二人はひと仕事終え、宿をいくつか見て回り、一番安い宿に決めた。
それでも旅籠街とは違い、一番安くても倍以上の値だった。
「おばちゃんの宿、よかったよなぁ……」
火緒は部屋に入ると、昨晩泊まった女将の宿を思い出し、部屋を見渡しては見比べていた。
「せやなぁ。なぁ、火緒。すまんけど、ちょっと出てくるわ」
火弦は荷物を置くなり、再び口元に布を巻き、すぐに出かけようとする。
火緒は、慌ただしい火弦にげんなりとした。
「はぁ? ちょっとはゆっくりしいや。さっき話聞いたばっかしやん」
「うん。やけど、やっぱ気になるんよ」
「そんな真面目に一所懸命やっとったら、頭剥げてまうで? あ、そのほうが双子やったらわかりようてええか?」
「むっ……」
けたけたと笑う火緒に、火弦は頭を摩りながら冷たい視線を浴びせた。
「もう、好きにしぃ。俺はひと寝入りさせてもらうわ」
「疲れた」とひっくり返る火緒を置いて、火弦は一人街に出た。
火弦は雑踏に紛れ、小さく息を潜めて歩いた。
屋台の軒先をひとつ、ふたつとすり抜けるたび、甘い匂いや干し魚の入り混じった香りが鼻を掠める。
火緒のように声を張ることなく、静かに五感だけで世界を読み取っていく。
人込みから隠れるように、細い路地に入った。
通りの奥。
大きな蔵の前に置かれた荷車には、どこか他とは違う空気が漂っていた。
幾重にも結わえられた麻袋の上に、目印のように置かれた赤い布の切れ端——黒い刺繍で蛇のような印がふと目に入る。
他の荷車にも、荷袋に縫い付けられた黒い蛇紋。
赤坂兵が身につけている印。
間違いない。
――赤坂の印だ。
荷車の傍で荷の数を数えている男には、表の商人なら漂うはずの物売りの匂いがしない。
代わりに漂ってくるのは、漁りの時、戦場で嗅いだことのある錆びた鉄のような重い匂いだった。
歩き方も、庶民のそれでは無い。
(ここ、赤坂兵の荷渡しの場所やっ)
短刀を腰に差した、いかにも雑兵風の者が二人。
忙しそうに荷の点検をしていた。
火弦は一歩、また一歩と、ゆっくり近くの荷台の影に沈み込む。
見つかったら恐らく命はない。
額から汗が伝い、緊張が高まる。
(なんか、なんか情報持って帰らな。確実なやつ)
足音は柔らかく、誰の視線も引かなかった。
耳を澄ますと、小さな会話が漏れて聞こえてきた。
「明日の朝一で峠の砦へ荷物を移す。薬の材料の箱は三十、兵糧物資の箱は五十。中身は間違いないな」
「おい。峠の砦って、どこの砦だ?」
「あぁ、一の砦の方だ」
「あそこかぁ」
火弦は、雑兵の『一の砦』という言葉を聞き逃さなかった。
(なんや、幾つも砦があるんかい。何のためや?)
「白岩への戦の準備はどうなってる?」
(でた。白岩)
火弦は、さらに一歩踏み込む。
「あぁ、あっちは何やら『例のブツ』を使って一網打尽にする気らしいぞ?」
「あー、あの『毒』な」
「あれ作らされてるの、連れてこられた村人らしいぜ? 何でも、毒の製造には、使い捨て出来る奴等じゃないとダメらしい。毒が回ってすぐ逝っちまうんだと。その昔は、専属の『毒薬師』がいたらしいけどな?」
「毒薬師? おーこわっ」
火弦は目を見開いた。
確かに今、『毒』という言葉を耳にした。
『毒』と『一の砦』、それに『村人』……。
火弦の頭の中で欠片がはまってゆく。
「でもな? 噂によるとまだ試作品らしくてな? 威力を試すために、今回わざわざ戦を起こすんだと」
「なんだそりゃ。じゃあ、別に白岩の領地目的じゃ無いって事か?」
「そうらしいな。これがうまく行きゃ、外の領地にでも手を広げるんじゃないか?」
「ふーん。お上の考える事はよくわからんな。なんだかこの土地から出たくなってきたわ。気味悪い」
(間違いない。赤坂は白岩と戦を始めるつもりなんや。そして、戦には毒が使われ、自国の村人に作らせよる……。くそっ)
火弦は目を細め、音も立てず歯を食いしばる。
赤坂の身勝手なやり方に、心底反吐が出た。
(赤坂。何がしたいんや? 白岩との戦は毒の実験の為? いや、それやったら村人だけでも問題ないわ。今更白岩を手に入れて、また国取り始めるつもりか? ばあちゃんに報告や……)
火弦がその場から静かに立ち去ろうとした時、蔵の向こうから二、三人の男が姿を現した。
男たちは明らかに雑兵の出で立ちではなく、いつも自分たちが見ているみすぼらしい野盗にしか見えない。
「おつかれさまです」
雑兵が急に背筋を伸ばし、野盗に向けて深々と一礼した。
(あいつらなんや? どう見ても野盗やないか。なんで兵が頭下げとんねん)
火弦はその場に留まり、もう少し様子を伺うことにした。
「あー、白岩へ攻め込む準備は進んでるのかぁ?」
「はっ。滞りなく。鴉様」
(鴉……?)
野盗風情の男は『鴉』と呼ばれていた。
(鴉て。あの真っ黒い鳥のカラスか? ま、見た感じそんなもんやな)
男は背が異様に高く、目はくぼみ、骨ばっていて、手足も妙に長かった。
しかも、どう見ても野盗のくせに『様』呼ばわりされている。
そして、何より臭い。
男たちからはある程度離れているにも関わらず、風に乗って匂いがただよって来る。
赤坂の雑兵たちも、思わず顔を背けている。
(この臭い何とかならんのかいなっ。やっぱ、なんかおかしいで、赤坂。やけど、これ以上深入りせん方がええな……)
火弦が漂う悪臭に堪らず、その場から離れようとした時、背後に人の気配を感じた。
「おい、お前。そんな所で何をしているッ!」
火弦がすぐさま振り向くと、そこには雑兵が立っていた。
(しまったっ! 見つかった!)
いつもならすぐに気配に気づく火弦も、話を聞くことに夢中になり、警戒を怠ってしまった。
「あ、あの……っ」
火弦はしどろもどろに答える。
「鴉様っ! 変なガキが、ここで聞き耳立ててましたが! いかが致しましょうっ!」
「はぁ? ガキぃ?」
火弦は雑兵に捕まり、鴉の前に突き出された。
腕は雑兵に後ろで力強く拘束され、身動きが取れない。
拘束が解けないことはなかった。
だが、ここで拘束を解こうとすると、逆に怪しまれてしまう。
火弦は大人しく従った。
鴉はじっと火弦を見下ろし、問いかける。
「お前、あそこで何やってた? ん?」
火弦は何も応えず、じっと鴉の顔を見る。
「なぜ応えねぇ。あそこで『何をしていたのか?』と聞いてるだろ? それに、その布。顔を見せろ」
鴉はその薄汚く長い手を伸ばし、火弦の口周りの布を剥ぎ取ろうとする。
「あ、あの……」
(ただの子供として、振る舞わな。小競り合いを起こしたらあかんっ。ただの子供……ッ。ただの子供やッ!)
頭では分かっているのに、気の利く言葉のひとつも出てこない。
頭の中が真っ白になる。
懐から鳥の子(煙玉)を取り出し、投げつけたい衝動に駆られる。
相手は、逆に子供である自分に、油断している。
(普通の子供らーて、無理やっ! 今やったら、こいつの拘束解いて、煙玉で視界巻いて、屋根伝って逃げたらいけるっ! やけど……)
『無駄な小競り合いを、起こしてくれるなよ』
だが、またもや紅梅の言葉が何度も脳裏に浮かび、必死に抑える。
火弦は顔を背け、ぎゅっと目を固く瞑った。
(どないしたらええねんっ! 火緒っ……!)
火弦は咄嗟に火緒の名を、心の中で叫んだ。
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