『悔しいなぁ……』
一花がその声を聞いたのは偶然だった。
大学の講義を終えていつもの場所へ向かっていた最中の出来事。
周りを見渡した。
誰もいない。
そりゃそうだ、と一花は妙に納得して、再び歩き始める。
いつもの場所――『倉科骨董品店』へ向かう時は、あまり人通りの多くない道を通る。
同じ方向へ向かう人も、すれ違う人もほとんど見なかった。
まぁいいか……、と思いかけふと立ち止まる。
――あれ、もしかしてこれって……
ちょっとだけニヤニヤしつつも、背中を襲うゾワゾワとした得体の知れない不気味さを感じたのだ。
「ただいま」
当たり前のようにそう一花は言い、倉科は少し諦めた様子で「おかえりなさい」と返した。
一花の母親が倉科の妹であったが、いつ見てもこの兄と家にいる妹は似てないなぁと一花は思った。
落ち着いていて穏やかで、しかしながら芯を持った言葉で相手に語り掛ける倉科――もとい、おじさん。
片やウチのはキャンキャンと口うるさいチワワみたいな母親だ。
「……何か、ありましたか?」
一花の少しワクワクしたような表情を見て倉科が聞いた。
待ってましたと言わんばかりに一花が口を開く。
「あのね、さっきここに来る――」
「先生、お邪魔しますよ」
「――ゲッ、タイミング悪いなぁ」
店にやってきたのは久世だった。
久世透。
地方紙の新聞記者をしているが、その取材の際に良く『記事には出来ぬ不可思議な現象』に巻き込まれる事が多く、倉科を『先生』としてよく相談しにこの店を訪れていた。
「人の顔見て『げっ』、は酷いなぁ」
「久世さんがタイミング悪いからですよぉ。 せっかくの怪異の話なのに……」
「ほう……それは。 是非聞かせてもらおうか」
瞬く間に、いつものメンバーで怪異の話をする。
それは、いつもの事であった。
『倉科骨董品店』――誰が呼んだか、『怪異調査骨董品店』と呼ばれるこの店には、いつしか怪異の相談ばかり来るようになった。
おじさん――倉科隆雄は、怪異調査のスペシャリストであった。
「……でね、そこの道路歩いてたら、『悔しいなぁ』って聞こえたの! 周りを見ても誰もいなくてさぁ――」
「……うーん、空耳、聞き間違い……普通ならそう思えそうなところだがなぁ」
久世の反応は悪かった。
一花も言われれば、確かにそうかも……と少し自信を無くす。
「どんな声だったか、覚えていますか?」
倉科が尋ねた。
「えと……男の人の声だったよ。 恨んでいるような――いや、どっちかって言うと……苦しそうな感じの声だったかな」
倉科は少し目を細める。
「……それほどハッキリ聞こえた、という事ですか?」
「え……うん。 なんか、スっと頭に入ってきた様な感じかな」
「ふーむ……それだと空耳の線は薄いかもなぁ。 ……しかし『悔しい』ねぇ」
久世は腕を組んでふーむと唸る。
「久世さんが前に取材した中に、近しい話がありませんか?」
「うん……? どうだったかな……嬢ちゃん、詳しい場所は何処だ?」
「えとね……あそこの大きい通りから3本こっち側の細い道の所」
久世は自分の取材用メモ帳を取り出しパラパラと捲る。
一花が横から覗いた。
「へぇ~、場所ごとに分けてるんだ」
「前は時系列で分けてたんだが……場所が近いと関連があった時に結びつけやすくてな。 ……あ、コレかも」
倉科にも見えるように、メモ帳を机の上で広げ、指さした。
「『苦……夜……しみ様』……?」
「コレで『くやしみ様』と読む」
え、と一花は声を上げる。
字面から、少し怖いと思った。
「日中、『くやしい』みたいな声をどこかで聞くと、その日の夜に必ず『くやしみ様』の夢を見て襲われるそうだ」
「夢で襲われる……それはなんかやだな」
「だがその後その人が抱える悩み事が消えるらしい」
倉科は静かに頷きながら聞いていた。
一花は少し不思議そうに言った。
「アタシ……別に悩み事なんて無いけど」
「行き当たりばったりそうだもんなぁ」
「うるさいなぁ」
一花が不機嫌そうに言うと、倉科は少し笑みを浮かべて言った。
「悩み事の件は偶然の可能性もあるかもしれませんね」
「……確かに。 ですが、この話5人程話を聞いていて、皆そう言うんですよ。 他に共通点も無く」
「……でしたら、悩み事が消えた、というのは事実なのでしょう」
「じゃあ、いい怪異なの?」
「……それは、どうでしょうね」
「え?」
「悩みが消えることと、悩みを乗り越えることは、必ずしも同じではありませんから」
一花は、納得のいかない顔を浮かべた。
そして、久世の方に向き直る。
「記事には出来たの?」
「出来るわけないじゃないか。 結局なんなのかよく分からない、『都市伝説』的な話さ」
「久世さんそんなのばっかりだね」
「ほっとけ」
軽口を叩き合う2人を尻目に、倉科は少し考えにふけった。
「……お時間ありましたら、その場所に行ってみませんか?」
2人の目が、キラリと光る。
「「行きましょう」」
同時に言って、2人はバタバタと直ぐに席を立った。
「この辺で声がしたの。 あっちからこっち方面に歩いてる時」
やや大袈裟気味に身振り手振りを加えて一花は説明をする。
人通りは、無い。
「環境音もあんまり無いし……こりゃ本当に空耳の可能性は低いな」
久世が辺りを見渡しながら言った。
「一花さん、声はどこから聞こえましたか?」
「え……?」
言われて一花は少し悩む。
「あれ……何処からだろう。 はっきり聞こえたのは覚えてるけど――」
「久世さん。 取材のメモにその事についての情報はありますか?」
「えと……あ、ありますね。 でもコレ……『頭にすっと入ってきた』とあります。 ちょっとよく分からないですね……あれ、嬢ちゃんもさっき――」
「うん。 同じだよ」
「では、『外から聞こえたものではない』という可能性がありますね」
「外……から?」
一花は倉科が何を言わんとしているのかが分からなかった。
「つまり、人の内面に忍び寄る怪異、という事ですか?」
「おそらくは」
「……だとすると、なぜこの場所で、という話になり――」
話の途中で、久世が止まる。
倉科も一花も次の句を待ったが、久世は呆けたような顔をしていた。
「……久世さん?」
一花が声を掛けるとハッと表情が戻る。
「今……聴こえましたか?」
「え……何を――」
「声が、聴こえたのですね?」
「……はい。 先生や嬢ちゃんは?」
2人とも首を横に振る。
「……俺だけか。 ハッキリと聴こえたよ。 『くやしいねぇ』って。 ただ――」
「ただ……?」
1拍置いて、久世は続けた。
「――女性の声だった。 それに……どこかで聞いたことがある気がする」
ふむ……と倉科は思案する。
「久世さんの取材の結論通り――つまり『悩み事』に関わる事かもしれませんね。 一花さんは声に聞き覚えがありますか?」
うーん、と一花は首を捻った。
「……言われてみればあるような。 なんだか……懐かしい声のような」
「なるほど。 それはもしかしたら――」
い言いながら倉科は懐から札を取り出す。
二の句は告げず、言葉を止めながら。
珍しく、苦い顔をした。
「――いえ、なんでもありません。 2人とも、お守りとしてこのお札をお渡しします」
「……どう使えばいいの?」
「今晩悪夢を見る、という事なので枕元にでも置いておくのが良いかと」
「……効果あるの?」
「さぁ、それは分かりません」
静かに倉科が答え、一花は少し残念そうに肩を落とす。
夜。
一花は夢を見ていた。
ひたすら、真っ暗な中を歩いていた。
うっすらと明かりのある方へ、なんとなく歩みを進めた。
近づくと、小さな女の子がいた。
女の子は、かがんで、こちらへ背を向け泣いていた。
女の子が、一瞬振り向く。
それは、幼少のころの一花だった。
「……なんで、泣いてるの」
『……パパが、死んじゃった』
それは、小さい頃の一花だった。
一花の父親は、幼少のころに亡くなっている。
もちろん当時は悲しかった。
だが今は、もう何年も経っていた。
今更――と思えた感情が、急に押し寄せてくる。
それに合わせて――かどうかは分からないが、女の子の顔がゆがむ。
『くるしいなぁ』
「――っ!?」
叫びそうになる。
だが、声にならない。
『くるしいよなぁ』
父親の声だった。
だけど、懐かしいという気持ちは、わかない。
『だから、貰ってやるよ』
――あぁ。
もしこれが消えるなら……
それは、『くやしい』以外初めて聞く言葉だった。
悲しい、つらい――そんな感情が押し寄せていた一花は、頷こうとした。
その時だった。
「後悔や苦労、悲しみや辛さ。 それは人が前に進むための傷です」
聞きなれた、静かで確かな声。
一花が振り向くと、倉科がいた。
「おじさ――」
「痛みを失うと、人は何も残せなくなります」
倉科の言葉が、胸に残る。
くやしみ様の誘惑に誘われた一花の心は、反転した。
「……アタシ、くやしくなんかないもん」
言葉にした瞬間、幼い一花は光を放ち、周りも一気に明るくなった。
「――はっ!」
ガバッと布団をめくりあげた一花は、異常なほどの喉の渇きを感じた。
汗、めっちゃかいてる……。
なんだか、すごくやな夢を見た気がして――だけど思い出せそうで、思い出せなくて。
ふと目を横にやると、そこには真っ黒になったお札が目に入った。
――守って、くれたのかな。
おじさんに少し感謝を告げながら、再び一花は眠りについた。
「――で、結局これって効果があったってことなのかな」
「恐らくは、ですが」
「でも夢の内容覚えてなくてさ」
少しだけ残念そうに一花が言った。
倉科は、いつも通り笑みを崩さず言う。
「何かあるよりは良いではないですか」
「まぁ……そうだね」
怪異は興味がある。
だけど、それはあくまで自分が安全な場所に居ることが条件だ。
下手をしたら命を――いや、存在が消えてしまうこともありそうだ。
それはさすがに……いやだなぁ。
そんな風に一花が考えていると、扉の鈴が鳴る。
久世だった。
「先生……とりあえずは『ありがとうございます』と言っておきます」
真っ黒な札を差し出しながら久世は言った。
「……久世さんも夢の内容を覚えていないと?」
「……えぇ。 でもなんか……”もう会えないと思っていたやつ”の夢を見た気がする」
「……久世さんも?」
「……一花ちゃんもかい?」
「うん。 でもなんかすっきりした気持ち」
「……そういや、俺もだな」
無精ひげをさすりながら久世は納得したように言った。
「少し、調べてみたのですが」
倉科が久世にお茶を入れながら言う。
「あの場所には、昭和初期に学校の先生が住んでいたそうでして」
一花と久世は食い入るように倉科の話を聞く。
「生徒の事だけではなく、保護者や地域住民などの相談も受けていたそうで。 かなり信頼されていた方でした、が――」
倉科は少し声のトーンを落とす。
「受けた相談のごたごたに巻き込まれて……命を落としたようですね」
「その人の想いが『苦夜しみ様』?」
「あくまで想像ですが」
少しの沈黙が流れる。
外の音が、鮮明に聞こえた。
「……くやしいなぁ」
その言葉に、一花と久世が振り向いた。
女子高生と思しき子が、頭を掻きながら店の前を歩いていた。
「……びっくりした」
「……心臓に悪いな」
久世と一花が、顔を見合わせて言う。
そして、少しだけ3人で笑ったのであった。
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