「でも結局、明日だけに限らず価値なんてものは個人の感覚だからね。僕はそもそも比べる事すら出来ないと思うよ。いや、そこにはただ淡々とした現実があるだけでそう言う意味では変わらないのかもしれない。でもやっぱり価値なんてものは主観的でその人が自分の方があるって思えばそれが正解だからね。だからその子の言う事も間違ってるとは思わないけど、一概には言えないよ」
少し難しい話に納得しつつも上手く呑み込めていなかった私が何か返事をするより先に先生は思い付いたような笑い声を零した。
「まぁこんな理屈っぽい事じゃなくて、あの子が言いたかったのはもっと別の事だって言うのは分かってるんだけどね。大学生の時に読んだんだけど、その時はそんな台詞に感動したのを覚えてるよ」
そんな懐旧の情を含んだ微笑みを見ながら私は、一人更に踏み込んだ事を考えていた――というよりふと思った。それは死を目の前にした今の自分に対するチクリと刺すような感覚。
「でも死が迫った途端に大切なモノに気が付くとかって映画なんかでよくあるシーンですけど、それって本当に大切なモノなんですかね? 例えばもうすぐ死んじゃうから周りの人に感謝したりしだすのって――なんか都合が良い気がするんですよね。手のひら返しってわけじゃないですけど……それって本物なのかなって」
もうすぐ死んでしまうから思い立ったように感謝して、それって何だが相手に感謝の気持ちを伝えたいんじゃなくて満足したいんじゃないかって――自分が今正にしていることが、本当は自己満の為にやってる事なんじゃないかって、ふと思ってしまった。でもそう思うと一気に不安が溢れ出してきた。もしかしたら私はそうやって最後は気持ち良くなって死にたいだけなんじゃないかって。
だってもし死ななかったとしたら、こんな風にちゃんと言葉にする事もしなかっただろうし。それに本当に思っているのなら普段でもするはずなのにやっぱりそれって……。
「普段は当たり前過ぎて気が付かなったりする事はあるからね。それこそ死と同じでね。失って初めて気が付くなんて言葉もあるわけだし。それにもうすぐ死ぬって時にわざわざ思い出したり、する行動って本当にしたくないと出来ないんじゃないかな? 明確な制限時間があるのにどうでもいい事に時間を割かないでしょ」
「大切だって錯覚してるだけかもしれないですよ?」
「もしそうだとしても錯覚したまま大切な何かを大切に出来たって満足しながらならそれもいいじゃない。そういう機会があって改めて大切って思える時点で十分だと思うよ。本当にそうじゃなかったら思い出しすらしないかもしれないから。それに、感謝するって別に悪い事じゃないからね。もし違ってたとしてもいいんじゃないかな。まぁでも、確かに感謝の気持ちなんかは普段から言えるといいね」
先生はそう言って私をコップを持った手で指差した。
「それに自分が大切だって思えればそれは大切なモノだと思うよ。時間の経過で変わる事はあるかもしれないけど。と言うより僕には、その感情が本物かどうかなんて分からないからね。だから大切だって感じたらそうなんだよ。もし違ったらその時にまた考えればいい。まぁこの場合、疑って考えてじっくり煮立たせる時間はないけどね」
少しでも空気が重くならないようにしたのかちょっと冗談交じりで最後の言葉は口にしてた先生だったけど、私にとってはそれは気持ちの良い程しっくりとくる一言だった。自分のしてる事に不安を覚えてしまったけど、確かに今の私にはもう時間が無い。この気持ちが本物かどうかなんて事を考えてる時間も無ければ、もしそうだったとして別の何かをする時間もない。
ならこのまま自己満だとしてもするべきって思った事をするしかないのかも。それに先生の言う通り別に悪い事をしてる訳じゃないんだし。
「そうですよね。それじゃあ改めて」
そう言って私は体を先生へ向け少し背筋を伸ばした。
「今日まで沢山お世話になりました」
言葉の後に深々と頭を下げ、しっかりと感謝の気持ちを行動でも伝えた。顔を上げる頃には先生も私の方を向いてて、その表情は穏やかな微笑みに染まっている。
「これで何も無くて退院出来たら、あとは定期検診の時だけ顔を合わせられればいいね」
「もしかしたらいつの日かほぼ毎日、病院で顔を合わせる事になるかもしれませんよ」
ニヤり、口角を上げ私はそんな事を言ってみた。でもそれは、もしすら逃げ出してしまう程に決して訪れる事の無い未来。分かってる――けど、先生との最後を少しでも楽しくしようと思ったら自然とそんな冗談交じりの事を言っていた。
「それは楽しみだね。もし同じ職場の人として会う時が来たら感動しちゃうかも」
私の思惑通り、先生は楽し気に笑っていた。
でも「あっ」と声を上げると時間を確認し始める。
「そろそろ戻らないと、一緒に働く前にクビになっちゃうよ」
そう言って珈琲を口へ運びながら先生はドアへと歩き出した。それに続き、先生が開けてくれたドアから外へ
「調子が良いのは良い事だけど、あまり無理はしないように。ここで燥いで台無しになったら勿体ないから」
「はい。一人でも多くの患者さんの為に頑張ってください!」
「ありがとう」
最後に笑みを浮かべた先生は軽く手を振り仕事へと戻って行った。
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