双子と朔が寝入る頃。
刹は雨音を聴きながら本を開き、さらさらと何かを書き込んでいた。
しばらく物思いにふけり、ふと笑みをこぼす。
「何してたの? 思い出し笑いなんてして」
台所の片づけを済ませた梓が部屋に入ってくるなり、刹に尋ねた。
「うん? ……ちょっとな」
「日記?」
「まぁな」
書き終わると、ペラペラと昔書いた頁をめくった。
雨の音を聞くと、あの頃の事を思い出す——。
——夏の入り始め。
長雨のしとしと降る音を横に置き、刹は自室で本を読んでいた。
同じ部屋を共有している梓が、刹の使う棚にびっしりと並ぶ本を手に取り言った。
「ねぇ、これだけ勉強熱心ならさ、何か役に立つことしてみたら? 『子守り場』で子供たちに読み書き教えるとかさ」
「子守り場ぁー? あんなガキばっかのとこなんか、読み書き教えたって覚えるわけねーだろ? それに、俺はガキが嫌いだ。うるせーし、すぐ泣くし」
刹は梓にブツブツと文句を言い、『いやだ!』という強い意志を見せる。
「実は俺さ……、団子屋の葵さんから子守り場の仕事、貰ってきちゃったんだよね。簡単だよ。ただ見てればいいだけなんだから。刹、案外面倒見がいいし、大丈夫だと思うけど?」
ニコッと梓が笑いかける。
「はぁーっ? お前が行けよ! 俺は行かねぇぞ!」
刹は、プイッと顔を背ける。
だが、そんな思いとは裏腹に、刹は町の長屋の一室にいた。
「すみません。ほんの一日だけ。一日だけお願いします! どうしても外せない用事があって。子供たちを、夕方まで見ていればいいだけなので。ここを閉めると、皆が困るんですよ。しかし、助かりました。では、よろしくお願いしますね!」
斎は刹の到着早々、ほとんど何の説明もないまま、子守場を後にした。
「お前! そこ登ったらあぶないっ! おい、こら! 勝手に出ていくな!」
普段仕事で忙しい親たちが、子守り場に我が子をどんどん預けに来る。
聞いていた話とは違い、何故か年端もいかない赤子までいる。
「お前らー! ちったぁ大人しく読み書きでもしてろっ!」
赤子のおしめを取り替えながら怒鳴る刹に対し、子供たちは生意気な態度で反発する。
「読み書きなんて、わかんなーい!」
「斎先生だったら、お話してくれたり、遊んでくれたりしたのになぁ」
「お腹すいたぁー!」
子供たちが『にわか先生』の言うことなど、聞くはずもない。
子守り場はギャーギャーと、子供たちの声で賑やかだ。
長屋の隣の奥さんが、「もう少し静かにできないの!?」と怒りに来る。
刹はひたすら「すみません」と頭を下げるばかり。
「梓ーっ!」
話が違うと、刹の中で段々怒りが込み上げてくる。
思わず握り拳にぐっと力が入る。
それを見ていた『芹』という少年が、刹に話しかけてきた。
この子守り場では、一番年上のようだ。
「刹せんせぇー、竹馬勝負しようぜー」
「竹馬? そんなガキの遊びやらねぇよ」
「もしかして、せんせぇさー、実は竹馬できないんじゃないのー?」
皮肉たっぷりの『せんせぇ』。
「自分はお前を先生とは認めない!」と言った口ぶりだった。
刹の中で『できない』という言葉がカチンときた。
「いいだろう。俺が勝ったら……、お前ら全員俺の言うことちゃんと聞けよなぁっ!」
刹の中で、めらめらと闘志が湧き上がる。
「芹に竹馬で勝てるやつなんていねーよ!」
「そうだー! 芹くんは、めちゃくちゃ早いんだからな! お前になんか勝てねーよぉ!」
そんな野次を飛ばされて、刹の闘志が更に燃え上がる。
勝負は簡単だった。
長屋の路地に線を引き、端から端まで竹馬で駆けり、早くついた方の勝ち。
芹と刹が、線を引かれた場所に並ぶ。
「じゃあ、いくよー! はじめっ!」
掛け声と共に一斉に飛び出した。
芹は順調に滑り出し、半分まで来たころで、刹の気配がないことに気づく。
刹は勝負の火蓋が切られても、未だ出発地点にいた。
背の高い刹にはいかんせん、子供が使う竹馬が小さすぎた。
数回よろめきながらも何とか乗れた頃には、芹の背中はすでに遙か先。
だが刹は、腐っても忍びの端くれ。
運動神経だけはやたらいい。
すぐにコツを掴み、一心不乱に芹を追いかけた。
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
芹は「余裕!」と思いきや、後ろから物凄い形相で刹が追い上げてくる。
「げっ、嘘だろ!?」
周りの子供たちから歓声があがる。
芹は慌てて駆けるも、終点間際。
寸でのところで、刹に追い抜かされてしまった。
「すげえー! 芹に勝った!」
「刹先生、すげぇー!」
皆が口々に刹を称える。
「おっしゃぁぁぁぁぁぁッ!」
刹は喜びのあまり歓喜の雄叫びを上げ、掴んだ竹馬を天に掲げた。
芹もその姿に敗北を認め、項垂れる。
「しょうがねぇ、刹兄って呼んでやるよ!」
芹が握手の手を差し出した。
刹は満更でもない様子で芹の手を取り、熱い友情の証として握手を交わす。
「何……やってんの?」
聞き覚えのある声が、突如として背後から聞こえた。
振り返ると梓が立っていた。
若干、口元が緩んでいる。
「梓ぁぁぁぁぁぁぁーっ! なっ、なっ、なんでお前がここにっ!?」
「問屋に師匠の頼んでた荷物取りに来た……んだけど、つ……ついでに刹の様子も……見てこいって……ぷっ」
「ど……どこから……みてた?」
刹の耳が真っ赤になり、目が泳ぐ。
「竹馬の……くだり……から……ぷぷっ」
抱腹絶倒。
梓は子供に対してムキになる刹を見て、笑いを堪えることが出来ず、ついには腹を抱えて地に跪く。
「あーっはははははははははははははっ! こっ、子供にそんなムキになる事ないでしょ!? それにあの顔っ!」
梓は涙を流して笑い倒し、刹は小さな芹に慰められた。
「なぁ、あんま、落ち込むなよ……」
「あぁ……」
芹が刹の肩に、そっと手をやる。
刹はその場に膝から崩れ落ち、恥ずかしさのあまり地に顔を伏せた。
夕方に差し掛かる頃、斎が予定より少し早く帰ってきた。
「刹くん。ありがとうございました。見たところ、どうやら子供たちに気に入られたようですね。……で、いかがでしょう? 最近子も増えてきましたし、普段私も一人ですし……。刹くんさえよろしければ、今後もちょくちょく手伝いに来ては貰えませんか? 給金はちゃんと出しますから。梓くんも連れてきていいですよ」
子供に囲まれ、引っ付かれている様子を見た斎が声をかけると、刹の顔が今までに見たことがない程ほころんだ。
定職を手に入れた喜びが、つい顔に出てしまう。
「ありがとうございます! ぜひ、よろしくお願いします!」
「よろしくな! 刹兄!」
「おうっ!」
帰り道。
夕暮れの中、長い影がふたつ。
街道に並んで揺れていた。
「刹先生、大人気なさすぎですよぉ?」
梓は面白がって、刹をからかう。
「……うるさいなぁ」
刹は恥ずかしさと嬉しさでいっぱいになりながら、梓と二人帰路についた——。
梓は思い出したかのように、「ふふ」と軽く微笑んだ。
「そう言えば……、そんなこともあったよね。懐かしいな」
刹は本を本棚にしまうと布団を敷き、肩肘をついて横になった。
衣をたたんでいる梓を、寝転がりながら眺める。
「梓、お前一人に留守を任せてすまないな」
「いや、他領地に行く刹たちの方が大変だよ。皆がいない間、少しばかり楽させてもらうよ。――なぁ、刹。その……故郷には寄るのか?刹の故郷、白岩だろ?」
刹は一瞬視線を落として躊躇ったが、すぐに軽く返した。
「さぁ、どうかな。俺の村、あるかわかんねぇし」
「そっか。無理だけはしないで。刹はさ、案外変なことに巻き込まれやすいんだから。こないだだって、薬売りに行って、言いがかり付けられて殴られたじゃないか」
「大丈夫だって。あれはたまたま。薬売って、情報仕入れてくるだけだし。白岩なら二日で帰れるから」
梓は、不安の色を隠せなかった。
悪い予感はいつも何かしら当たる。
「刹……あのさ……」
胸の奥がざわざわと騒ぎ、刹にそれを伝えようとしたが、すでに寝息を立てていた。
寝ている刹に、薄掛けをそっと掛けてやる。
夜も更け、ほうほうと遠くで梟が鳴く。
雨粒はしとしと音を重ね、庵を包み込むように降り続けた。
行灯の灯りをふっと吹き消し、二人は静かに床についた。
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