そして一歩先に私を真っすぐとした視線で見た春人君は――。
「君に出会えたから」
そう言葉を続けた。
どこか清々しそうな。どこか穏やかな。どこか気恥ずかしそうな微笑み。今に合わせるかのように太陽と言うより月みたいな柔らかな笑みだ。その言葉と同じでどこまでも優しく、どこまでも温かい。
心地好いその月明りに照らされた私は自然と微笑み返した。言葉は要らない。彼の言葉が、彼の表情が、そして私の想いと表情が――全てが溶け出し生まれた空気を伝わる。息遣い、鼓動、口元の動き、視線から瞬きに至るまでの全てが、私達を包み込んでいた。
「ここで初めて出会ってから、ベッドの上でただ苦しみが過ぎ去るを待つしか無い時も考えるようになってたんだよね。また桜良ちゃんと話しがしたいなって。それに思い出して気を紛らせたりとか」
そっと視線を正面へと移した春人君の表情は大きく変わっていなかったけど、何故か少しだけ悲しげに見えた。
「今まで友達って思えるような人もいなかったし、良くも悪くも白の空間が僕にとっての日常だった。それに僕の人生にあるのは苦しみと痛みと退屈と家族の優しさ。もし健康だったら今頃は学校でめんどくさいって思いながら授業でも受けてるのかなって。ベッドで想像するだけ。――でも桜良ちゃんのお陰で何だか、外の世界と繋がれた気がする。何だか桜良ちゃんと一緒に笑ってる時は僕も普通を生きてる気がする。だから――」
再び私を見遣る春人君の表情は――何故だかとても儚く見えた。その笑みは先程とは違い薄氷で作ったかのように脆く見えた。
「ありがとう」
でもその言葉は薄氷なんて一瞬で溶かしてしまう程に温かかった。だからきっと私の勘違いなんだろう、もうすぐこの笑みと別れてしまう事に対しての悲感がそう思わせたのかもしれない。
「ううん。私こそ、ありがとう」
まるで走馬灯のように脳裏を駆け巡る想い出。改めてお礼を言われ、口にして若干の気恥ずかしさを感じながら私は手持ち無沙汰のような右手を二人の間へ移動させた。
「私も春人君のお陰で楽しかった。苦しい時も一緒に乗り越えようとしてくれてる感じがして、心強かった。二人揃って調子良くて他愛もない話で笑い合うっていうのもあんまりなかったけど、それでも私にとっては一時期通ってた学校よりいい想い出が沢山。特に今日はね」
「そうだよね。今日一日、桜良ちゃんと一緒にいられて本当に楽しかった」
それからそれぞれが今日という日を思い返す沈黙は優しも儚く静かだった。
「もし普通に学校とかで出会ってても僕らって友達になれてたかな?」
するとその静寂をそっと春人君の声が包み込んだ。
「んー。同じクラスになれて――春人君が話しかけてきてくれたらね」
「僕からかぁ。学校って行ったことないから分からないけど、何だか勇気がいりそう」
実際にその瞬間が来たという訳ではないのにも関わらず、想像だけで既に気恥ずかしそうにする春人君。この様子だと何かキッカケがないと無理そうだ。とは言え私もどうやって友達を作るかなんて事は分からない。
だけど確かに――もし普通に学校に通って、普通に出会ってたら私達はどうなっていたのだろう。ちゃんと友達になれてただろうか? 分からない。けど、今こうして出会えて友達になてれるから言ってしまえばもう考える必要はないか。
それに私はもう……。
「でもお互い普通に学校とか行ってたら、同じとこにさえ行かなくて会う事も無かったって可能性もあるよね」
「もしそうなら変な話、病気だったから出会えたって事だね。本当にそうなら――」
言葉の後、私達の間に沈黙が腰掛けるがそれは直ぐに忙しなくどこかへと立ち去った。
「初めて病気で良かったって思うよ」
それは言い辛さなのか照れているのか、その言葉は少し覚束なかった。
「それは言い過ぎじゃない?」
冗談だと思った私は笑い交りにそう返したが、春人君は顔を目の前の景色へ向けながら柔和な笑みを浮かべて見せた。
「桜良ちゃんと話すのも、桜良ちゃんの笑顔も、会うのだって。桜良ちゃんとの想い出は僕にとっては全部が掛け替えのない――特別なものだから。君のお陰で友達と遊んだり、他愛ない話したり、好きを共有したり、何もしなくたって特別な感じがする。映画とか見ながら自分とは無縁だと思ってた、早朝の太陽よりも輝いて、朝の眠気でさえ良い想い出に変えてしまう――青春、みたいなのを少しは味わえたからね」
ずっと病院で殆どをベッドの上で過ごす。しかも普通に寝てるだけじゃなくて苦しくて辛くて……それが私達の普通。もしかしたら青春何て言葉の対義語なのかもしれない。
でも春人君の言ってる事は口元が緩んでしまう程に分かる。
「あとは――」
これが私達の――。
「恋とかも……」
その言葉を口にした春人君はより一層恥ずかしそうで、その声はどれよりも小さかった。それに思わず(真っすぐ正面を向いたままの)春人君の横顔へ視線をやり何も言えなかったのも相俟って私達を透かさず静けさが包み込む。まるで花見の途中、全員が桜を見上げ奇跡的に生まれた静寂のようにそれはどこか心地好い。
「まぁでも運動とか部活とかは流石にね」
でも春人君は一瞬の静寂を誤魔化す様にそう掻き消した。冷静は装っていたが、その横顔は赤みがかっている。月明かりだけじゃ薄暗いから少し見えづらいけど、そこには一足先に紅葉が色付いていた。
本当は何か言ってあげた方がいいんだろうけど、何だか私の頬も熱を帯び喉から言葉が出る前に溶けていくのを感じる。
そして衣擦れすらないまま、再び私達を包み込む静寂。でもさっきとは少し違ってそれはどこか熱を帯びていた。同時に少し駆け足の鼓動に乗って名前の知らない気持ちが全身を駆け巡る。
すると気まずさとは無縁の沈黙の中、ふあぁん、っと地に落ちる羽根のように温もりが私の右手へと触れた。一瞬、私の勘違いかとも思ったけど、その優しさは確かにそこにあって、私の手を包み込んでくれている。
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