朝の街は、思っていたよりもずっと騒がしかった。石畳の大通りを、様々な種族の人々が行き交っている。人間だけではない。尖った耳を持つエルフ。頭に獣の耳を生やした獣人。肌のところどころに鱗が浮かぶ竜人族。荷車を引く者もいれば、魔道具を抱えて早足で歩く者もいる。露店からは焼きたてのパンの香りが漂い、通りの向こうでは誰かが客を呼び込む声を張り上げていた。
その雑踏を、一人の少年がすり抜けていく。黒に近い濃紺の髪。目を奪われるほど整っているわけでもない。かといって、人混みに溶けてしまうほど平凡でもない。どこにでもいそうな十五歳の少年。
少なくとも――今この瞬間だけは。
エルディアス・ヴェル・レグナ・アシュレル・セレディオ=グラディア。
それが、この少年の名前だった。やたらと長いその名前を胸の内でなぞりながら、エルは小さく息を吐いた。
「……今日から、学生か」
呟いた声には、隠しきれない緊張が滲んでいた。視線の先には、巨大な門がそびえている。
その向こうに広がっているのが、エルディア学術院だった。魔法学、戦闘学、錬金術、魔導工学。様々な分野を学ぶことのできる、世界でも最高峰の教育機関。そして、種族や身分を問わず、あらゆる者に門戸を開いている場所。
エルは門の前で足を止めた。その先を見渡す。
広い。校舎だけでも、いくつあるのか分からない。奥には巨大な塔がいくつも並び、その周囲には訓練場らしき広場まで見える。遠くでは魔法による演習でも行われているのか、空気を震わせるような音が響いていた。
「……すごい」
思わず、声が漏れた。
そう思った、その瞬間だった。胸の奥に、冷たい何かが落ちてくる。
――自分なんかが、ここにいていいのだろうか。
エルは無意識に、自分の手を見た。何の変哲もない、ただの手。魔族の証など、どこにもない。
リュカがかけた幻術によって、身体的な特徴は人間のものへと偽装されている。魔力の質も、自分自身で隠していた。
今の自分は、人間族の学生だ。そういうことになっている。
「……大丈夫」
誰に言うでもなく呟く。
それから、ほんの少しだけ顔を上げた。
「僕は、普通の学生だ」
自分に言い聞かせるように、もう一度だけ呟く。
そして、エルは門をくぐった。
*

コメント
まだコメントはありません。
会員登録(無料)かログインをすると、コメントを書けます。