗に塞いだ。
一気に詰まる距離感。
粗い鼻息が、トルクの頬を湿っぽく撫でる。
「さっきから偉そうに口出ししやがって。俺達には俺達のやり方ってのがあるんだよ。オッサンは俺達に雇われてんだぞ、わかってんのか?」
宥めようとするジュリドの手。
大男はそれを豪快に振り払う。
見下ろす巨漢と、冷ややかに見返す目線。
二人の間で、アリアがおろおろと視線を往復させる。
肺の空気を全て吐き出すように、トルクは両手を軽く掲げた。
「……わかった、悪かった。もう口出しはしない。約束する」
「わかりゃいいんだよ」
口元を酷く歪め、満足気に笑うサガン。
ほら行こうぜ、と二人を促し、大股で歩き出す。
このチームの底が見えた。
サガンの独断専行を二人が追うだけの、歪な関係性。
ジュリドの役割も、ただの気休めな仲裁係だ。
(こういう時に抜けられないのが前金制の嫌な所だな……)
革ポーチの奥、ずっしりと重い金貨の感触。
舌の裏に残る苦い毒を飲み込み、トルクは重い足取りでその背中に続いた。
(こいつら……死ぬな)
カビの匂いに混じる血の気配。
肌を刺す冷気だけが、確実な終わりを告げていた。
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