――知らなかった。まさかこんな風に苦しんでたなんて。いつも私の前じゃ笑って陽気に振る舞ってたから。私を見てそんな責任を感じてたなんて……知らなかった。もしかしたらお母さんも見えないところじゃそうだったのかも。いつも笑顔で優しいお母さん。でも私はその裏に隠れた悲しみを知らない。当たり前って言われればそうかもしれないけど、私は表の深い愛情しか見えてなかったんだ。
心臓よりもっと奥の方が握り締められる感覚――気が付けば泪が止まらなくなっていた。そして脚の力が抜けその場に座り込んでしまう私。
「ごめんなさい。私の所為で……こんな……」
自分の泪に濡れた声を聞きながら勝手に脳裏で再生される記憶。
実は私も思った事がある。ドラマで幸せそうな家族を見た時の事だ。ふと私は両親は幸せなのかと思った。自分の子どもが入院を繰り返して、旅行どころか出掛ける事も出来ないし家族団欒は殆ど無い。治療や入院費も掛かるし、ドラマの中みたいに何気ない日々で感じる幸せがあるんだろうか。我が子を持つ幸せを二人は感じられているんだろうかって。
私みたいなのが子どもで本当はガッカリしてるんじゃないかって。思った事がある。でもそんな事を直接訊ける訳もないし、いつの日か忘れてしまっていた。だけど数日は両親に嫌われる夢を見るぐらいには、辛くて怖くて悲しくて。理由もない不安に襲われてる気分だった。
「不安にさせてごめんね。悲しい思いにさせてごめんね」
何とか膝立ちになりベッドから顔を出した私は置いてあった二人の手に両手を伸ばした。でも触れる事は出来ず手はすり抜けベッドへ落ちる。
「私は……」
届かないと分かっていても、その想いを言葉にせずにはいられなかった。自己満だとしても声にせずにはいられない。
だけど言葉を遮るように辺りは私の感覚ごと溶け消えていった。それは一瞬の出来事だったけど、まるで自分自身が世界へ溶けていくような不思議な感覚。
そして気が付けば私はベッドの上にいた。仰向けで横たわり腕や口元に何か感覚があるけど、全く気にならない少し夢現な感じ。朝か……、なんて悠長な言葉が脳裏を過ぎりそうな心地の中、私はそっと瞼を上げた。でも思ったより動かなくて視界は睫毛で少しぼやけ気味。
そして遅れて聞こえてきた感情の無い機械音と啜り泣く声。顔を動かす力が湧かない私は視線だけをそっと動かし、声の聞こえる右側へ。
そこには私のベッドへ片手を伸ばし顔を俯かせる二つの人影があった。双眸に映る光景だけじゃ誰か分からない角度と視界だったけど、考えるまでもなく分かる。まるで常識であるかのように私はその二人が誰だか確信していた。疑う事も確認する事も無く、そっとさっきの言葉を続けた。
『二人の子どもで幸せだったよ。産んでくれてありがとう」
でも口は動いてない。声は出てない。今の私には微かに瞼を上げる力しか残っていなかった。心の中だけでハッキリと言葉にし、想いだけを送るしか出来ない。
だけどそれでいい。何故か伝えられた気がする。気持ちは満たされ、心の痼りがじんわり溶けていくような穏やかな感覚。奥底からゆっくりと込み上げる。恐ろしくも、心地好さ。
すると揺れる水面のような感覚の中、ふと両親は顔を上げ私の方を見た。ただの偶然か、その表情は多少ばかり一驚としてるような気がする。伝わったのかも……そんな安堵が蝋燭のように灯った。
「先生……」
それは遠くの汽笛のように小さな声だった。両親とは反対側から聞こえ、私は視線を横断させる。
そこには先生と菜月さんが並んで立っていた。二人して良いとは冗談でも言えない表情をしている。菜月さんに関しては今にも泣いてしまいそうだ。
『ありがとうございました』
それから引き寄せられるように視線は足元の方へ。周囲はカーテンが覆っていたが、そこにだけ天から射すように細い隙間が空いていた。
その隙間の向こうには春人君が――いや、いるはずもない。それは真さんだった。
誰にも気付かれぬまま、真さんは隙間から中へ入ってくるとその足で枕元へ。そっと腰を下ろした。
「本日で丁度一週間。如何でしたでしょうか?」
私はこの一週間を軽く思い出してみた。正確にはさっきまで見ていた走馬灯のような想い出の数々を。
「んー。意外と楽しかった?」
たった一週間の間に思い返してみれば色々な事があった。初めての体験だらけで新鮮だったし――それにただ単純に楽しかった。そう、楽しかった。無垢な子どものようにその日、その瞬間の出来事を楽しんで、未来への期待が胸を埋め尽くしている。無意識的に明日もまた何か楽しい日になるって思ってて、その未知に心躍らせてた。
「うん。楽しかった」
「それは何よりです」
真さんは安堵を含んだ微笑みを浮かべた。
「最初は特にやりたい事もなくてこのまま同じ様に過ごして終わるんだろうなって思ってたけど。結局、意外と色々あって良かったかな」
「少しでも良き最後になれたのなら幸いです」
思い返してみれば最初の頃、私は別にこのまま死んでもいいって思ってた。例え今日死ぬ事になっても悔いはない。この先もこんな感じで続いていく。人生に冷めた人間。病気に関係なくそういう性の持ち主なのかもしれない。でも人生に対して絶望してる訳じゃない。死にたがりでもない。ただ生きる事に対して感情的になりずらいってだけで――って一体誰に言い訳してんるだろう。
だけど――。
この作品が気に入ったら

コメント
まだコメントはありません。
会員登録(無料)かログインをすると、コメントを書けます。