『神』は実在した。
正確には、『神』と呼ばれる存在は実在した。
ヨグ=ソトス、彼は現実世界に生きている。
漆黒の翼を生やし、同じく漆黒の髪は腰まで達する。
闇を感じさせるソレとは逆に、瞳は白金色で肌は透き通るように白く神聖なものを感じさせた。
彼が存在するその場所の周囲の空気は、その膨大な魔力の為か僅かに歪んでいた。
ヨグは、僅かに微笑み呟く。
「……ここまで、か」
高台に位置した彼の眼前に広がる、数万にも及ぶ『魔』の集合体。
それらは全て、ヨグに向けて敵意を放ち迫って来ていた。
対してこちらは、ヨグただ一人。
……生き残るのは、無理そうだ。
しかし、そんな中でもヨグは涼しげに微笑んでいた。
これで、良かったのかもな――
そう思いながら、ゆっくりと敵の大群に向かって歩き始めた。
*
魔界、と呼ばれる場所があった。
所々で瘴気が渦巻き、一般的な人間であればそれだけで息が止まるような場所であり、そうではない瘴気が発生しない所を魔界に住むものは『下界』と呼んでいた。
しかしながらそんな中を平気で生活出来る者たちがいる。
『魔の者』『超越者』『人外』――
様々な呼び名がある中で、最も多く呼ばれていたのは『魔族』である。
二足歩行のトカゲのような奴も『魔族』。
白い翼を生やし高貴な見た目であっても『魔族』。
魔界に居て、そこに住むことが出来ていたのならば『魔族』と呼ばれる随分と乱暴な分類分けであった。
その中でも、特に力の大きい『魔族』は特別に『魔王』と呼ぶ事がある。
魔王の元には付き従うものがおり、そしてそれが集まれば更なる力を生み出した。
そしてそれらがぶつかる事は日常茶飯事であるし、また付き従う者が反乱を起こす事もよくある事だった。
争う事が通常運転。
そんな状況に、ヨグは疲れていた。
ヨグ=ソトスは、『魔王』である。
目指したわけでもなく、なりたかったわけでもなく。
自然と魔族が集まって、勝手に領地拡大していった。
ヨグの魔力は、あまりにも膨大だったのである。
その力を利用しようとする者、あるいは恩恵にあずかろうとする者は絶えなかった。
しかし、ヨグ自身はそんな者たちを気にも留めなかった。
単純に、関心が無かった。
彼が主導で他の魔王に対して戦いを仕掛けたことは一度もなく、また領地拡大を目論んだ事も一度も無い。
『ヨグ魔王軍会議』なるものに出席した事も1度も無い。
始まる前に大抵連絡はあるものの、彼の回答はいつも「好きにするといい」だけであった。
ヨグは静かな暮らしが好みだった。
多大な力を有していながら野望を抱かない彼の性格は、この魔界では極めて異端と言えた。
そのために、彼の部下達はヨグの威光を盾に好き勝手にやってきていた。
そしてそれすらも、ヨグは気にしなかった。
ある時、ヨグ魔王軍の幹部が言った。
『魔王様に対し、いやヨグ=ソトスに対しクーデターを起こし全て我々のものにしよう!』
その部下達は続いた。
『そうだ! そうだ!』
ヨグに対して従順と思われる幹部は言った。
『そうだ! そうだ!』
結局の所、ヨグに付き従った者達は、彼の思想に付き従った訳ではなかった。
ただその強大な力という後ろ盾が欲しかっただけである。
なので適度に領地拡大、加えて内部で仲間を増やしクーデターを起こすタイミングを今か今かと見計らっていたのだ。
「……五万、いや十万近く居るのか」
猛然と向かってくる反乱軍。
それを前に悠然と歩くヨグ。
いずれこうなるだろうと何となく感づいていたため、驚きはなかった。
「まぁしかし……黙ってこのまま殺られるのも……癪だな」
彼は、『欲』というものが薄い。
恐らくそれは、生まれながらに膨大な魔力を持っていたためだろう。
彼に気に入られようとする者たちが次々と集まり、ヨグ自身が何かを欲する前に、すべてを満たしてしまうのである。
何もせずとも何でも手に入れられる環境。
だがしかしそれは、ヨグにとってはつまらないものだった。
「最大限私を利用した幹部共は、全て道連れにしてやるか」
静かに暮らしていたかった。
穏やかな生活がしたかった。
欲しいものは自分の手で手に入れたかった。
そんなに難しい願いじゃない。
だが、何一つ叶わなかった。
それは何故か。
私の魔力が膨大であるからだ。
しかし――それを利用せんと集まった浅ましい貴様らの思考が1番の理由では無いのか――
*
通常時ですら膨大な魔力で歪む周囲の空気が、一層揺れた。
それに気付かない訳が無い十万近い大軍が、一瞬止まる。
「ひ、怯むな! 敵はたった独りだ!」
幹部的立ち位置であろう誰かが飛ばした檄に、再び進軍は始まる。
勿論、ヨグは聞き逃さなかった。
高台から軍を見下ろしながらヨグは右手を前に差し出した。
先程の声の主のあたりに向けて魔力を放つ。
――魔力とは、魔族の持つ生命エネルギーの事である。
下界では別名『オーラ』とも呼ばれていた。
どちらも意味合いは一緒である。
では、どのような事が出来るのか。
答えは、何でも出来るし、何にも出来ない。
攻撃に使う事も、回復に使う事も、生活を便利にする事も、あの子のスカートを覗くことも。
要は適性によって得手不得手が有るのである。
各々が使う特殊な事象は、『能力』と呼ばれた。
そんな中、ヨグの能力は――
「……あの辺だな。 まずは一人」
ヨグが狙いを付けた所が、爆発を起こす。
彼が行ったのは、『狙った所の周辺にある魔力を、適当な一人に集め、爆散させた』というものだ。
ヨグの能力は、『他人の魔力に干渉する』というものである。
具体例をあげるならば、『どれだけ強力な攻撃を放っても、魔力を使用しているならばヨグは強奪して自分の攻撃とする事が出来る』という、一言で表すとチート過ぎる能力であった。
彼に対して魔力による攻撃をせずとも、先程のように通常流れる魔力を奪い集めて一箇所に集めて爆散、である。
「後は……あそことあそこか」
幹部らしき姿を見かけては右手を差し向けて爆発させる。
ヨグによって成されるその行為は、反乱軍にとっては防ぎようのない悪魔の――もとい、魔王の所業である。
「ひ……卑怯なり! ヨグ=ソトス!」
反乱軍の誰かが声を上げた。
十万近い大軍で一人を倒そうとしておいて卑怯もクソも無いだろ――、と流石に誰もが思ったし、発言した本人も思っていた。
ぶっちゃけ苦し紛れに言っただけである。
「……そうだったか」
ソレを素直に聞き入れてしまう所が、ヨグの弱点であった。
##
素手での戦闘が続いていた。
しかしそれでもヨグは強かった。
先程の爆散で少し数は減ったものの、減った数は千にも満たない。
だがそんなこと、ヨグ=ソトスには関係のないことである。
全滅させよう、相手は全て倒そう、などとは全く考えていなかった。
自分を最大限利用したであろう幹部を後悔させたくて反撃しているだけのヨグは、しかし幹部の顔を正確には覚えていないのでなんとなく記憶をたどりながらそれっぽいヤツに向かって前進し、それらしいやつを見つけたら確実に仕留める、を繰り返していた。
その行為は、まるで何も障害を感じることなく行われた。
要するに、ヨグを止められるものは誰もいなかったのである。
絶対に覆ることのないはずの10万>1の構図が、ありえないほど1>10万と変じていた。
休みなく、反乱軍はヨグに迫り続けた。
それでもヨグは止まらなかった。
止められなかったのだ。
反乱軍の数が約半分ぐらいに迫ったころ。
逃げ出す者もいた。しかし、誰もそれを止めようとはしなかった。
時間にしては、戦闘が開始して約一日経ったころ。
突如、ヨグの動きが止まった。
ヨグはともかく、反乱軍の方は策も何もなく、ただひたすらにヨグに向かって兵を向かわせ続けた。
結果、約半数の兵士を失い幹部連中は恐らく消え失せていた。
反乱軍の兵士はいまだ残っていたが、戦意はほぼ皆無となっていた。
なんせ、ヨグの周囲の空気はいまだ膨大な魔力のため歪んでいたし、傷の一つも付けることが出来ていなかったからである。
彼らの名誉のために言うが、彼らが弱いのではない。
ヨグがあまりにも強すぎるのである。
しかし、さすがのヨグもついに止まったのである。
「……まだやるか? 幹部は皆死んだぞ?」
「え――?」
「さぁどうする? このまま戦うか、あるいは私を捕らえるか」
「……は?」
選択肢に、なっていない気がする……?
その二択は、成立しているのか……?
捕らえられるなら、最初からそうしている。
それができないから、戦いを続けているのだが――
「お前を捕らえるまでは―――っ!!」
反乱軍の誰かが、言った。
幹部はもう全滅しているので、反乱軍にまとまりはない。
十万対一の状況で、敗勢である。
ありえない状況に、しかもそれを統率する者が誰もいない状況で誰かが声を上げた。
「良かろう。 さぁ捕らえるが良い」
ヨグは両手を広げ、如何様にでもするが良いといわんばかりに無抵抗になった。
「……と、捕らえろ! 捕らえるのだ!」
ヨグはあっさり捕まった。
満身創痍の反乱軍、対してヨグは無傷であった。
##
ヨグは、磔にされていた。
反乱軍にとっては瞬く間に半数に数を減らされた憎き相手である。
そのためにすぐさま処刑せんと剣・槍・斧など思いつくまま攻撃を仕掛けた。
しかしながら膨大な魔力のせいで刃が通らなかった。
次に火による処刑を実行した。
ヨグ自身は無抵抗且つそのつもりはなかったが、魔力が火を消してしまった。
ここまで、この魔王は強いのか――
無抵抗で、磔の状態でも傷一つ付けることも能わず。
残された反乱軍は自分たちと、魔王の力の差に愕然とした。
したが、何もしないというわけにもいかず。
なにより磔を解いて反撃を受けてしまえばもう我々は再起不能に陥るだろう――
そもそも、こんな磔など容易く打ち破れるのではないか――
その危惧は正しく、ヨグにとってこの磔自体、なんの拘束にもなっていなかった。
多少の魔力が込められているであろう自分を縛り付ける麻縄など、少し力を込めて動かせば灰と化すだろう。
それをヨグがしないのは、彼にとってもう生きることが退屈で、息苦しいものとなっていたからであった。
そんなことを、反乱軍は知らないし、知ったとしても理解できないだろう。
「……私が、何とかしましょう」
一人の年老いた魔族が前に出た。
明らかによぼよぼで、力のなさそうな、耳の長く尖った老人であった。
「……何をするつもりだ」
「……倒せないのであれば――」
この場を取り仕切る、仮の代表である魔族に囁く。
「可能、なのか」
「はい……しかし、これでよろしいか――」
「構わん。 少なくとも体裁は整う」
「では――」
老人はヨグの足元に魔法陣を描いた。
そして、印を結びながら何やらぶつぶつと語り始める。
――なるほど、転送か
ヨグは老人の様子を見て理解する。
魔法陣が光を帯び、ヨグがその光に包まれた。。
生きながらえてしまうのか――
少し絶望感を感じながら、ヨグは抵抗する様子を見せなかった。
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