「出会い、と」
「アンデル」
出会い、アンデル。本音を言うならもう少し悩みたかったけど、余り時間を掛けて待たせてしまっても申し訳ないから妥協――ではないけど最近よく聴いてるという点でその二曲が表彰台へと上がった。
「じゃあ俺がついでにキーボードもチェックするから基一はアコギよろしく」
「おっけ」
返事を聞くと野木さんはギターを置きキーボードの前に座った。それから白黒の鍵盤に視線を落としながら愛しの人の手に触れるようにそっと両手を乗せた。一足先に心が躍り出す静寂が一瞬にして空気を染め上げる。最初の一音が鳴るまでの無音でさえ彼が奏でる音楽の一部。その瞬間、私は既に始まっているのだという事を全身で感じた。
そして焦らすような静寂の後、先行してキーボードが歌い始める。その音に包み込まれると肌寒さのように微かながら鳥肌が立つのを感じた。キーボードと歌声の音色が色鮮やかに宙へ虹を掛ける。辺りを駆け懐っこい子どものみたいに私の周りを通り過ぎてゆく。
――まるで世界的な絶景を目にするかのようにそれは素晴らしいものだった。
それからサビまで私の感覚世界では弾指の間。全ての音が余韻すら鳴り止んでも尚、誰一人として衣擦れすら立てる者はいなかった。
でもそれをも経たその瞬間――部屋中を溢れんばかりの拍手が。というのは大袈裟だけど、私と春人君は痛くなる程に両手を叩き少しでもこの感動を伝えようとした。そこに加わる本条さんと藤野さんの緩やかな拍手。
その絶賛の拍手を浴びながらキーボード越しで野木さんは座ったまま演技的なお辞儀をして見せた。
「すっごい良かったです!」
「あぁ~。死ぬまでに実際会えただけじゃなくて生歌も聴けるなんて……」
最高。その言葉の続きは聞かずとも容易に予想することが出来た。きっとこの場の全員がそうだろう。
「それでは続きまして、レイスノワエル藤野基一によるアンデルです」
キーボードから離れ端へと移動した野木さんは司会者へと転じた。そんな彼に少し笑みを浮かべながらギターを片手に椅子へと腰掛けた藤野さんは、まずマイクの位置を調節。
あー、あー。と軽く確認をしてから私達と視線を交わせる。
「えー。じゃあ、アンデル」
先程とは違い今度はギターの音色から曲は始まった。
それはいつも聴くのと同じで、早朝の朝日が包み込む優しい温かさのように――心まで沁み渡ってくる。そして野木さんもそうだったが、アコギに加えその声までもが楽器の一つとして窈窕たる音楽を奏でていた。でもこの曲はそれでいてどこか壮大さを兼ね備えている。オーケストラや聖歌隊の如く広大な大地と茫洋たる蒼穹を連想しそうな……。
刹那。そう表現しても過言ではない程にあっという間の出来事。だけどそれは短さに相反し、濃厚で濃密で最高な時間だった。
そして藤野さんが歌い終わると私達は目一杯の拍手を送った。
「さいっこうです!」
「いやぁー。やっぱり弾き語りも良いですね」
最高の湯に浸かった後のような感覚に包み込まれながらも私の中には、案の定と言うべきか物足りなさが嘆いていた。
「あぁ~。まさかこうやって生で聴けるなんて」
「ライブに行ってみたいってずっと話してたもんね」
「叶っちゃったね。しかもずっといい感じで」
「現実なのに現実じゃないみたい」
夢現みたいなその感覚はちゃんと説明されなくとも十分伝わる。
「でも目の前で演奏してくれるってぜんっぜん違うね」
「何だろう……全身で音を感じてるみたいな?」
「それに目でも曲を聴いてる感じ?」
感動が渦巻きそれを誰かと共有したいと口を動かすけど、出てくる言葉はどれも的を得てるとは言い難い。きっとこの感覚を表現する事は不可能なんだろう。少し頭を悩ませたけど、私はすぐにそう思った。
でもその必要すらない。隣で満足気な表情を浮かべる春人君を見れば自然とそう思っていた。表現するまでもなく私達は、この空間を、この瞬間を、この時間を、共有したから。その表情と興奮を見ればきっと言わずとも暗黙の了解が如く伝わっている事が分かる。いや、伝わっているというのは正確じゃないのかもしれない。同じモノを感じたのだから。
今は二人(正確には四人)だけだけど、これがライブになったら何万人もの人が同じ時間を共有し、同じ興奮を共有し、同じ感動を共有するのだからそう考えると――とんでもなく凄い。
「これだけ盛り上がってくれれば本番も大丈夫そうだな」
音の確認も兼ねてずっと後ろに立っていた本条さんは私の横に並ぶと浅く何度も頷きながらそう言った。
「あっ。そうだ」
すると野木さんは思い出したと声を上げた。
「あれもやっとかないと。パソコンのやつも」
「あぁ。一応、全部合わせとく?」
「そうだね。じゃあもう一曲ってことで」
何の話をしてるかは分からないけど、野木さんと藤野さんはそれぞれ(最初に確認していた)ギターとベースを手に取った。その間に本条さんは再び後ろへ。
そしてノートパソコンを出すと何やら操作を始めた。少しして準備が整ったのか一度ギターを鳴らした野木さんは藤野さんへ目配せ――指でおっけーと答えが返ると視線はパソコンへ。
「ちょっと押してくれない?」
その言葉に藤野さんはパソコンへ手を伸ばす。
「三、二、一」
カウントダウンの直後、野木さんのギターが軽快に掻き鳴らされた。そのイントロを聞いた瞬間、曲名が脳裏に浮かび興奮に押し出された。
「起死回生!(起死回生だ!)」
そう叫ぶがその声は部屋中を駆け巡る音楽には遠く及ばなかった。
そして曲が始まるとギターとベースに加え鼓動を代弁するように鳴り響くドラム音。パソコンはその為に用意してたらしいが、最早その事はどうだっていい。
気が付けば手を上げ体を動かさずにはいられなかった。何かの漫画みたいに音が相手の体を支配するのと同じで、私達は一瞬にしてこの音楽に全身を乗っ取られた。と言うより身を委ねたと言った方が正しい。
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