昨晩から続く暑さに喉が乾き、梓は目を覚ました。
大棟の囲炉裏端には誰もおらず、静寂の中、囲炉裏の炭だけがパチパチと爆ぜている。
まだ重い瞼を擦りながら囲炉裏の脇に目をやると、薬を詰めた合わせ貝がずらりと並んでいた。
きっと紅梅が夜通しで仕上げたのだろう。
梓はゆっくりと立ち上がり、着崩した着物を直して帯を締め直す。
身支度を終えて庵へ行くと、紅梅がのそりと起きてきた。
「おお……お前ら、もう起きとるか。ええのう若いもんは」
肩に手をやり、ゴキゴキと首を回しながら身体を目覚めさせている。
囲炉裏にかかる湯を湯呑に移してゆっくりとすすり、一息つくと、梓が差し出した朝飯を軽く腹の中へ流し込んだ。
朝飯を終えると、二人は大棟へと戻った。
火緒と火弦はせっせと台所を片付けており、刹と朔は囲炉裏端で薬の入った合わせ貝に紐を巻き付けていた。
作業の半ば、紅梅が皆を囲炉裏端へと集めた。
「刹、朔。今日の分はお前たちで売ってこい。まずは近場の村じゃ」
「えぇーっ! 俺らも村へ売りに行きたいーっ!」
「『俺ら』て言うなや。『ら』て」
「火緒はやかましゅうて客が逃げるわい。火弦は愛想がなさすぎじゃ」
「やから俺、行きたいとか言うてへんやん……」
火弦はさらに小さな声でぼやき、またも火緒の巻き添えをくらって不機嫌になった。
「薬を売るのはついでじゃ。主は戦があるかどうか。どこまで聞き出せるかの?」
刹は朔に黙って目くばせをし、朔は真剣なまなざしで頷いた。
「じゃぁ、刹が売り子で、僕が弟ってことでいい?」
「うむ。怪しまれんようにな。こうやって変装して情報を引き出すことも、立派な隠密の仕事じゃ」
朔はワクワクを隠し切れない様子で、紅梅はふっと微笑むと刹に目をやった。
「ま、薬に関しては、刹なら間違いなく全部売り切るじゃろ。この中では一番礼儀正しく、誠実じゃからな。何より、誘導が上手い」
紅梅の最後の言葉に、一同の視線が一斉に刹へと集中する。
「なんだよ」
皆が刹を見て目を丸くした。
「嘘やろ!? 刹が礼儀正しく誠実やて? ありえへん!」
「誘導が上手い? 俺、怒鳴るか、口が悪いか、態度悪いかしか知らへん」
「僕も。刹の礼儀正しいところなんか見たことない」
「お前ら、失礼だぞ」
否定する刹と、火緒、火弦、朔の言いたい放題な態度に、梓は苦笑しながら刹に包みを手渡す。
「なんだよ、梓。お前もバカにすんのか?」
「ごめん、ごめん」
「さて、ワシはもうひと寝入りするかの。梓、あとは任せたぞ」
「わかりました」
紅梅はひとつ大欠伸をすると、安心したように「うむ」と頷き、奥の部屋へ入っていった。
刹と朔は、さっそく薬売り用の行商人服に着替え、笠をかぶって薬箱を背負う。
庵から獣道を抜けて街道へ出る際、人気がないか辺りを用心深く見回した。
街道へ出てしばらく行くと、行きつけの葵の団子茶屋が見えてきた。
朝から忙しそうに、葵は店先で団子を回しながら焼き目をつけている。
朔は葵に手を振り、刹と先へ急いだ。
「ねぇ、刹。薬売りって、ちゃんと売れるの?」
「そうだな。丁寧にそれらしく振舞ってりゃ、誰かは買ってくれる。売れない時もあるけどな」
「なんか……楽しい。あ、村に着いたら『兄ちゃん』って呼ばないと!」
「朔。とにかく村人から戦の話を聞き出すんだ。それが今回の本来の目的だ。いいな」
二人は街道先の小さな村にたどり着くと、道端の一角で行き交う村人に丁寧に声をかけた。
「薬ー、薬ー」
「薬、いかがですか?あかぎれ、傷によく効きます。いかがですか?」
白布の袖が風に揺れ、優しげな切れ長の目が数人の村娘を捉える。
いつもの狼のような鋭い目はどこにも見られず、思わず朔はぽかんと口を開けて呆けた。
「え……刹……そんな顔だったっけ?」
「どういう意味だ」
「なんか……よそ行きの顔っていうか……別人……」
刹は朔に一瞬いつもの鋭い眼光を見せたが、すぐに優しげな顔つきに戻り、集まってきた娘たちの前で薬を見せた。
村娘が群がり始めると、何事かと村の老人たちも集まり始めた。
「この薬は……どのような薬ですか?」
「『金創膏』と言って、このように塗るとあかぎれや傷によく効きます」
「失礼」と刹は娘の手を取り、薬を塗って見せた。
その様子を見た娘たちは、自分の手にも塗ってくれと言わんばかりに手を差し出す。
仕方なしに、刹は少しずつ薬を塗って見せた。
(この村には、若い男はいないのか?)
村を見まわしても、若い男は見かけず、ほとんど老人か女しかいない。
「農作業後の手のマメなどにも効きますよ? 男の方にもぜひ」
刹はわざと確認するように尋ねたが、皆顔を見合わせ、その中の村長とも言える老人が話しかけてきた。
「この村には、若い男はおらんよ。皆、一獲千金を夢見て赤坂城へ行ってしもうた。今じゃどこも戦が始まる言うて、物の値も上がっておる」
「おじいちゃん、戦が始まるの?」
「そう噂されておる。早く安全な所へ逃げんとな。この辺りも戦火が飛び火するやもしれぬ」
「え? この辺り、戦に巻き込まれるの?」
「そうさの。この村は国境にあるからの。川を境に戦が始まれば、儂らもこの村も危ないのぉ」
朔がさりげなく村長から情報を聞き出すと、刹はしめたとばかりに朔の頭を撫でた。
刹は薬の値をいつもの倍にして告げたが、それでも薬は飛ぶように売れた。
がやがやと村人たちに囲まれ、やり取りを交わしていると、人々を押しのけるようにして一人の男が割り込んできた。
「おい貴様! 何してやがる! さっき、女の手に薬を塗っていただろっ! 他人の嫁、誑かしやがって!」
見ると、さっき薬を買った娘の夫らしい。
俺の嫁だと言わんばかりに、娘の腕を引っ張り、強引に引き連れてくる。
「せ……っつ、兄ちゃん!」
刹の胸倉をつかむと、男は怒りに任せ、刹の頬を思い切り殴り倒した。
朔が前に出ようとしたが、刹が手で制す。
「いい。大丈夫だ」
倒れたまま切れた口元の血を拭うと、刹はゆっくりと立ち上がり、男に丁寧に頭を下げた。
「誤解です。薬を塗っていただけなんですよ……すみません」
「お前の顔、気に入らねぇんだよ」
男は腹の虫がおさまらず、さらに殴ろうとしたが、村長に一喝され大人しく引き下がった。
嫁に付き添われながら片方の足を引きずり、男は胸糞悪そうに家へと帰っていく。
「すまぬの。足を怪我しておって、戦に出られなくての」
「大丈夫ですよ。お気になさらず」
村長は刹にしきりに謝り、残りの薬を全て買い上げてくれた。
帰り道、刹は切れた口元を気にしながら歩き、朔は村での出来事を思い出していた。
「刹、なんでやり返さなかったの? 刹なら、一発であんな奴沈めたでしょ?」
「朔から見てあいつどう思った? 強そうに見えたか?」
「いや? 僕でも多分あいつは倒せたと思う。ひょろひょろしてたし怪我してたし」
「弱いやつにわざわざ突っかかることはねぇ。騒ぎ起こして、変な噂でも立てられたら、次の仕事がやりづらくなると思わねぇか?」
「なるほど……」と、朔は目から鱗だと言わんばかりに深く頷いた。
「騒ぎを起こさずに済むなら、それが一番いい」
刹はそう言って、濡れた手ぬぐいをひっくり返し、頬を冷やした。
「なんだよ!? その顔!?」
庵に帰ると、真っ先に梓が刹の元に駆け寄ってきた。
口元は切れ、頬に赤い腫れが残っている。
火弦は刹の顔を見て、心配しながら痛そうに顔を歪めた。
「梓はもう嫁やな」と冷やかす火緒に対して、梓は表情を変えずに目だけで牽制し「黙れ」と言い放った。
囲炉裏のそばで刹は黙って胡座をかき、梓は傷口に薬をやさしく塗ってやる。
「……いたっ」
「少し我慢しろよ。大した怪我じゃないんだから」
騒ぐ子供たちの脇で、紅梅が茶を啜りながら小さく笑う。
「……ふむ。戦の噂も間違いなさそうじゃの。赤坂と白岩、近いな」
「やはり、あちこちで物の値が上がっているらしい。ま、そのお陰で、薬の値も倍にして売ってやったけどな」
「刹、さすがじゃの。ようやった」
「いや、半分は朔のおかげだな」
「そうかい。ちと二領に潜り込み、探りを入れてみるかの」
紅梅が独り言ちた。
【金創膏について】
金創膏は、7つの生薬からなる傷薬です。
時には、湿布薬としても重宝されました。
実際戦国時代には、主に使用されていました。
調合は様々で、各武将によりその効果を競ったほどだそうです。
今でも、実際に売られています。
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