「ちょっとトイレ寄っていい?」
途中、春人君はトイレへと入り私は入口付近の壁に凭れながら出てくるのを待っていた。
それは一日の終わりに眠気を感じるように本当に自然な感覚だった。見ずともそこにいるのが分かる。
「もしラップスとレイスノワエルに会いたいって言ってたら叶えてくれた?」
隣に立っていた真さんは余裕を沁み込ませた時間の中で返事を口にした。
「えぇ。お安い御用ですよ」
「あぁー、その手があったかぁ」
手を振りながらパチンと指を鳴らそうと思ったけどそれは不発に終わった。
「まぁで結局は偶然にも会えちゃった訳だし。でもそう考えるととんでもない奇跡じゃん」
「一見すれば奇跡に見えたとしてもそれはほんの一面に過ぎませんからね。単なる必然である可能性もあります。いえ、そこにあるのは単なる現実。奇跡を奇跡たらしめるのは何者でもない人間の感覚ですからね」
何気なく言っただけなのに小首を傾げる返事が返ってきた。
「んーっと。つまり私が奇跡だって思ってるから奇跡って事?」
「タネの分からないマジックが魔法に思えるのと同じですね」
私の様子からあまり伝わってないのを察したのかそんな例えを付け足した。
「でもなんだか勿体無い気がするなぁー。折角望みを叶えてくれるのに今回みたいに気が付いてない望みがあるって思うと。言われたらあぁ〜ってなるようなものが意外と沢山あるんだろうなぁ」
まるで濃霧の中で見るハッキリしない人影みたい。ムズ痒いもどかしさだけが私を嘲笑うかのように渦巻いている。
「気付かないモノは存在しないも同然ですよ。認識出来なければ、貴方の世界にそれは存在し得ないですから。自分と外の二重空間で構成されていたとしても、結局は自分の世界しか認識することが出来ませんから。そして認識外にあるモノは暗闇に紛れているのと同じ。例え存在していたとしても認識出来なければ、無は見れませんからね」
「そんな難しいこと言われてもよく分からないなぁ」
「貴方の望みは貴方の望むタイミングでやってくるので気にする必要はありませんよ」
「お待たせ」
その言葉に返事をしようとしたタイミングで春人君がトイレから出てきた。
「行こうか」
「うん」
そして風に肌を撫でられるのを気にしないようにいつの間にか消えていた真さんは気にせずそのまま春人君と病室へと戻った。
思いがけない盛り上がりがあったからいつもより早く空いたお腹が愚痴を零す。でもそれまではまだ時間があって、その間を春人君と適当に過ごした。そして最早それが日常であるかのように夕食も一緒に食べ終え、消灯時間も近づきそろそろ春人君も病室戻る頃。
「僕、今日ここに泊まってもいい? お泊まり会みたいにさ」
てっきり「そろそろ戻るね」なんて言い出すかと思ったけど、開いた口から飛び出してきたのは名前も知らない変化球のような言葉だった。
「――でもそういうのっていいの?」
遠足前の子どもみたいに隠し切れない期待感の溢れる春人君の声に少し遅れてそう返すと一足先に表情が答えていた。
「一応、菜月さんに訊いたら先生とかに訊いてみて駄目なら教えてくれるって言ってたから。でも何も言われてないってことは多分おっけーってことでしょ。もちろん、桜良ちゃんがいいならだけど」
「いいよ。全然いいよ。むしろ嬉しい!」
まさか人生初のお泊まり会が病室になるとは――いや、まさかお泊まり会をやる日が来るとは。
憧れてたかと訊かれれば大きく頷く程ではないけど――でも私の中からは確実に嬉々とした感情が溢れ出していた。いつもと違った特別に自然と胸が昂る。
「やった! あぁーそうと決まれば何回も来た事あるのに何だか特別な感じに思えてきたよ。あっ、でも桜良ちゃんはあんまり変わらないか」
確かに私にとっては慣れ親しんだ病室だ。いつもと変わらない病室。
でも何も変わらないかと訊かれればそんなこともない。
「ううん。いつもと変わらない場所のはずなのに何だか変な感じ。もちろん、良い意味でね」
「良かった。家に招待しようにも同居人がいっぱいいるからね」
「ようこそ私の城へ」
そう言って誰もいない病室へ大きく手を伸ばす。
だけど、返事を待たずして私は堪え切れなくなった笑いを零した。それに釣られ春人君も声を上げる。私達は意味もなく笑い合い、二つの小花が風に撫でられ揺れる。
「でもお泊まりって一体なんだろう」
そう言って小首を傾げて見せる彼はお泊まりっぽさを求めているんだろう。
「あっ、枕投げとか?」
弾んだ声を上げると真っ白な枕を手に取った。
「――はしないか」
「怒られちゃいそうだもんね」
「埃とか舞うのもね」
「まぁでも軽くちょっとぐらいなら?」
「やっちゃっう?」
とは言えあまり暴れるのも春人君の体に悪いかもというのもあり、私達はキャッチボールならぬキャッチ枕を軽くした。緩やかな放物線を描きそっと腕に収まる枕は枕投げの雰囲気ぐらいは味わわせてくれた。
それから消灯時間。結局、私達は特に何かをする訳でもなく、でもそれなりに楽しく過ごした。
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