入学して三日目。エルディア学術院での生活にも、少しずつ足が馴染み始めていた。
朝は寮を出て教室へ向かう。授業を受け、休み時間になれば学生たちが廊下を行き交う。昼になれば食堂が騒がしくなる。
そんな当たり前の一日が、少しずつ形になっていく。まだ新鮮ではある。けれど、初日のように周囲を気にして歩くことは減っていた。
そして今日から、本格的な専門授業が始まる。
「次は魔法学か……」
エルは手元の時間割へ目を落とした。
魔法学。その言葉を見ただけで、胸の奥がわずかに強張る。
魔法そのものは好きだ。幼い頃は何度も魔術書を読み、術式を眺めてきた。新しい魔法を知るたびに、もっと学びたいと思った。
けれど――学術院で魔法を学ぶということは、自分の内側にあるものを誰かに見られるということでもある。
もし魔力について詳しく調べられたら。
もし、自分の魔力の異常さに気づかれたら。
「……大丈夫」
小さく呟く。
リュカから教わった方法で魔力を抑えていればいい。魔王の血を引いていることと、魔力量が多いことは別の話だ。
そう自分に言い聞かせ、エルは教室の扉を開けた。
「エル」
「……あ」
声を掛けられ、振り返る。
そこにいたのはリアだった。
「おはよう」
「おはよう、リア」
「今日から専門授業だね」
「うん」
「楽しみじゃない?」
「……僕は、ちょっと緊張してるかな」
「どうして?」
「魔法学って、その……魔力を調べたりするんでしょ?」
「ああ」
リアは納得したように頷いた。
「最初は基礎的な魔力測定くらいはあるかもね。でも、そんなに身構えなくても大丈夫だと思うよ」
「……そうかな」
「そうだよ」
リアは、いつものようにあっさりと言った。
「分からないことがあったら聞けばいいんだし」
「うん……ありがとう」
エルは小さく笑った。
リアは、自分とは違う。何かを言うとき、あまり迷わない。自分で考えて、自分で決めて、自分の言葉で話す。
そんなところが、エルには少し眩しかった。
やがて、授業開始を告げる鐘が鳴る。教室の扉が開いた。
「時間だな」
一人の男性が入ってくる。白髪の混じった髪。鋭い目。そして首筋には、竜人族特有の細かな鱗が浮かんでいた。
「魔法学担当、ヴェルド・グラディオンだ」
簡潔な名乗りだった。それだけなのに、教室の空気が変わる。
ヴェルド・グラディオン。三大魔法師の一人。かつて魔王討伐の旅に加わり、現在はこの学術院で魔法学を教えている人物だ。
エルも、その名前だけは知っていた。
「うわぁ……! 本物だよ。すごいねぇ」
隣でリアが声を弾ませる。
けれど、それは彼女だけではなかった。教室のあちこちから、小さなどよめきが起こっている。
ヴェルドはそれを一瞥しただけで、黒板へ向かった。チョークが乾いた音を立てる。黒板に書かれた文字は、一つ。
――魔力。
「今日から魔法学の基礎を始める」
ヴェルドが振り返った。
「魔法を扱う上で最も重要なのは、派手な術式でも、強大な魔法でもない」
鋭い視線が教室を横切る。
「自分の魔力を理解し、制御することだ」
教室が静かになった。
「魔力量が多ければ、それだけで優れた魔法師になれるわけではない。逆に、魔力量が少なくとも、扱い方次第では優れた魔法師になれる」
リアが小さく頷く。
エルもそれに倣った。
「では、まず自分の魔力を感じてみろ」
生徒たちが一斉に目を閉じる。
エルも瞼を閉じた。身体の奥へ意識を沈める。
――感じる。膨大な魔力。普段から意識して押し留めている、自分の中の力。これをそのまま外へ出せば――。この教室にいる全員が気づく。
そう思った瞬間、エルは反射的に魔力を抑え込んだ。
できるだけ小さく。周囲と同じくらいに。
「次に、魔力を手の平へ集めろ」
生徒たちが一斉に手を掲げる。淡い光が浮かび上がった。
赤。青。緑。白。様々な色の魔力が、それぞれの手のひらで揺らめいている。
エルも右手へ魔力を集めた。
――その瞬間。淡い光が、一度だけ大きく膨らんだ。
「……!」
エルは息を呑み、慌てて魔力を押し戻した。
光が小さくなる。
隣から視線を感じた。
「……エル?」
「ご、ごめん」
「何が?」
「今……ちょっと魔力が……」
「?」
リアがエルの手元を見る。
「別に、失敗してないと思うけど」
「そう?」
「うん」
リアは少しだけ首を傾げた。
「むしろ――」
「?」
「……ううん。なんでもない」
リアはそれ以上言わなかった。ただ、ほんの少しだけ不思議そうにエルの手元を見つめている。
そして――。教壇からも、一つの視線が向けられていた。ヴェルドだった。
その目がエルの手元を捉える。
ほんの一瞬。だが、見逃すには十分な時間だった。
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