死ぬ前日だっていうのに何もやる気が起きない。だけどいつもより寒いのを感じるぐらいには生きてるらしい。時間はさっきお昼を食べたから昼過ぎぐらいだろうか。
でも心に張り付いていたあの深い錘が昔の事のように何故か気分は幾分か軽くなっている。昔の事というより鎮痛剤で無理やり痛みを麻痺させたって言った方が良いのかもしれない。
そんな惰性で生きてるような私はただベッドでぼーっとしてた。
「桜咲ちゃーん!」
それはドアを開ける音とほぼ同時に聞こえて来た。少し吃驚とした私がドアの方を見る頃には、菜月さんが閉まりゆくドアを背に半分ぐらいベッドへ近づいてきている。
見慣れた菜月さんだったけど、でもそれはマフラーと少し薄手の上着――私は初めて見る私服姿の菜月さんだった。
「どうしたんですか?」
「んふふー。今日は休み」
休日にわざわざ私の所へ来るなんて忘れ物だろうか? 私は問うように首を傾げて見せた。
すると菜月さんはニコニコとしながら椅子に腰掛けると手に持っていた紙袋を私の脚の上へ置いた。
「出掛けよっか。一緒に」
「えっ?」
余りにも突然で予想外の言葉に私は聞き間違いか冗談を言われてるんだと思った。
でも驚顔で少し待ってもそんな声は聞こえてこない。
「えーっと……」
「だから、今から出掛けるよって。ほら、洋服持ってきたらちゃっちゃと着替えちゃって!」
そう言うと菜月さんは紙袋から本当に服を取り出した。
「大丈夫。ちゃんとご両親にも先生にも許可貰ってるから」
「いや。でも私……」
正直に言えば、行きたくない。そんな気分じゃない。だからそう言おうとしたけど、私の言葉を菜月さんの大きな声が遮った。
「却下! 却下しまーす! 早く着替えてくださーい」
菜月さんは私の服へ手を伸ばし一番上のボタンに触れた。そして視線だけで外していいかと尋ねて来た。
分かっている。菜月さんが私を心配して折角の休みなのにわざわざこうして来てくれてるって事は。その溢れんばかりの優しさを思えば――それにもう菜月さんに会えないって思えば私の気持ちなんてそこまで優先するもんじゃないのかもしれない。このまま拒絶して私が死んでしまえば、もしかしたら菜月さんが後悔してしまうかもしれない。今日、無理矢理にでも私を連れて行けば良かったって。
そんな事を考えると、私にはそれ以上その優しさを拒絶する事は出来なかった。
「分かりました。でも自分で脱ぎます」
そう言って菜月さんの手をそっと退けると私は持ってきた服へと着替えた。
私の服じゃなかったそれは、タートルネックとロングスカートに上着。全身が知らない匂いに包み込まれ、新居に引っ越した初日のような気持ちだ。でもその匂いは心地好くて好きな匂い。
「いいね! いいね! 可愛い!」
入院中は当然ながらこんな格好をした事ない私は少し落ち着かない。でも菜月さんは表情に花を咲かせていた。
「あっ! そーだ。折角だし化粧とかしちゃう? した事ある?」
「いや。化粧は……。高校に行ってた時も遊びにとか無かったですし」
「じゃあアタシがしてあげるからおいで」
言われるがまま私は菜月さんの前に座ると早速始まった。何をされてるかは全く分からないから私は黙ってただされるがまま。
「次は唇かな。これアタシも使ってるけど大丈夫? そう言うの気になったりするならしないけど」
「全然大丈夫ですよ」
「おっけ。それじゃあ」
終始、気分的には顔に落書きでもされてるような感じだ。
「よーし。出来た。――はい」
そう言って菜月さんはスマホの内カメで私の顔を見せてくれた。
「おぉー」
それは私であって私じゃない。まるで青々とした草原を綺麗な花が彩るような――。
「桜咲ちゃんはやっぱり素材が良いからねぇ。薄めでちょっと手助けするぐらいにしてみました」
「凄いです。なんか――化粧してるって感じがして」
自分の顔は好きでも嫌いでもないけど、なんだが画面越しに見るこの自分は少しだけ良い気がする。初めての化粧に感動もあるのかもしれないけど、ちょっと見入ってしまってた。
「化粧は掛け算ってね。もっともっと可愛く、綺麗になったね」
菜月さんは私からスマホを取ると隣に座り頬擦りする程に顔を近づけ一枚。シャッターを切った。
「それじゃっ、いこっか」
そして私の手を取り立ち上がるとそのままドアの方へ。未だこの状況を完全には呑み込めてない私を連れ、本当に病院の外へと出てしまった。若干ながら逃げ出すような気持ちの私はいいのかと一度病院を振り返ったけど、菜月さんはその間も手を引き遠ざかって行く。
病院を出て真っすぐ向かったのは車だった。軽自動車の鍵を遠隔で空け、まずは助手席を開く。
「どうぞ」
その言葉に促されるがまま私は助手席へ。丁寧にドアまで閉めてくれた菜月さんはぐるっと回っては当然ながら運転席に乗り込んだ。ほんのり柑橘系の匂いが心地好い車内は好きで装飾されつつも掃除は結構行き届いている。
「それじゃあしゅっぱーつ!」
掛け声と共にエンジンが掛かり――動き出す。
「あの、どこに行くんですか?」
車がまだ病院の駐車場すら出る前に、私は一番の疑問を口にした。
「んー。行きたいとことかある?」
「いえ。特には」
「じゃあ……。映画とか。どう?」
そこに余り細かな計画は無いんだろう、菜月さんは本当にその場で思い付いたといった様子だった。
「桜咲ちゃん。結構ドラマとか映画とか観てるじゃん」
「まぁ正直、やる事がないから見てるって言うのもありますけど……。でもよく考えたら私、映画館で映画観た事ないですね」
「えぇー! ホントに!?」
余りにも驚いたのか運転中なのにも関わらず一驚を喫する菜月さんは私の方を見た。もちろん、一瞬だけ。
「じゃあ映画だね。一回ぐらいあの映画の中に入る感覚を味わってほしいし」
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