「はい。まだ幼子の貴方です」
そう言われてもまだ他人を見るような感覚だった。自分の両親と知らない赤子。何だかパラレルワールドにでも紛れ込んでしまったような不思議な感覚の中、私は足を進め二人の間からベビーベッドを覗き込む。
すると丁度そのタイミングで可愛らしい女の子は全ての人を魅了してしまいそうな笑顔を浮かべた。自分で自分の事をこんな風に思うのは少し気持ち悪いかもしれないけど、他人みたいな感覚だからそう思ってしまうのかもしれない。
その女の子は思わず顔が緩んでしまう程に愛らしかった。
『あっ! 見た? 今私見て笑ったよ』
『絶対にこっちでしょ?』
そんな言い争いと言うには余りにも平和なやり取りをする両親を他所に私は笑う私と目を合わせていた――気がした。
「もしかして私の事見えてるんですか?」
余りにもこっちを見てる気がしたから私は思わずベッドを挟んだ向かいの真さんへそう尋ねた。
「いえ。あくまでもこれは過去へ戻った訳でなく記憶に過ぎません」
だけど視線を下ろしてみれば両手両足を動かしながら笑顔を振りまく彼女は私を認識しているようだった。
すると、突然景色は一変しリビングへ。振り返ってみると両親の間で赤ん坊の私が床にうつ伏せ。泳ぐように手足を動かしている。かと思えば数歩分だけ前へ這った。
『見た!?』
『ハイハイしたね!』
『うわぁー。動画撮れてないよぉ』
『桜咲ちゃーん。ほら、おいで! もっかいやってごらん』
スマホを構える父と私を呼ぶ母。でも理解してない私は手足を動かしてその場で跳ねるように上下へ揺れいている。望み通りにもう一回はないけど、二人とも楽しそうにしていた。
そして又もや景色は変わり、今度は洗濯物を畳む母と傍で座りなりながら玩具を弄ってる私。何気ない穏やかな日常がそこにはあった。
そんな中、私は玩具を投げ捨てると両手を床へ着け徐に立ち上がり始めた。酔っ払いとしては将来有望な今にも倒れそうな震え脚で。
だけど一方、赤ん坊としては失格で中腰になるまで母親は洗濯物に視線を落とし続けていた。
そして横目で私の様子を確認すると、瞬時に視線を戻し二度見。
『えっ! うそっ!』
声を上げながら畳んだばかりの服を投げ捨てスマホを取り出した。そして片手で私を支えられるようにしながらほんの数秒だけ立ち上がった私へカメラを向けた。
『んー。ちょっとだけかぁ』
ほんの少しだけ映されたところで私は尻餅。満足気に笑ってた。そして今度は両親の前でクララばりに立ち上がる私。
『おぉー!』
『すごーい!』
ただ立ち上がっただけだというのに海の向こうで日本人選手が快挙を成し遂げたかのような歓声が我が家にだけ響き渡る。それを分かっててか、私は両手を高々と上げていた。
それからも幼い私との想い出が目の前で起きているかのように場面を変え流れていった。幾つもの知らない想い出。でも馴染み深い温もりがそこにはあって微笑ましい光景だった。それに例え自分であったとしても赤ん坊っていうのは可愛らしい。
それともう一つ。改めて分かった事があった。もしかしたら同じ境遇の人からすれば当たり前の事かもしれないけど。私にとってそれは気恥ずかしくも嬉しい事実。
「二人共すっごい幸せそう」
それは両親が私を愛してくれているという事だ。私の些細な事に対しても一喜一憂して、二人の中心はいつでも私。直接言われなくても、その姿を見ているだけ伝わる。
そこにある無償の愛を。よくお見舞いに来てくれたり、決まって楽しそうに話してくれたり。普段から感じてないって訳じゃないけど――こうやって客観的に見てみると改めて感じる。
「もっとお礼とか言った方が良かったかな」
「きっと伝わっていますよ。その感謝も、その愛も。貴方がそうであるように、きっと伝わっています」
「そうだといいな」
それからも私の想い出が足早に再生されていった。初めて見るようなモノから懐旧の情を湧き上がらせるモノまで。もちろん春人君との想い出も。でも私が思っていた以上に私の人生ってのは、四季折々のカラフルなモノだったのかもしれない。温かくて心地好くて――少しだけ胸が高鳴って。
すると場面は変わりそこは病室。残念な事に家よりもこの景色の方が馴染みを感じてしまう。そんな病室のベッドで眠る私と両側に座る両親。季節が分からないから時間帯も分からないけど、外は真っ暗だ。
「桜咲はどうだって?」
「最近は良いって」
「そうか。なら近いうちに退院出来るかもしれないな」
「そうだといいけどね」
二人は同じタイミングでお茶缶を手に取り口元へ。
「それにしても。桜咲ももうそろそろ高校か」
「早いわね」
「そうだな」
お父さんはまたお茶を口にすると穏やかな微笑みを浮かべた。何か想い出にでも浸っているのか、それを肴するようにもう一口。
「普通なら部活したり遊んだりして青春を謳歌してたんだろうな」
いつの間にかお父さんの顔は複雑なものへと変わっていた。まるでもどかしさを表現したような一言じゃ表せない表情。
「もし……。もし、他の家に生まれてたら――そうなってたかな?」
視線を落とした缶をじぃーっと見つめるお父さんの表情はより一層複雑なものになっていた。
「普通に学校行って。普通に友達と笑って。普通に反抗期して。普通に……」
それはぼそり呟くような声だった。
「今の桜咲は幸せなのかな? 桜咲はどう思ってるんだろう?」
少しずつ缶を掴む手に力が入っていく。
「もしかしたらあの子は、俺達の事を――」
「大丈夫よ」
でもそんなお父さんの手を、隣へ移動したお母さんの手が包み込んだ。その動きも、触れ方も、声も、視線を上げたお父さんを迎えるその表情も――全てが優しくて温かい。
「きっと大丈夫」
たったそれだけ。でもたったそれだけで十分だった。その一言が、その微笑みが、その手から伝わる温もりが――全てを包み込んでくれる。まるで春先のぽかぽかとした心地好い日中のようで、不安を溶かしてくれるんだ。不思議だけどお母さんはそういう人。私も何度元気づけられたことか。何度支えられたことか。
「そうだな。それに本当に辛いのは桜咲自身なのに、俺がこんなんじゃ駄目だな!」
お父さんは決意したかのようにお茶を呷った。そしてそれからすっかり日の差した二人は未来の希望について語っていた。
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