結果はまた負けた。しかも今度トドメを刺したのは、取られた私の駒。ついつい「銀、お前もか……」なんて言いかけてしまった。
しかもそれから更に二連敗。
「もーいっかい!」
「いいよ」
若干ムキになってる私に対してか、勝利の美酒がさぞ美味いのか春人君は楽しそうに笑っていた。全く未成年なのに呑み過ぎだ。
「何でそんなに強いわけ?」
「んー。ネットでよくやってるからかな。寝れない夜とか、少しだけ辛い時とか。将棋してたら集中して紛れたりする時もあるから」
「つまり結構やってる将棋で私をボコボコにしたかったって訳か」
そんな嫌味で私は精一杯の反撃を試みた。小さい女だ、私は。
でも、「はぁー」と冗談的に聞こえるような溜息を零す私に春人君は小さく笑った。
「そうかも」
「よーし! じゃあ次は私が参ったって言わせてあげる。ビギナーズラックでね」
「いいよ。また勝っちゃうけどね」
確かによく分からないまま負けたりしてるけど、それでも春人君としてるからか思ったより楽しんでた。もちろん勝てればもっと楽しいんだろうけど。そしてタイムリープ物のようにリセットされた盤上ではもう何度目だろうか、又もや何も知らない兵士達が睨み合っていた。そんな兵の気持ちを背負い、たかが数試合で何が変わるのかは分からないけど私なりに勝てる一手をしていった――つもり。
だけど戦況が進むにつれそういう筋書きとでも言うように私はどんどん劣勢へと追いやられていく。
すると、それは何となくそろそろ負けそうだななんて思いながら春人君の一手を待っていた時。誰かが傍へやってきた気配を感じた私は、呼ばれるように顔を横へやり見上げた。
そこには片手の扇子を顔に当て腕組みをしながら盤上を見下ろす眼鏡の男性が立っていた。歳は五十代か六十代といったところ。僅かに真剣味を帯びた双眸はレンズ越しに真っ直ぐ、私の前を通り過ぎ盤上を見つめている。
そんな男性は見上げる私の視線に気が付つくと、真剣さは消え少し柔らかくなった表情を浮かべた。
「あぁ、ごめんね」
微笑みと共に男性はさっきの真剣味と同じぐらいの申し訳なさを含ませながら一言そう謝った。
「いえ」
確かに見られてるっていうのはムズ痒いけど別に見たいのならご自由にどうぞ、って意味を込めた笑みを私は浮かべ返した。見てて楽しい試合じゃないとは思うけど。
「えっ!?」
すると突然、向かいから突然そんな声が聞こえたものだから私の視線は角の如く斜め一直線に春人君の顔へ。
さっきまで私が見上げていた男性を見ながら一驚を喫する春人君。一人だけまるで幽霊でも見るような表情を浮かべている。
「も、もしかして……」
私は焦らすように途切れた言葉の続きを微かに眉を顰め待っていた。
「羽牛銀治さん?」
「知ってるの?」
それ程の有名な人なのか。将又、春人君の知り合いなのか。でも私は名前を聞いても脳裏に思い浮かぶ人物はいなかった。
「プロの棋士で凄い人だよ」
その説明に私はもう一度男性を見上げてみるが、あいにく将棋界とは無縁の私にはやっぱり誰か分からなかった。失礼を承知どころか先に謝っておく事を言うなら、やっぱりただのおじさんにしか見えない。
「知ってくれてるなんて嬉しいね。ありがとう」
どこか照れ臭そうに、でも純粋に嬉しそうな表情で微笑む羽牛さん。
「うわぁー本物だぁ」
そのまま溶けてしまいそうな声を出す春人君の双眸は煌々としていて、それが全てを物語っていた。
「僕、普段はネットで将棋してるんですけど、羽牛さんの対局を見て勉強してるんです!」
「それはありがとうございます」
照れ隠しなんだろうか、少し丁寧に頭を下げて羽牛さんはお礼を口にした。
そんな二人を見ていた私の頭へ、ピャンと妙案がどこからか瞬間移動してきた。しかも気の利いた思わずニヤついてしまうようなやつだ。
「羽牛さん、今って時間ありますか?」
「時間? 少しだけならあるよ」
何故そんな事を訊くのだろうと首こそ傾げなかったが、声色と表情はそう語っていた。
「それじゃあ、助けて下さい! 私、さっきからずっと負けてるんですよ。ルールぐらいしか知らないから全然勝てなくて。だからプロの力を是非!」
よく考えれば失礼にもなるような私の申し出だったが、羽牛さんは安堵したように笑みを零した。
「それは悔しいね。いいよ。一局だけだけど、一緒に指そうか」
「えっ! いいんですか!?」
春人君は喫驚としながらも幼児のような純粋さの嬉々とした気持ちを隠しきれていなかった。作戦通りだ、ニラリと一人心の中で笑む私。
「将棋の楽しさを知ってもらうのも役目の一つだからね」
そう言って羽牛さんという名の軍師が私の陣営に加わった。
「それじゃあ羽牛さんが頭脳で私が体で、二人で一人頑張りましょう」
「楽しもうか」
「それと私まだよく分からないので、動かす駒と動かす場所をその扇子で指して下さい」
羽牛さんからオッケーサインを貰った私は、視線を盤上へと落とした。
もう何度目の出陣なのか。だが酷使されても尚、ずらり整列した威風堂々たる彼らからはひしひしと強い意識を感じる。何度敗れても――それでも私の為に戦場へと立つ背中は何とも頼もしい。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
春人君が空気を撫でるように頭を下げると、隣で羽牛さんも本当の試合みたいにしっかりと頭を下げ返した。
その隣で遅れながら羽牛さんの言葉に相乗りした私もそっと会釈をした。そして始まった春人君対私(羽牛さん)。私は横から伸びる扇子の指示に従い、春人君は自分の手と考えで。初めはお互いにテンポ良く駒の一歩が響いていった。
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