「――桜良ちゃん?」
気が付けば看護師さんは部屋を出ていて春人君が少し覗き込むように私の顔を見ていた。
「もう行ったみたい。危なかったね」
そう言う春人君はどこか楽しんでいる様子だった。確かにバレたからと言って何か重い罰がある訳でもないし、ちょっと注意されるぐらいだけど……怒られるのは嫌だ。しかも最期の最後に。とはいえその原因は私だ。
「ごめん。自分の足に躓いちゃって」
自分で言ってて情けない。
「でも何だか映画みたいで楽しかったよね」
春人君って意外と勇気があるというか、大胆な性格なのかもしれない。そんな彼の新たな一面を見た気がした。
「さっきのはどちらかと言えばホラーだけどね」
「ホラーだったらきっと僕達のところ覗き込もうとして寸前で助かるみたいな展開になってそう」
「確かにホラーってこうギリギリで助かるってパターンよくあるからね」
気が付けば心臓も冷静さを取り戻し、私達が依然とベッドの下で冷たい床に全身をべったりくっつけているのを思い出した。
「とりあえずここから出ようか」
「そうだね」
一足先にそう提案してきた春人君に私は迷うまでもなく頷いた。看護師さんが部屋を出たとはいえ、なるべく静かにして損はない。細心の注意を払いながらベッド下から這い出る。
「んー。どうしようか? さっきの看護師さんもまだいるだろうし」
すると春人君はそっとドアを開くと顔だけを出して外の様子を確認した。ほんの数秒で戻ってきた彼の顔は私の方へ。
「一応、外には出られそうだよ」
「いっそのこと駆け抜けちゃう?」
「追っかけっこは得意?」
「ずっと病院でベッドの上だったから」
私は「全然」と肩を竦めて見せた。
「ほら僕らってこれまでちゃーんと規則正しく入院生活してたじゃん。つまり幸いにも僕らってこれまで模範囚だった訳」
模範囚、その言葉と共に彼はニヤッと悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。でもその笑みが無くとも彼がこの入院生活を監獄だとは思ってない事は分かる。
「だからもしバレたとしてもちょっとした出来心って事で大丈夫だって」
「それってつまりどうするの?」
私は彼の結論が見えず首を傾げた。
「折角だし楽しんじゃおうよ」
まるでこれからお化け屋敷にでも入るような表情の春人君はドアをそっと開いた。そして今度は廊下に出ると、私は閉まりゆくドアの隙間をギリギリで通りその後を追った。
ゲームのコンテニューみたいに壁際へ立ちナースステーションの様子を伺う光景はさっきと変わらない。結局、どうここを通り抜けるか何も決まってないのもまた同じ。
その状況を脱する為に春人君の後ろで私も解決法を考えていた。途中、映画の主人公達はよくあんなすぐに案が思い浮かぶな、なんて思ったり寄り道はしてたけど思考を巡らせ何かを絞り出そうとした。
「ねぇねぇ」
うーん、と人生で一番と言ってもいい程に頭を使ってると、春人君がこれまた人生一と言っていい程に静かな興奮声で私を叩き呼んだ。顔を上げてみると視線はナースステーションに向けられたままで何やら指を差している。
「看護師さんがどっか行くよ」
春人君の言う通り看護師さんは席を立ち上がり私達に背を向けた。
「しゃがんであそこまで行こうか」
そう言って彼が指差したのはナースステーションのカウンターだった。大人の鳩尾ぐらいの高さのそこは言わば敵の足元。しかも看護師さんは背中を向けてるだけですぐそこ。
「ホントに?」
「なるべく急いで静かに」
まだその作戦に不安を抱いてる私を他所に「じゃあ行くよ」と彼は先に行ってしまった。ちょっと、と思わず出しそうになった声を何とか堪え手だけを伸ばすが、早くしないと看護師さんが戻ってきてしまう。
私は考えるのを止めてただ彼について行く為、足を動かした。静かに、でも遅れを取り戻すぐらいには素早く。
そして私がカウンターの陰に隠れたのとほぼ同時に看護師さんはすぐそこへ戻ってきた。椅子を引き、腰掛けたのが音で分かる。
「あぁー。なんか今日ちょっと眠いなぁ」
キーボードを叩く音と独り言を聞きながら傍の春人君へどうするのかを問う視線を向けた。
そんな私へ春人君は小首を傾げて見せた。けどその表情に焦りの類はない。最悪、見つかっても大丈夫だって余裕があるんだろう。確かにそうだけど、出来る限り見つかりたくないものだ。
「あっ。そういえば」
すると看護師さんは突然そんな事を呟くと椅子から立ち上がった。カウンター内へ入る場所から顔を覗かせ中の様子を伺う春人君。その顔が戻ってくると手振りが先に行こうと伝えた。
それにしても余りにも都合が良いタイミング。全てが脚本の上で転がされてる映画のようだ。私はそう思いながら辺りを見回した。けれど、人影は無く薄暗い夜の病院の光景がそこには広がっているだけ。でも今の私にはこの出来過ぎたその奇跡の――見えざる手の原因は分かる。
心の中でお礼を言った私は視界端で動き出した春人君に続いた。微かな緊張に、体を強張せる心に急かされながら泥棒か忍者を真似る忍び足でナースステーションを抜けていく。
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