そしてその日の夕食時。いつも通りの時間帯になったのにやってきたはずの菜月さんは手ぶらだった。
「あれ? 今日は時間遅くなったんですか?」
「実は今日の夕食は――ありません!」
そう両手を合わせ頭を下げる菜月さん。
「えっ?」
でも私はついていけず混乱状態。だってそんな事あるあずないから。というかあっていいはずない。
「なーんて」
だけど私が追いつく前に菜月さんは更に先へと行ってしまった。
意地悪な笑みを浮かべる菜月さんをポカンとした表情で眺める私。その状態のまま辺りにはスベったような沈黙が流れた。
数秒だけだけど体感ではもう少し長く続いた時間が止まってしまったような沈黙。それを静かに破ったのは菜月さんのわざとらしい咳払い。
「とにかく、今日の桜咲ちゃんの病院食はナシ」
菜月さんは両腕を体の前で交差させ罰点を作っていた。
だけどちゃんと言い直されても内容は変わってないし、相変わらず意味が分からない。だから私は当然の如く首を傾げた。
「そんな事ってあるんですか?」
自分で「今日の夕飯はいいか」と抜くことはあっても病院側から抜きにされることなんてあるのだろうか? いや、あっていいものなんだろうか? いやいや、あってたまるか。
「いやいやいや。病院食が無いだけで夕食はちゃーんとあるよ。そりゃもちろんね」
「えーっと。どういう意味ですか?」
「なんか、桜咲ちゃんのお母さんが先生から許可もらってご飯持ってくるらしいよ。だからもう少し待ってれば食べられるから。分かった?」
「まぁ……はぃ」
「じゃっ、アタシはこれにて~」
バイバイと手を振りながら菜月さんは颯爽と病室を後にした。
一方で私は言われた意味は分かったものの、残った疑問に菜月さんの姿が見えなくなってから最後にもう一度だけ小首を傾げた。だけどとりあえずはお母さんを待つしかないようだ。そうしないと私の夕飯はない――らしい。
そして菜月さんから今日の夕食の事を聞いてから十五分も経過してない頃。
「桜咲ー」
菜月さんの言っていた通り病室へお母さんがやって来た。
「遅くなってごめんね。お腹空いたでしょ?」
「うん。少し」
待っててねー、お母さんはそう言いながらまずお茶をテーブルへ。
「今日は桜咲の好きな物持ってきたら。ちゃんと先生にも許可貰ったから安心して食べていいわよ」
私より先に嬉しそうな笑みを浮かべていたお母さんが取り出したのは弁当。最初はどうしてわざわざと思ったが、目の前に置かれた弁当を見て私は納得すると共にその意味が分かった。
そんな豪勢な弁当に詰まっていたのは――海老。
「桜咲、海老好きでしょ」
しかも伊勢海老もある海老づくし弁当。私にとっては正しく宝箱だった。
「やったぁ! 海老だ!」
嬉々としながらも脳裏で私は真さんに試すような感覚で話した最初の望みの事を思い出していた。
「いっただきまーす」
そう言って早速、伊勢海老を頬張る。初めて食べる伊勢海老は最早――何かを言うまでもなく美味しい。ぷりぷりで甘く、旨味の塊を丸かじりしているような――食べる度に頬が落ちていきそうだ。その他にも車海老など海老好きには堪らないどこを食べても海老に満ちた弁当は、食べる度に幸せになれる魔法の弁当でもあった。
良い意味で海老に溺れるとでも言うのだろうか。病院食でもたまに海老が入った料理やエビフライなんかが出てきたりもするが、種類はともかくここまで海老づくしっていうのは当然だけどない。
いつもなら入院生活が何もすることがなさすぎて多少は楽しみな時間だけど、今日は格別。幸せで、満腹もこないままずっとこの時間が続けばいいのにって心から思える。そんな時間だった。
でも食べ続ければいずれ弁当は空になっちゃうしお腹も満腹になっちゃう。幸せは終わりを迎えた。
「ご馳走様でした」
「どうだった?」
「すっごい美味しかった! ありがとうねお母さん」
その後は満足とちょっとした落胆で弁当とは逆に満杯になった私と少しだけ話をして――それからお母さんは家へ。
「どうでしたか?」
それは病室の電気も消え、あとは静かに眠るのを待つだけという時間帯。
まだ眠りに就けそうになかった目を開けると、菜月さんが閉めたはずのカーテンは開き、窓際にはやけに綺麗な月灯かりを浴びる真さんの姿があった。
「プレッシャーを掛ける訳ではありませんが、これで最期の一週間の最初の一日が終わりました。どうでしたか? 貴方にとって少しでも良い一日になったでしょうか?」
「んー」
そう言われ改めて今日という日を思い返してみた。好きな漫画の新刊を読めたり、それだけじゃなくて作者と会えたし誰も知らない事も教えて貰った。サイン色紙まで。しかも夕食は病院食じゃなくて一生のうちに食べるかどうかの豪勢な海老弁当。
思えば私の言った事は全部叶っていた。流石に偶然とも思えないし――という事はやっぱり彼は本物の死神なのかもしれない。同時に私の命はあと一週間。いや、正確にはあと六日かしかないらしい。それともあと六日間は夢が叶い放題とでも言った方がいいのだろうか。
「まぁ、美味しい物も食べられたしいつもよりは楽しい一日だったかなぁ」
「それは良かったです。では、あと六日間よろしくお願いします。出来る限り貴方の最期が良き日々になるよう努めさせて頂きますので」
真さんは深々と紳士的なお辞儀をした。
「こちらこそよろしくお願いします」
それにベッドに寝ながらも会釈で返す。まさか死神に対してそんな言葉を言うなんて誰が想像しただろうか。少なくとも昨日までの私は言われても信じなかっただろう。
「では貴重な明日という一日の為、お休みなさいませ」
そう言って真さんが先程よりは軽く頭を下げると、それに合わせカーテンは一気に閉まった。そして突然だが緩やかに襲ってきた睡魔に私の意識は滑らかな曲線を描き薄れ――消えていった。
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