でも羽牛さんが自分を見つけるのにはそこまで時間は掛からなかった。
「これを、こうだね」
扇子に導かれるまま一手を私が代弁した。
「うわぁー」
分かり易く頭を抱える春人君に私はつい笑いを漏らしてしまった。
「良い一手だったけどね」
「んー。いや、でもまだ」
そう言うと座り直しまたあの真剣な表情で春人君は活路を見出そうと思議し始める。
そしてそれからも春人君は健闘したが、最終的にはやっぱりその結末がやってきた。
「王手」
「――参りました」
抑えつけたような静かな声は、小石を投げ入れた水面のように波紋を広げては次の言葉を待たずして溶けていった。少し遅れ盤へ触れそう程、深々と下げていた頭が緩慢と上がる。
その表情は悔し気だったけれど、同時に満足と納得にも満たされていた。
「いやぁー。当たり前ですけど、やっぱり強いなぁ」
春人君のその口調と表情に宿っていたのは、羽牛さんへの確かな尊敬の念だった。尊敬と憧憬。それが彼の内側で力強く浩々としているのが訊かなくても分かる。
「でもちゃんと負けれて嬉しいです」
「もっと小さな子ならそうしてもいいかもしれないけど、やっぱり君は違うでしょ?」
「はい。ありがとうございます」
多分だけど、羽牛さんは負けることなくそれでいて少し長く勝負が出来るように戦っていた気がする。こういうのをファンサービスとでも言うのだろうか。でも春人君の表情からして満足のいく程にはプロという圧倒的な存在を体験出来たっぽい。
「ふっふっふ。これで私もやっと一勝か」
「えー? ズルくない?」
まるで自分の実力でもぎ取ったと言わんばかりに腕組みをする私に春人君はわざとらしく冷ややかな視線を送ってきた。
「ズルくないよ。私と羽牛さんで二人一組、体と頭なんだから」
「まぁ一勝ぐらいはいいかな」
そう言って春人君は余裕に満ちた勝利の笑みを浮かべて見せた。
「それじゃあ自分はここら辺で」
するとぐうの音も出ない私への助け舟とでも言うように羽牛さんの声は聞こえた。流石は相棒、思わず私は叫ぶ。もちろん実際に声にするのは失礼だから心の中で。
「ありがとうございました(ありがとうございました)」
偶然にも綺麗に揃ったお礼の言葉の後、そのまま二人分の頭が軽く下がる。私的には二つの意味でありがとうだから合計すると三つのお礼が羽牛さんへと捧げられた。
「今でも結構指せる方だと思うけど、続けていけばもっと強くなれると思うし、これからも将棋楽しんでね」
柔らかな微笑みと共に羽牛さんはそう言って春人君の肩を軽く叩いた。
「はい!」
それから表情はそのまま視線は私の方へ。
「少しは楽しめたかな?」
「すっごい楽しかったです。勝てたのもそうだし、何でそうするんだろうって知りたくなりました」
「おっ、それは素質あるかもね。それに良い先生もいるからね」
羽牛さんが言葉と共に手を向けたのは春人君。
「もしかしたらすぐに追い越しちゃうかも」
「その前にまずは一人で僕に勝たないとね」
やけに「一人」を強調する意地悪な彼の表情は余裕で満ちている。余程、私が一人で勝つ事は無いと思っているらしい。
でも悔しいけど、確かにそれは叶わなそうだ。今からじゃもう間に合いそうにない。残念だけど。
「それじゃあ次はプロとして盤越しに会えるのを楽しみにしてるよ」
最後に冗談半分なのだろうそんな事を言い残し、羽牛さんは待合室を後にした。
「いやぁー。まさか本当に会えるなんて感動だなぁ」
「それにお世辞かもしれないけど腕前も褒められたし」
「でも桜良ちゃんより上なのは間違いないから」
どうやら将棋に関して私は完敗らしい。
「だけどもしかしたら本当に将来はプロになっちゃったりしてね」
「将来かぁ……」
その言葉に対局で負けてしまったような顔をする春人君を他所に私は少し想像してみた。着物姿で将棋をする彼を。深々と丁寧に頭を下げて始まりの挨拶をしたり、何度か首を捻りながら精悍な目つきを盤上へと突き刺す。普段と違ったその表情はなんだかとても――。
「あっ!」
すると突然そんな声を上げるもんだから私は体を跳ねさせ現実へと戻ってきた。着物じゃなくて入院服姿の春人君は何やら対局で重要なミスをしてしまったような表情だ。
「どうしたの?」
「サイン貰えば良かった……」
ガックリと肩を落とす春人君。私は後ろを振り返ってみたが当然もう羽牛さんの姿はない。
「ドンマイ」
「はぁー。――まぁでも、それ以上に貴重な体験したからまぁ、良くないけどいいか」
「あっ、そうだ。将来プロになるかもしれないから今の内に春人君からサイン貰っとこうかな」
「サイン? ある訳ないじゃんそんなの」
「無いの? あるよ。私」
「なんで?」
「だってサインってカッコいいじゃん」
入院中の暇を潰すのも兼ねて自分のサインを考えた事があるのだが、てっきりみんな一度は通る道かと思ってた。
「あとで見せてよ」
「いいよ――いや、私に勝てたら見せてあげよう」
私はそう言って駒を並べ始めた。
「どの道見るけどいい?」
「今なら勝てる気がする。まぁ勝っても見せてあげるから安心していいよ」
「じゃあなんの為の勝負なのこれって?」
「君が私一人相手に負ける為の勝負だよ」
「もしかしてだけど手を抜いて勝たせてって言ってる?」
「言い訳は聞かないからね」
そう言いながら私は勝手に駒を進めた。
「まぁ数パーセントはハンデってことで」
こういう現象に名称はあるのだろうか。プロのプレーとかを見てつい自分も上手くなったような気がするこの現象に。理想が現実になったと錯覚して実際にやってみたら落胆した――略して理現錯胆現象と名付けよう。
つまるところ私は物の見事に負けた。
「えー。結局負けた」
「サインゲット」
「しょうがない。君はそれだけの功績を残したのだから」
羽牛さんとの共闘を除けば全敗したのにも関わらず、腕組みをした私は威風堂々と頷いて見せた。まるでよくここまで来たなと言わんばかりに――いや、正直言ってたけど。
「ということで次はオセロしよ! 実を言うと私オセロ超強いんだ」
「本当にぃ?」
怪訝そうな面持ちが私へ向けられていた。
「じゃあ五戦して先に三勝したら勝ちね」
「おっけ」
早速、将棋盤を片付けた私達は第二ラウンドであるオセロを始めた。
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