*
ゲーム開始から三日目。ウィンドーズの拠点は、少しずつではあるが、確実に生活の基盤を整えつつあった。ホウレンソウの栽培によって食料の供給は安定し始め、周辺の探索を繰り返したことで木材もある程度の量を確保できた。ピッケルや斧といった採集用の道具に加え、剣も数本用意することができた。どれも決して高品質とは言えないが、素手で戦うしかなかった頃と比べれば、大きな進歩である。
拠点の中では、キャットが作成した道具を並べ、今後の探索について考えを巡らせていた。
「よし……。これなら、そろそろ行動範囲を広げてもよさそうだな。川沿いをもう少し下ってみるか、それとも森の奥まで足を延ばすか……」
キャットは剣を一本手に取り、刃の状態を確かめた。品質は並程度だが、現状では十分に実用的だろう。あとは実際に戦闘で使い、必要に応じて改良していけばいい。
しかし、そこでふと、ある言葉が頭をよぎった。
__時間内に一度もゲームオーバーにならずにラスボスを倒せ。最後まで生き残れば、賞金を与える。
ゲームマスターが、あのとき確かにそう告げていた。
「……時間内、か」
キャットは剣を置き、考え込むように尻尾を揺らした。
あの言い方が意味するものは何だろうか。単純に、ゲーム内に設定された制限時間があるということなのか。それとも、Midnightに備わっている餓死対策の機能が関係しているのだろうか。
Midnightは、長時間にわたって現実の身体を動かさずに仮想世界を体験するための装置だ。身体を動かさない間の生命維持や健康管理には、当然ながら限界があるはずである。ゲームマスターは、実験の終了条件について細かく説明していたものの、その時間制限が具体的にいつまでなのかは明言していなかった。
「もし、Midnightの安全機能が強制的にログアウトさせるまでって意味なら……」
そこまで考えて、キャットは思わず息を呑んだ。
現実世界での身体を維持できる時間が限られているのなら、のんびりと装備を整え、拠点を大きくしている余裕などないのかもしれない。ゲーム内での一日が二時間ということを考えれば、三日が経過した現在、現実でも相応の時間が流れているはずだ。
もちろん、強制ログアウトまでの具体的な時間が分からない以上、断定はできない。だが、仮にタイムリミットが想像しているより短かった場合、今までの準備がすべて無駄になる可能性もある。
「まずいな……。もっと早く確認しておくべきだったか」
キャットは頭を抱えた。ゲームの知識には自信があったが、今回の状況は通常のプレイとはまるで違う。ゲームマスターが何を基準に制限時間を設定したのか、それすら分からないのだ。
そのときだった。
「キャットさん! 大変です! 」
草のカーテンを勢いよく押しのけ、スミレが建物の中へ飛び込んできた。帽子のつばが大きく揺れ、呼吸も乱れている。普段の彼女なら、もう少し落ち着いて話そうとするはずだった。
「お、おい、どうしたんだ? そんなに慌てて……」
「フリオさんが……! フリオさんが、ほかのプレイヤーたちに囲まれていて……! 」
「何だって!? 」
キャットは即座に立ち上がった。
スミレの話によれば、拠点から少し離れた場所で、フリオが複数人のプレイヤーに取り囲まれているらしい。彼らは武器を手にし、フリオの持ち物をすべて差し出すよう要求しているという。
「くそっ、こんな序盤からプレイヤー狩りかよ! 」
キャットは壁に立てかけてあった剣を掴むと、スミレとともに拠点を飛び出した。
ゲームの世界では、プレイヤー同士の戦闘も可能だ。食料や素材を奪い合うことも、相手を倒してアイテムを手に入れることも、システム上は禁止されていない。だからこそ、こうした行為に走る者が現れることは予想できた。だが、まさか自分たちが準備を整え始めたばかりの段階で遭遇するとは思っていなかった。
キャットは走りながら、フリオが無事であることを願った。武器を作ったとはいえ、品質はまだ並程度。複数人を相手にするには心許ないし、フリオ自身がどれほど戦えるのかも分からない。
いや、そもそもフリオは、本当に戦える人間なのだろうか。
そんな疑問が頭をよぎった瞬間、キャットたちは現場へとたどり着いた。
「だから、今ここで持ってるもん全部出せって言ってんだよ! 出さなきゃ殺すぞ! オオン!? 」
数人の男たちが、フリオを半円状に取り囲んでいた。彼らの手にはアックスやソードが握られており、じりじりと距離を詰めている。その中心にいるフリオは剣を片手に持ち、相手のリーダー格らしい男を見下ろしていた。
その表情には、焦りも恐怖も見られない。
「聞こえなかったのか? 武器も素材も、持ってるもん全部だ。俺たちに渡せば、命だけは助けてやるよ」
リーダー格の男は、勝ち誇ったように口角を吊り上げた。周囲の仲間たちも、それに合わせて笑い声を上げる。人数の差に加え、武器を持っているという優位性から、完全に勝ったつもりでいるらしい。
しかし、フリオは何も答えなかった。
ただ静かに、男の顔を見つめている。
「おい、聞いてんのか! 」
男が苛立ったように一歩踏み出した。
キャットは剣を握り直し、フリオを助けるために割って入ろうとした。こちらも三人になったとはいえ、スミレの魔法を含めても、戦闘経験が十分とは言えない。できることなら、相手を威嚇して退かせたいところだった。
「おい、お前ら! そいつは俺たちの仲間だ。今すぐ__」
だが、キャットの言葉は最後まで届かなかった。
次の瞬間、フリオの姿が消えた。
いや、正確には、キャットの目がその動きを追い切れなかったのだ。
フリオはリーダー格の男の懐をすり抜けるようにして背後へ回り込み、ほとんど間を置かずに剣を振るっていた。大きく腕を振り回すことも、力任せに斬りつけることもない。刃の根元を使い、相手の首元へ最小限の動きで一閃を通す。その一連の所作は、あまりにも滑らかで、まるで何度も繰り返してきた動作を再現しているかのようだった。
リーダー格の男は、何が起きたのか理解する間もなかった。
「……は? 」
間の抜けた声が漏れた直後、男の身体から赤いポリゴンのエフェクトが弾けた。ピシャン、と鏡が割れるような効果音が周囲に響き、男の姿はその場から消失する。
【Gameover】。
その表示を見たキャットは、思わず足を止めた。
今の一撃は、明らかに普通ではなかった。
「なっ……!? お、お前、何しやがった! 」
残された男たちが、ようやく状況を理解して騒ぎ始めた。先ほどまでの余裕はどこにもない。彼らは一斉にフリオへ武器を向けたものの、その足はじりじりと後ずさっていた。
フリオは剣を構え直すこともなく、ゆっくりとリーダー格が消えた場所から視線を上げた。
「__全員狩るか? 」
低く呟かれた言葉は、キャットやスミレに向けられたものなのか。それとも、目の前にいる男たちへ告げたものなのか。
その真意は分からなかった。
ただ、声に込められた冷たさだけは、はっきりと伝わってきた。
「ひっ……! に、逃げろ! 」
誰かが叫ぶと、男たちは一斉に背を向けて走り去った。武器を持っていることも、人数で勝っていることも、もはや彼らにとっては何の意味もなかった。振り返る余裕すらなく、草原の向こうへと逃げていく。
その場には、フリオとキャット、そしてスミレだけが残された。
「……フリオさん、今の……」
スミレは呆然としたまま、言葉を失っていた。つい先ほどまで自分を取り囲んでいたわけではないにせよ、複数の武器を持ったプレイヤーたちが、一瞬にして逃げ出したのだ。驚くのも無理はない。
フリオは二人を振り返ると、何事もなかったかのように剣を下ろした。
「悪い。少し騒がしくなったな」
「いや……無事でよかった」
キャットはようやく声を絞り出した。
頭の中では、先ほどの光景が何度も繰り返されていた。フリオが動き出してから、リーダー格の男が消えるまで、ほんの一瞬の出来事だった。相手の動きに合わせて反応したのではない。相手が何かをするよりも早く、必要な位置へ移動し、必要な動作だけを済ませていた。
そして、キャットはあることを思い出した。
Midnightには、現実の身体から脳へ伝わる運動信号を仮想世界の身体へ反映させる際、ほんのわずかな遅延が生じる。通常のプレイでは誤差の範囲に収まる程度のものだが、初めて装置を使った人間なら、歩くだけでも妙な違和感を覚えることがある。まるで、足に重い長靴でも履かされているかのように、自分の動きが思った通りに反映されないのだ。
キャット自身も、ゲームに入った直後はその感覚に戸惑った。身体の動かし方を覚え、仮想世界での感覚に慣れるまで、多少の時間が必要だったのである。
だが、フリオの動きには、そのようなぎこちなさがまるでなかった。
相手の視線が向いている方向を見極め、その死角へ滑り込む。相手が反応するより早く、最短の動きで攻撃を終える。しかも、刃を振り回して偶然当てたのではなく、初めからどこを狙い、どのように動くかが決まっていたかのような正確さだった。
スポーツ経験が豊富なだけでは説明がつかない。少なくとも、Midnightに不慣れな人間が、あれほど滑らかに動けるとは思えなかった。
キャットは、フリオが剣を握る手を見つめた。
その手つきには迷いがない。相手を倒すための剣の扱い方だけでなく、人の視線から外れ、反撃の機会を与えずに動くための技術まで身についているように見えた。
まるで、戦場で敵と遭遇した際、相手がこちらを認識した瞬間にはすでに勝負を終わらせる。そんな訓練を積んできた人間の動きだった。
「……お前、本当に何者なんだよ」
キャットは、思わず小さく呟いた。
これまで、フリオの話を全面的に信じていたわけではない。故郷のために戦う戦士だという説明も、弟が銃撃され、日本へ治療に来たという話も、ゲームの中で設定を演じているだけなのではないかと疑っていた。
しかし、今の光景を見てしまった以上、もう単なるロールプレイだと片づけることはできない。
あの剣筋。あの動き。相手を倒すことに一切の躊躇を見せなかった、あの冷静さ。
フリオは恐らく、本当に戦場にいた人間なのだ。
キャットは息を呑んだ。
だが、そうだとすれば、別の疑問が浮かんでくる。
なぜ、そんな人間がこのゲームの世界にいるのか。
そもそも、フリオはMidnightの存在すら知らなかった。日本へ来るために船に乗ったという記憶はあるのに、その後のことは覚えていないとも話していた。あの話が事実なら、彼は普通のプレイヤーとはまったく異なる経緯で、この世界へ連れてこられた可能性がある。
そして、弟のことも気にかかった。
そういえば、フリオは弟に治療を受けさせるために日本へ来たのだと言っていた。賞金が必要な理由も、その弟を救うためだったはずだ。
考えたいことはいくらでもあった。しかし、今ここで問い詰めたところで、答えてくれるとは限らない。何より、キャット自身もまだ、フリオのことをどこまで信用していいのか判断できずにいた。
そこで、彼はひとまず別の質問を投げかけることにした。
「……なあ、フリオ」
「何だ? 」
フリオは、いつもと変わらない調子で返事をした。
その声を聞いて、キャットはかえって困惑した。先ほどまでの動きが嘘だったかのように、彼は平然としている。人を一人、瞬く間にゲームから退場させた直後だというのに、呼吸すら乱れていない。
キャットは一度だけ唾を飲み込み、意を決して尋ねた。
「お前……もしかして、銃って使える? 」
フリオの表情が、ほんのわずかに変化した。
その小さな変化を、キャットは見逃さなかった。
この作品が気に入ったら

コメント
まだコメントはありません。
会員登録(無料)かログインをすると、コメントを書けます。