――翌朝。
陽の光が葉に滴る朝露を照らし、地にできた水溜まりには青い空が映し出されていた。
雨に洗われた空気は澄み、一夜にして世界が生まれ変わったかのように、辺りは清々しい朝を迎えている。
火緒と火弦は朝早くに宿場町を出たものの、この時期の空は実に変わりやすい。
先ほどまで晴れていたかと思えば、いつ雨に降られるとも知れない。
「やれやれ……またいつ雨に降られるか、わからへんな」
火弦は空を眺めてため息をついた。
そんな二人を心配してか、女将さんも旅籠街の出口まで見送りに来てくれている。
「あんた達、くれぐれも気をつけるんだよ!」
「うん。おばちゃん、おおきにな」
「おばちゃん、おおきに。帰りにまた寄るさか」
「行っといでっ!」
女将さんは、息子を送り出すかのように力強く二人を抱きしめた。
その腕に包まれた火緒と火弦は、本当の母親に抱かれているような安堵を覚える。
外で初めて安心できる人に出会えたのかもしれない……二人はそんな思いを胸に、いつまでも手を振る女将さんを背にして、赤坂城下へと歩き出した。
「おわっ! 昨日は雨で分からんかったけど、赤坂の土って、こんなに赤っぽいねんな!」
「ほんまやな」
道端の土を手に取った火緒は、その色に驚いたように目を見張り、火弦もまた、足元に広がる赤みを帯びた土を眺めていた。
朝靄の残る街道を抜ける頃には、熱の匂いを孕んだ風が吹き抜け、辺りの空気も少しずつ変わりはじめていた。
大きな荷物を背負った旅人や、俵を山のように積んだ車を引く馬が、ぞろぞろと赤坂城下方面へ流れてゆく。
街道の両脇には荷を積んだ車が何台も並び、馬の蹄が乾いた土を蹴るたびに土埃が舞い上がる。
その先、町の遥か向こうに目を向ければ、山の上には大きな城がそびえ立っていた。
「あれが……赤坂城」
「今回は、あっちは気にしたらあかん。俺らは薬売って、戦の情報を集める。それだけや」
火弦は、そびえ立つ赤坂城をじっと見据えた。
赤坂の町に入ると、そこは想像していた様子とはまるで違っていた。
行き交う人々の服は派手で、屋台からは威勢のいい声が飛び交い、同じ市井でありながら、いつも行く清瀬の喧騒とは雲泥の差がある。
焼いた魚。
干した肉。
鉄を打つ音。
鉄と油の匂いが混じり合う中、商人たちの呼び声には怒号まで飛び交い、人の多さだけなら、まるで祭りのような賑わいだった。
「なんか、聞いとった話と全然ちがうやんっ!」
「声が大きい。口閉じ。目立つわ」
興奮気味に声を上げる火緒を、火弦が落ち着いた声でたしなめる。背負った籠が揺れるたび、中に入れた合わせ貝がかすかに音を立てていた。
「あ、でもなぁ。なんか、活気はあるんやけど……」
火緒は言いかけた言葉を飲み込み、改めて周囲に目を向けた。
店先で他の客と談笑している商人の手は薄汚れ、爪の間には黒い粉がこびりついている。
笑顔を浮かべてはいるものの、どことなく疲れが見て取れた。
(なんや? あの黒い粉。火薬でも触ったんか?)
火弦もその様子を注意深く観察しながら通りを見渡す。
道を掃く子どもたちの服は擦り切れて汚れており、昼間から酒をあおる輩も少なくない。
賑やかな大通りとは対照的に、路地や橋の下では物乞いをする者たちの姿も見られた。
「……やっぱ、戦の国やな。物騒や」
火弦がぽつりと呟くと、大通りを吹き抜けた風が二人の間を通り過ぎ、遠くからは金槌を打つ音が響いてきた。
「火弦、ちょっとあのおっちゃんに買取出来るか聞いてくるわ」
「あ、おい! 火緒! 勝手に行くなやっ」
火弦の制止も聞かず、火緒は店先に立っていたオヤジのもとへと話を聞きに走っていった。
仕方なくその場に残った火弦は、火緒を待つ間、露店の影で一杯飲んでいる男たちにさりげなく耳を傾ける。
「……あちこちの馬借が駆り出されているらしい。大量の荷物をどこかへ運んでいるんだとよ」
「ほう、また戦か……」
「いや、まだわからん――」
「例の場所に行くのかもしれん」
「あぁ、俺も雇ってくんねぇかなぁ……賃金いいらしいじゃねぇか」
「馬鹿っ! お前死にてぇのかっ! 給金良くても、死んだら終いだぞっ!」
男たちの話し声は、周囲の喧騒に紛れながらも、あちこちから聞こえてくる。
(例の場所……?)
火弦は視線を落とし、聞き漏らすまいと注意深く耳を澄ませていた。
そこへ不意に肩を叩かれ、驚いた拍子にびくんと身体を震わせる。
「なにビクついとんねん。あの店で買取やっとるみたいや」
「お、おう。わかった」
二人は火緒が見つけた、目と鼻の先にある問屋へと足を運んだ。
「へぇ、兄ちゃんたち。薬売りかい?」
声をかけてきたのは、腹の出た悪趣味な商人だった。
腕には数珠のように銅銭を連ねた輪が巻き付けられており、一目で金勘定に明け暮れる人間だとわかる。
あの守銭奴の紅梅ですらここまではしないと、二人は思わず顔を見合わせた。
火緒が愛想よく、商人に頭を下げる。
「はい、山の庵で薬をこしらえてまして」
「ほう? 山の薬か、珍しいな」
「よく効く金創膏です」
「おぉ、金創膏ねぇ。そいつは売れる。傷薬なら、足軽にも売れるからな」
商人の目が金の匂いを嗅ぎつけたように光り、声を潜める。
「しかし……。どうした? そんなふうに口元を布で覆って。風邪か?」
顔を覆う布を指摘されても、火弦は慌てることなく冷静に応じた。
「あ、はい。最近の長雨で喉をやられてまいりまして。どうにも咳が止まらんのです。ごほっ」
「そいつぁいけねぇな。薬売りなのに、自分たちが風邪なんてよ」
商人は二人を見て笑い、双子もそれに合わせて苦笑いを浮かべた。
「今じゃ赤坂も仕入れが難しくなってきていてな。また、戦が始まるみてぇだから、この薬があればこちらも助かる」
その言葉に、火弦の眉がわずかに動いた。
「戦が……?」
「うむ。大きい戦があるらしいぞ? 噂だけどな?」
火緒は笑顔を保ったまま、軽く調子を合わせる。
「それって、どこと戦うんです?」
「あぁ、そりゃ、白岩だよ。あの両国は領地を切ったり切られたりの繰り返しだからな。だが……」
「だが……?」
商人の意味深な言葉に、火弦が聞き返した。
「今回は赤坂が圧勝だろうな?」
「え? なんでなんですか?」
商人は火弦にちょいちょいと手招きをし、耳打ちをする。
「ここだけの話な。最近、赤坂は新兵器を作り出したらしい。それが何ともおっかない代物ときたもんだ」
「へー」
火弦は興味深そうに短く返事をしながら、あたりを見回した。
「それって、どんなやつなんです?」
「いや、それは……。俺も詳しくは知らん! だが、それで戦に勝ちゃ、ここいらも暫くは安泰よ」
もう一歩というところで詳しい情報を聞き逃し、火緒は思わず火弦の陰で舌打ちをした。
だが、火弦は食い下がらず、さらに話を引き出そうとする。
「そういえば、赤坂って何やら働き口を募集しとるんですか? さっき、ちょいと小耳に挟みまして。給金がいいなら、働きたいなぁって……」
「働き口? ……うぐっ」
商人が答える前に、火緒が話に割って入ってきた。
火弦はすかさず、その脇腹に肘鉄を食らわせる。
(お前、話し合わせろやっ)
(そんなん知らんしっ! 初耳やっ!)
双子のやり取りに商人は首をかしげたものの、あまり気にもとめず、話を続けた。
「さっき話した新兵器なんだがな? あれ、どこかの砦で作ってるって話だ。だがな、行ったが最期。誰も戻って来ねぇって話だ」
商人は辺りを見回すと、人目を憚るように二人へ顔を寄せ、声を潜めた。
「お前ら、悪いことは言わねぇ。あんまり、変なことに首突っ込むんじゃねぇぞ。命が惜しけりゃな」
そう言うと、商人は何事もなかったかのように再び店先に立った。火弦もこれ以上は聞き出せないと見定め、話を元に戻す。
「で、買ってくれるんです? 薬」
「もちろん買うさ。ただし、半分は物資との交換でどうだ?」
「物資?」
「塩、大豆、油。米なんかも全部値が跳ねてきている。今ならそっちの方が、お前さんたちにとっても悪くない話なんじゃないか?」
商人は、どこか意味ありげにほくそ笑む。
「確かに。やけど、そちらも物資が必要なんやないんですか?」
「いやいや。こっちは物資より金……いや、薬よ」
火弦は無言で店先に並ぶ大豆を手に取り、指先で品の具合を確かめた。
(あんまし、いい品っちゅーわけでもなさそうやな。足元見る気ぃや)
(粗悪品と交換して、自分は金儲けする気ぃやな)
火弦が品を確かめる一方で、火緒は商人の腹の内を探っていた。
「悪くないだろ? お互い、いい仕入れができそうだな」
商人がにやりと笑う。その笑顔に合わせるように、火弦も「ははっ」と無理やり愛想笑いを返した。
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