「おぉー」
実質的に私も個室だけど、それとは違ってちゃんとした個室に思わず声が溢れ出た。少し広々とした空間は当たり前だけど私のとこよりは狭い。だけど逆にこの良い感じの広さが自分の為だけの部屋って感じがする。窓も棚も椅子も、ここにある全部が自分の為だけにあると思うとなんだが関係ない私でもニヤけてしまった。そしてそんな空間に堂々と置かれたベッド。心做しか私のより大きく見える。
これが個室! とそこは私に突き付けるかのような部屋だった。
「実はもっといい個室もあるんだよ」
どこか得気なようにも見える先生の言葉に私は、ここ以上に凄いスイートルームみたいな部屋があるのかと少し心躍った。きっとそれこそホテルのような部屋なんだろう。
「まぁでも私の個室も広々としていいですよ」
個室と言う特別な部屋を前に私は強がりと冗談を混ぜ合わせたような気持でそんな対抗をして見せた。
「確かにあれは凄いね。あんな状況初めて見たかもしれない」
笑いを零しながら何度か軽く頷く先生。もしかしたら私はスイートルームよりもレアな病室にいるのかもしれない。そう思うと何だか勝った! と気分好くなって来た。
するとそんな気分の中、私は根本的な疑問を思い出し先生に尋ねてみた。
「でも先生こんなとこで何してるんですか?」
「あぁ。丁度、ここの患者さんも退院したし少しだけ時間が空いたから」
そう言ってカップを顔の位置まで上げ見せる先生。
「ちょっと休憩。ここだと人目にもつかないからね」
「つまり、サボりって事ですか?」
わざとらしく突くような視線を向ける私に先生は又もや零すように笑った。
「手厳しいね。まぁやる事が無い訳じゃないし、ちょっとぐらいはね」
どこか悪戯っ子のような表情と共に立てた人差し指を口元へ持ち上げる先生。
私は小さく笑うと少し大回りで部屋を見回しながら先生の隣へ並んだ。窓に広がる景色は穏やかで季節の香りとでも言うように珈琲の匂いが微かに漂う。
「そういえば昨日は水鳥川さんと出掛けたんだって?」
「はい。休日だったのに私の為に」
「確かに彼女は患者さんに親切だけど、君は少し特別に思ってると思うようよ」
以前の私なら否定してたかもしれないけど、今なら分かる。菜月さんは私にとっても他の看護師さんより特別な人だから。
「そうかもしれないです」
僅かにはにかむ私の声は小さかったけど、隣の先生へ届けるには十分な大きさだったと思う。
それから自然に現れた沈黙の後、私から言葉を口にした。
「私、菜月さんもそうですけど他の看護師さんも、先生にも会えて良かったです」
それは改めて溢れてきた率直な気持ちだった。
だけど同時に私は心の中で首を傾げてしまう。妙な違和感というか、突っかかりのようなものを感じた。
「でもそれって矛盾したっていうか、変な感じなんですよね。病気じゃなかったら出会えてなかった訳ですし。だからといって病気で良かった訳でもないし……。病気がキッカケで起きた私にとっての良い出来事って素直に喜んでいいのかなっていうか……」
まとまり切らない上に自分でも良く分からないこの感覚に、私は実際にも首を傾げた。
でも先生は柔らかに微笑みを浮かべていた。
「塞翁が馬って言葉知ってるかな?」
「さい? 何ですか?」
「にんげんばんじさいおうがうま。故事成語なんだけど、簡単に言えば幸運も不幸もその一面だけ見て判断する事は出来ないって意味だね。幸運な出来事が不幸に繋がる場合もあるし、不幸な出来事が幸運に繋がる場合もある。結果的に見れば幸運も不幸に成り得るし、不幸も幸運に成り得る。だからどんな出来事も良いか悪いかは判断出来ないんだよ」
何となく言葉の意味は分かった。しかも先生が説明してくれたから、何だが一気に頭が良くなったような気分だ。
「君が病気になった事は不幸だけど、結果的に出会いがあって幸運を生み出した。でも、そんな事を言い始めたらキリがないし、どこまでがその出来事の影響だったのかだって分からない。だからまぁ、何が言いたいかと言うと――気にすることは無いよ。それが今の君にとって幸運なら十分に楽しんで幸せを噛み締めるといい。逆に不幸ならそれが幸運に繋がると思えばいい。完璧な楽観主義になる必要は無いけど、そうやって上手く利用すればいいと思うよ」
「じゃあ、先生や菜月さんや他のみんな、あと――春人君に出会えた事は、私にとって素直に幸運な出来事だったって事ですね」
「そう思ってもらえて嬉しいよ」
先生はそう言ってまだ口角の上がったまま珈琲を一口。
「それにもし君が病気じゃなくても水鳥川さんとや西崎さん、あと僕とも、出会ってた可能性はあるからね。体調が悪くて診察に来た時とか、もしかしたら何かのイベントでとかね。さっきの塞翁が馬じゃないけど、人との出会いも人生も何が起きるか分からない。巡り合わせだよ」
「看護師やお医者さんって特に人との出会いが多そうですよね」
私が横を見ても先生は窓の外に視線を向けたままだった。
「どうだろうね。でも確かにこれまで沢山の出会いがあったよ」
先生は言葉を口にした後に悲し気な微笑みを浮かべたが、それを隠す様にカップを口へ。沈黙と言うには余りにも短い間を空け、先生は新たな言葉を口にした。
「病院っていうのは本当に不思議な場所だよ」
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