私は盗み見るように横目で自分の右手を見下ろした。そこには二人の間で重なり合う手。握ると言うには余りにも優しく、乗せてるだけと言うには私の手をしっかりと包み込んでくれていた。
視覚で改めて確認してみるとそれに呼応し僅かに鼓動は早まり、顔が熱を帯びる。恥ずかしさと嬉しさが混じり合った感情に気付けば口元が緩んでいた。抑えようにも口角がいう事を聞かない。
そんな表情のままバレる前に視線を戻した私と春人君は、まるで無言の会話を交わすようにただ手を重ね合わせたままじっと眼前の景色を見続けていた。その間もずっと――私の中に渦巻いていたのはこれまでに感じた事のない感情。何て呼べばいいのかも、どうやって受け入れればいいのかも分からない。雲上で漂っているかのようなふわついた感覚。
片手から伝わる温もりと名前の知らない感情。そんな何とも不思議な状況の中、ふと私は春人君の方へ視線をやった。理由はないけど――強いて言うならこの全ての感覚に導かれたとでも言うのだろうか。
そっと正面から撫でるように動く視線は丁度、真横へ。
すると私が春人君の方を見るのと鏡写しで、彼もまた視線を私の方へ向けていた。まるで跳ね橋みたいに完璧なタイミングで繋がり合う私達の視線。
だけど、それは不思議な感覚だった。当然であるかのように――知っていたかのように目と目が合っても私の心は揺らぐ事なく、それをすんなりそれを受け入れていた。
ただじぃっと、言葉すらなく見つめ合う私達。逸らすなんて考えもしないぐらいに――春先の日差しと同じで優しく温か、満天の星と同じで煌びやかなその双眸と……時間すら感じず見つめ合っていた。視線だけで甘く、抱き締め合うように。私の中の知らない感情が更に心を締め付ける。それは苦しさすら感じるけど、不思議と心地好い。
そして私と春人君はそのまま互いの重力に引かれ合うかのようにゆっくりと近づき始めた。月光を他所に、私達はひかれ合う。少し熱い顔で感じる鼓動は激しくは無いけど、決して緩やかでもない。平然を装う大きな呼吸音が聞こえるのは私だけだろうか?
焦らす様にゆっくり。一歩。また一歩と。
そして互いの息が微かながら感じられる距離。鼻先が触れ合い、一度、私達は動きを止めた。その間も双眸が逸れる事は無くただお互いを見つめ続ける。
全てが緩慢と進む世界の中で確認も了承の言葉も必要なく――。
私達はキスをした。それはほんの数秒、触れ合うだけの覚束ないキス。僅かに震え熱を帯びた唇から鼓動までも伝ってしまいそうな、でもそんな事を不安がる余裕はない。ただ空っぽの頭でその瞬間に身を預けるだけ。
そんなあっという間の出来事の後、温もりと柔らかな感覚を唇に残したまま私と春人君は動きまでも合わせながらそっと離れた。互いに何かを隠すような控えめの微笑みを浮かべ、手は重ね合わせたまま少しだけ身を寄せ合うと、再び正面の窓景色へと視線を戻した。お互いに何かを言う訳でも無く、たださっきと違い今度は指を絡み合わせ少しだけ強く握り締め合ったまま。
熱と高揚とごちゃ混ぜの感情。今でもまだよく分からないけど――これが恋ってやつなのかもしれない。どうせ間違ってても本物を知る時間は無いんだし、これが恋だって事にしよう。
これが私の最初で最後の恋――悪くない。
それから暫くの間、不思議な静けさを過ごした私達はまた看護師さんにバレないようにひっそりと病室へ。その間もこのままどこまでも一緒に行ってしまえそうな程しっかりと手を握り合い、そこにはずっと春人君がいた。
「あのさ。その……」
無駄な音を立てないようにドアを閉め私のベッド前で立ち止まると、春人君は小さな声で何か言いたげ。でも口ごもる彼の口から言葉が出るよりも先に、繋いだ手から温もりと一緒に伝わって来た気がした。
「いいよ」
伝わった事が嬉しいのか返事が嬉しかったのか、春人君は感情のままに表情を染めた。
そして私達は手を離すとベッドへ入り並んで寝転んだ。
「ちょっと狭いね」
流石に二人で寝るには狭く肩が少し押し合うけど、いつもより温かくて心地好い。今はむしろこの方が良い。何故か今は少しでも温もりを感じていたいから。でも誰でもいいって訳じゃない。
お互い肩に寄りそうように頭を添わせ、指を絡み合わせながら手を握り、一つの布団を分け合った。体温とは違った温かさが冬の熱よりも染渡る。
「桜良ちゃん」
「何?」
殆ど耳元で囁くようなものだからお互いにヒソヒソ声。
「……どんな事があっても」
ほんの少しだけ途切れた言葉。でもすぐに続きの声は聞こえて来た。
「最期まで僕が一緒にいるから」
まるでそれは私があと数日で死ぬ事を見透かしているかのようだった。でもきっとそれは私がこんな状況だから深読みしてしまうだけで、もし死神という存在を知らない状態で聞いたら素直に受け取っていたんだろう。
「ありがとう」
だけど、どちらにせよ私の返す言葉は変わらない。感じる気持ちは変わらない。
もし最期を迎える時にこうしていられたら、それだけで私の人生は良いモノだったって言える気がする。我儘かもしれないけど、どうせならこの心地良さの中でこんな気持ちに満たされながらがいい。この恋ってやつに抱かれながらが……。
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