雨も上がり、まだ月も雲に隠れた深夜。
皆がぐっすりと眠りについた頃。
「うっ……う……ん……」
ドカンッ
「やめろぉ……。あずさぁ……」
なぜか刹は、悪夢と寝苦しさにうなされていた。
普段ならば、悪夢を見ることなどめったに無い。
「ほんと、ごめんて……。もうしないからぁ……」
梓にドカっと体の上に乗られ、刹は地を這うようにして逃げようとした。
「うぅ……重い……」
梓は人間とは思えないような重さだった。
刹が梓に押しつぶされ、苦しみ悶えたところで、ようやく夢から解放された。
「うぅ……」
ゆっくりと目を開けると、首元に風が当たっていることに気が付いた。
——風?
……いや、違う。
寝息だ。
「ふっ」っと温かい吐息が首筋をかすめる。
息が近い。
視界は闇に沈んでいたが、だんだんと意識がはっきりとしてきた。
「重い……」
まだ夢の中かと思いきや、その腕の中にいる温かい人肌に触れ、脳が一気に覚醒する。
「……ッ!」
思わず身体が跳ね、胸がドクンと脈打つ。
鼻腔をかすめるのは薬草の匂い。
「ん……」
反動で梓の身体が転がった。……だが、一向に起きる気配は無い。
動揺を隠せなかった。
梓が自分の布団に転がり込み、しかも上半身を重ねてガッチリ自分に抱きついていたのだ。
梓の寝相が悪いのは、子供の頃から百も承知だ。
今まで蹴られたり、掛け布団を取られたことは多々ある。
冬場は寒さで死にかけた。
「これは……まずいんじゃ……ねぇか……?」
冷や汗が首筋を伝う。
朝起きれば、あちこちに転がっていたことは毎日のようにあった。
だが、よりによって寝床を隔てている衝立を蹴り上げて、こちら側に侵入して来ようとは。
(さっきのドカンって音。夢じゃなくて衝立を蹴飛ばしてやがったのか……。と、とにかく、このまま梓を自分の布団まで転がせば……。よし! なんとかなるっ!)
刹は梓を起こさぬよう、ゆっくりと転がし始めた。
だが、その反動で予期せぬ事態が起きてしまった。
梓の着物が豪快にはだけ、その華奢な胸元が露になる。
「…………やべえッ!!」
この時ばかりは、暗闇に目が慣れる事に長けている自分を呪った。
今の状況。
非常にまずい。
こんな時にかぎって、刹の脳裏にある言葉が浮かぶ。
——衆道。
そう。
刹はかつて、玄瑞より正しい性教育を受けていた。
玄瑞曰く。
(かの有名な武将たちは、こぞって嗜んでいるらしいぞ。嗜み。そう、衆道とは文化。文化なのだ。まぁ、俺は女がいいけど……)
にやりとした、あの忌々しい助平な髭面が頭を過ぎる。
(くっそ、こんな時にっ! 玄瑞のやつ! あいつが全部悪いんだっ! 俺は違う! 違うぞっ!)
思わず、自分を正当化しようと、自分自身に必死で言い聞かせた。
刹は息を潜めて、再びゆっくりと梓の身体をずらし始める。
だが次の瞬間、梓の足がぬるりと蛇のように刹の腰に絡みつき、腕は刹の首へ。
再び先程よりさらに強固に、がっちりと体を梓に包まれてしまった。
「むにゃ……刹……」
(おいっ! やめろっ!)
刹は凍りついた。
身動きが取れない。
心臓は暴れ馬のように跳ね回る。
(どうする? どうすればいい!? こんな姿あいつら(双子と朔)に見られようもんなら、俺の威厳が!)
まだ夜明けが来てはいないかと、咄嗟に窓の外を見た。
焦る。
未だ夜の帷に包まれているのを確認し、必死に足を外そうと奮闘していると、幸運にも上半身がわずかにずれた。
「……ッッ!?!!」
それは、幸運などとは程遠かった。
暗闇に慣れた目と、何とも都合よく月明りが雲間から現れた事によって、梓の姿が露になる。
先程暗闇で見たものとは違い、華奢な肩の線が、その肌が月明かりに照らされ、妙に艶めかしい。
それは、女のようにやたら色っぽい。
おまけに足元の着物もはだけ、白い上腿が目に入ってしまった。
規則正しく胸が上下する度に、何故か無駄に興奮してしまい、自分を律するよう必死に努め始める。
だが、それとは裏腹に、刹の身体は無情にも硬直し始めた。
——刹、十七歳。思春期。それは多感なお年頃。
一瞬、頭が真っ白になる。
(違うっ! 違うっ! 違うんだ! 梓が悪い! 俺じゃねぇ! 確かにこいつは女にしか見えねぇが……とかそんなんじゃない! 俺にそんな趣味はないっ! 嫌だ! 男だけは絶対にっ)
完全に危険領域。
刹は頭の中で鐘を鳴らしながらパニックに陥った。
刹の必死な願いが神に届いたのか、梓は不意に刹から離れ、寝返りを打つ。
(よしっ! いいぞっ! これでなんとかっ!)
梓から逃れようとした次の瞬間、再び梓が刹の方に寝返りを打った。
「ぐはっ……!」
梓のかかとが刹の頭に直撃し、刹の意識は……闇に沈んだ。
そして、庵の外では、夜明けの鳥が一声鳴いた。
翌朝。
朔は、めずらしく起きてこない刹を起こしに来た。
「刹ー、おはよー。起きてる? そろそろ旅の支度を……しない……と……」
朔は絶句した。
「朔ー、どないしたん? そないなとこにつっ立って」
「刹兄、起きてへんの?」
話しかけても朔からの返事はない。
双子が立ち尽くす朔の背後から部屋を覗くと……。
衝立は倒れ、布団はしっちゃかめっちゃか。
そしてそこには、一枚の布団に二人で薄掛けを仲良く掛け、寄り添う刹と梓の姿があった。
布団からは、梓の肩がはだけ、白く透ける肌が見える。
刹の衣も豪快に胸元がはだけていた。
それはまるで仲睦まじい兄弟のよう……ではなく、明らかに怪しく艶めかしい男女のように。
誰もが言葉を失った。
「…………」
ぱたん。
何事もなかったかのように、障子は静かに閉じられた。
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