その季節、歩けるぐらい調子が良い日はよくそこのベンチソファで桜を眺めるが好きだった。
「桜、綺麗だよね」
「えっ!?」
本当にぼーっとしていたから――隣に人がいる事にすら気が付かなかった。だから唐突なその声に私は、跳ねた声を漏らす様に零しながら隣を見遣る。私の顔は痛みに手を引くみたいに一瞬で動いていた。
そんな視線先に座っていたのが、春人君。その時は名前なんて知らなかったけど、入院してる子だって事は分かった。
でもそんな事を考える暇のないその瞬間の私はただただ一驚を喫するだけだった訳だけど、それもほんの数秒。すぐに冷静になれば、一瞬だとしても自分の勘違いが恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じた。
「――そっ、そうですよね」
隠す様に顔を桜へと逸らしながら返す返事は平然を装っている。
「君も入院してるの?」
分かり切っていたそんな質問を気が付けばしてた。沈黙を恐れただけの質問。
「うん。昔から体が悪くてね」
それに春人君は微笑みを浮かべて答えた。儚く薄氷で作り上げた氷像のような弱々しく――でも素敵な笑みで。一方でさっきまでの感情は春風に攫われ、いつの間にか私は落ち着いていた。きっとその笑顔がそうさせてくれたんだろう。
「同じだね。私もよくこうやって入院してるんだ。何回も」
「僕は殆どずっとこうして入院してる。もうここが家みたいなもんだよ」
そう言って彼はまたさっきと同じ笑みを浮かべた。こうして桜を眺めて私と話せる程には体調は良いらしいが、それでもどこかそこには病気の影が見える。多分、私よりも悪い病気なのかもしれない。
「あっ、そうだ。私、五宮桜咲。同じ入院同士よろしくね」
でも彼がどんな病気かなんて訊いたりせず、私は手を差し出した。
「さくら……良い名前だね。確かに桜みたいに綺麗だし、元気を貰える」
私にとっては二度目。なのに改めてちゃんとした意味で言われてしまうと、もしかしたら含羞の色が頬を染めてしまっていたかもしれない。しかもその日の空の様に曇りの無い眼を向けられると自然と視線が落ちる。
でもすぐに戻すと私はもう一歩手を前へ。
「君の名前は?」
「僕は、風見春人って言うんだ」
そう言って握り返してくれた春人君の華奢な手は温かかった。
「でも春と桜って私達いい日に出会ったね」
「そうだね」
あの日から私と春人君は歳が近いって言うのもあるだろうけど、あっという間に仲良くなっていった。お互いに調子が良い日は互いの病室を訪れたり。私も退院してる時はお見舞いに来たりもしてた。
「あの時の桜、綺麗だったなぁ」
私はそう呟く春人君の隣に並ぶとすっかり淋しげな桜の木を見下ろした。
「また一緒に見たかったな」
もうそれは叶わない。そう知ってるからこそ私はそんな言い方をしてしまっていた。
「うん。僕も」
私達の間にはあの日、恐れた沈黙がいとも簡単に割り込んできた。でもこれまで何度も味わったような心地好さすら感じる沈黙とは違い、今回のには秋の物寂しさを感じる。
あぁ、私は死んじゃうんだ――その感覚の中、私はふとそう思った。でもやっぱりそこには何も無い。恐怖も何も。私はおかしいのかもしれない、そう思う程に。
ただ。もう春人君にも会えない、そう思うと――隣を見れば感覚の連鎖が彼を私から遠ざけてゆくのを感じると……。
私はあと一週間と告げられてから初めて思った――嫌だなぁ。桜を恋しがるように窓へ触れる春人君の手。その手を見つめながら自分の手がピクリ動くのを感じた。
「でも春人君、あの時よりも元気そうだよね。なんかホントに治ったみたい」
自分で自分を遮る様に気が付けば私はそんな事を言っていた。だからか自分で言った事なのに遅れて内心で納得したのは。
「そうだよね。普通の人の、普通な状態なのかもしれないけど、ここまで調子が良いと何だか不思議な感じ」
「ホントに苦しい時は死んで解放されたいって思うけど、平気な日はあの苦しみはただ悪夢を見てただけなのかもって思ったりするもんね」
「僕達にとって死ぬって幸せになるのかな? 治るのが一番だっていうのは分かってるけど現実的に考えたらどうなんだろうって……」
何だか湿っぽい雰囲気になってきた気がする。
「そーだ! 一緒に何か観ない?」
別にその雰囲気が嫌だって訳じゃないけど、どうせなら楽しく過ごそうと話題を切り替えてそんな誘いをしてみた。
「うん。そだね。観るの持ってる?」
「持ってるよ。座って」
返事をしながら窓際からベッドへ戻ると、傍の引き出しからタブレットを取り出した。その時には回ってきた春人君が隣に腰掛けた。いつもならゆったりと出来るベッドだけど、流石に二人は少し狭い。
でも――私は目の前のテーブルにタブレットを置くと、視線を横へ落とした。脚は触れ合い、伝わる温もり。そのままなぞるように顔を上げれば肩は穏やかな波の揺れでくっつきそうな程、近くに春人君がいる。
私は彼との距離を実感すると、ハッと気がついた様に高鳴り始める鼓動を感じた。触れ合うと振動が伝わってしまうんじゃないかって思って、静まれと一人願うが効果はない。
「どうしたの?」
そんな私を他所に春人君がこっちを向き、重なり合う視線。
「……ううん。何でもないよ」
でも私は逃げるように視線をタブレットへと戻した。
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