生徒たちが教室を出ていく。
やがて扉が閉まり、静寂が戻った。ヴェルドは黒板に残った術式を消していた。
「……どうだった?」
背後から声がする。振り返る。
開け放たれた扉の向こうに、アレクシオスが立っていた。
「何がだ」
「新入生だよ」
「……妙な聞き方をするな」
「そうか?」
「あの少年のことを聞きたいんだろう」
ヴェルドが目を細める。
「……随分と気にするな」
「お前だって気になっただろう?」
「まあな」
ヴェルドは腕を組み、誰もいなくなった教室を見渡した。
「魔力量が異常に多い」
「……」
「それだけなら珍しくもない。だが――」
ヴェルドの目が細くなる。
「あれほどの魔力を持ちながら、本人は意図的に抑えている」
「気づいたか」
「俺を誰だと思っている」
ヴェルドは鼻で笑った。
だが、すぐに表情を改める。
「……それで?」
「何がだ?」
「お前が、あの少年をここへ入れた理由だ」
アレクシオスは答えなかった。
窓から差し込む午後の日差しが、誰もいない教室を照らしている。
「学ぶ意欲のある学生に、学ぶ機会を与える。それがこの場所の役目だ」
「それは答えになっていない」
「そうだな」
アレクシオスは苦笑した。
そして、しばらく沈黙したあと。静かに口を開いた。
「彼が……魔王の子だ」
ヴェルドの手が止まった。
「……あの戦争から、二十六年だぞ」
「ああ」
「では、あのときの――」
「ああ」
アレクシオスが答える。
「私が魔王城で見逃した子供だ」
ヴェルドは目を閉じた。短く息を吐く。
「……よく、生きていたな」
「母親が命を懸けて守った」
「そうか」
それ以上、ヴェルドは何も言わなかった。
やがて目を開く。
「お前は、あの子をどうするつもりだ」
「何もしない」
「……何?」
「少なくとも、今は」
アレクシオスは窓の外へ目を向けた。
そこには、先ほどまで生徒たちが歩いていた中庭がある。
「私は、あの子を監視するために学術院へ呼んだんじゃない」
穏やかな声だった。
「ここで、普通の学生として生きてほしいと思っている」
「だが、もし――」
「そのときは、私が止める」
迷いのない声だった。
「魔王になるというのなら、私がこの手で終わらせる。それは今も変わらない」
ヴェルドは黙ってアレクシオスを見る。
しばらくして、小さく息を吐いた。
「……分かった」
「それに、お前もいる」
アレクシオスが笑う。
「もしものときは、二度目の魔王討伐といこうじゃないか」
「老体は言い訳にならないぞ」
「まだ小僧に後れを取るほど老いちゃいないさ」
「言ってろ」
ヴェルドは教室の外へ目を向けた。
「俺は、あの子を魔王の子として扱うつもりはない」
アレクシオスを見る。
「だが、力を持つ者としては見ておく」
「ああ。それでいい」
二人は、それ以上エルについて語らなかった。
静かな教室に、午後の光だけが残っている。ヴェルドは黒板へ目を戻した。
そこには、先ほどまでエルたちが学んでいた魔力操作の術式が残っている。
しばらく、それを見つめる。
「……魔王の子、か」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
その声に、恐れも憎しみもなかった。あるのは、ほんのわずかな興味だけ。
「さて――」
ヴェルドはチョークを置いた。
「お前は、一体何者になるんだろうな」
その問いを知る者は、まだいない。
当のエル自身も、知らなかった。自分が今、魔王の血ではなく――ただ一人の学生として、初めて魔法を楽しんでいることを。
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