*
ゲームマスターの演説が終わった後、プレイヤー達の前には、誓約書のウィンドウが次々と展開されていた。
内容は先程ゲームマスターが説明した通りで、参加するための条件や、報酬金の受け取りに必要な個人情報の記入欄が並んでいる。
「うわぁ……」
雄猫は誓約書を眺めながら、思わず声を漏らした。
「マジで書かせるんだ、これ……いや、まあ一千万だもんなぁ。そりゃこれくらいは必要か」
画面の端に表示されている金額を見て、雄猫はニヤニヤと笑みを浮かべる。 先程までの強制ログアウト騒動を考えれば、そもそも参加すること自体がどうかしている気もするが、それでも一千万という金額は魅力的だった。 現実世界で生活するためには、金が必要だ。 家賃、食費、光熱費、その他諸々。 生きているだけで金が飛んでいくこの世の中において、何の苦労もせずに大金を手に入れられる機会など、そうそう巡ってくるものではない。
「……よし」
雄猫は必要事項を記入し、最後にサインを行った。 すると、誓約書のウィンドウが閉じられ、参加登録完了という文字が浮かび上がる。
「はい、これで俺は参加者ってわけだ。んじゃ、フリオもさっさと……」
「待て」
「ん? 」
「……通帳」
「通帳? 」
フリオは誓約書の記入欄を凝視しながら、額に手を当てた。
「通帳の情報を記入しなければならないんだった……! 」
「あー、そういやそうだったね」
「どうすればいいんだ!? 俺は通帳を持っていないぞ! そもそも、今の俺が使える銀行口座があるのかどうかすら分からない! 」
フリオは慌ててメニュー画面を開き、あちこちを指で操作し始める。 その姿を眺めていた雄猫は、対照的に落ち着いた様子で腕を組んだ。
「いやいや、落ち着けって。通帳そのものが手元になくても、口座番号くらいなら確認できるだろ? ミッドナイトに登録した時のアカウント情報とか、銀行のアプリとかさ」
「銀行の……アプリ? 」
「うん。えーっと、まずメニューを開いて、現実世界のアカウント管理画面に移動してみ。そこから登録情報を確認するんだよ」
雄猫はフリオの隣へ移動すると、実際に自分の画面を展開しながら操作の手順を説明する。 フリオは言われた通りに画面を操作し、しばらくして一つの項目を見つけた。
「……これか? 」
「そうそう。それそれ」
「銀行口座情報……」
画面に表示された文字を読み上げたフリオは、恐る恐るその項目を選択する。 すると、銀行名や支店名、口座番号などが記載された画面へと切り替わった。
「おお、あったじゃん。良かったな」
「……ああ、これなら記入できる」
フリオはほっと胸を撫で下ろした。 しかし、その直後だった。
「ん? 」
雄猫が画面を覗き込み、首を傾げる。
「何だこれ、保護者監視のマークが付いてるぞ」
「保護者監視……? 」
「ほら、アカウントの右上。未成年者向けの管理機能じゃないかな。ミッドナイトって、未成年が登録する時は保護者の同意が必要なんだよ。たぶんその関係だと思うけど」
「そうなのか……」
フリオは自分のアカウントをじっと見つめた。 確かに、画面の隅には保護者による管理が有効であることを示す小さなマークが表示されている。
「ま、口座番号は確認できてるんだし、ひとまず問題ないだろ。パスワードも自動入力になってるみたいだし」
「ぱすわーど……」
「そう、それ。ほら、もうログインできてるじゃん。わざわざ入力する必要もないみたいだし」
雄猫は軽い調子で説明を続ける。 一方のフリオは、銀行口座の画面を見ながら何かを考え込んでいるようだった。
「……なあ」
「ん? 」
「暗証番号というのは、六桁も必要なのか? 」
「は? 六桁? 」
雄猫は思わずフリオの顔を見た。
「いや、ちょっと待て。何でそんなことを俺に聞くんだよ」
「画面に表示されているのだが……」
「えっ」
雄猫は再び画面を覗き込む。 そこには、暗証番号の入力欄が表示されていた。 六つの数字を入力する形式になっているらしく、空欄が六つ並んでいる。
「……ああ、なるほど。そういうことね」
雄猫は納得したように頷いた。
「銀行によって違うこともあるけど、最近はセキュリティの関係で色々あるからな。まあ、俺も全部知ってるわけじゃないけど」
「そうか……」
「てか、これ本当にお前の口座なんだよな? 」
「……分からない」
「分からないのかよ! 」
雄猫は思わず突っ込んでしまった。
「いや、だってさっきから自分のこと何も覚えてないんだろ? 口座があるのは分かったけど、暗証番号まで分からなかったらどうすんだよ」
「……確かに」
「まあ、今は口座番号さえ確認できれば大丈夫だろ。暗証番号を入力する必要はないみたいだし、余計なところは触らないでおこうぜ」
雄猫はフリオの画面から視線を外した。 これ以上、他人の個人情報を覗き込むのも気が引ける。 そもそも、自分達はゲームの中に閉じ込められている真っ最中なのだ。 銀行口座の管理方法を気にしている場合ではない。
「……よし、これで記入できる」
フリオは必要な情報を誓約書へ入力し、最後にサインを行った。 雄猫と同じようにウィンドウが閉じられ、参加登録完了の文字が浮かび上がる。
「これで、俺も参加者ということか」
「ああ。ようこそ、地獄の賞金稼ぎ生活へ」
「地獄……? 」
「いや、こっちの話」
雄猫はニヤリと笑った。
*
その後、誓約書にサインを済ませたプレイヤー達の前に、再びゲームマスターの姿が映し出された。
『諸君、参加登録は順調に進んでいるようだな』
空に浮かぶ大型ビジョンから、落ち着いた声が響き渡る。
『それでは、今後の流れについて説明しよう。今回の実験開始まで、残り数時間ほどの猶予を設ける。各自、その間に準備を整えておくように』
「数時間……? 」
「え、今すぐ始まるわけじゃないのか? 」 「まあ、準備期間があるなら助かるけど……」 「何を準備すりゃいいんだよ、装備も何もねえぞ! 」
プレイヤー達の間から、様々な声が上がる。 それを聞いているのか、いないのか、ゲームマスターは淡々と説明を続けた。
『参加者には、これより転移用のアイテムを一つずつ支給する。使用すれば、アルコーンストラテジー内に存在する各フィールドへと移動することが可能だ。自分の得意とする環境、あるいは攻略に適していると判断した場所を選ぶといい』
すると、プレイヤー達の目の前に小さな光が現れた。 光は徐々に形を変え、やがて手のひらに収まる程度の小さな結晶となる。 透明な結晶の内部には、淡い青色の光がゆっくりと渦巻いていた。
雄猫もそれを手に取り、様々な角度から眺めてみる。
「へぇ……これが転移アイテムか。見た目は結構綺麗だな」
「これを使えば、好きな場所に移動できるのか? 」
「正確にはフィールドの選択だろうな。何処にでも行けるってわけじゃないと思うけど」
「……なるほど」
フリオは結晶を握り締めた。 自分が今から向かう場所で、どんな危険が待ち受けているのかは分からない。 それでも、ここで立ち止まっているわけにはいかなかった。
弟を助けるためには、金が必要なのだ。 日本で治療を受けさせるために、兄貴分の男が手配してくれた機会。 その機会を無駄にするわけにはいかない。
一千万。
その金額があれば、弟の治療に必要な費用を賄えるかもしれない。 いや、賄わなければならない。 自分がここで失敗すれば、弟を救うための道が閉ざされてしまうのだから。
「……俺は、絶対に賞金を手に入れる」
フリオは誰に言うでもなく、静かに呟いた。
「おっ、やる気満々だねぇ」
「当然だ。俺には、どうしても金が必要なんだ」
「ふーん……」
雄猫は顎に手を当て、フリオを眺める。 先程までの会話を思い返す限り、彼の記憶は曖昧で、分からないことだらけだ。 それでも、弟のことだけははっきりと覚えているらしい。
「……なあ、フリオ」
「何だ? 」
「俺とチームを組まない? 」
「……は? 」
フリオは思わず聞き返した。
「いや、だってさ。俺も一人で攻略するより、誰かと組んだ方が楽だし。それに、お前は何かと危なっかしいからなぁ」
「俺が危なっかしいだと? 」
「だってお前、さっきから何も分かってないじゃん。ゲームのことも、ミッドナイトのことも、ログアウトのことも。そんなんで一人で行動したら、開始早々にゲームオーバーになりそうだし」
「……む」
フリオは言い返そうとしたものの、何も言えなかった。 実際、雄猫の言う通りなのだ。 この世界について分からないことが多すぎる。 自分がどこから来て、どうしてここにいるのかすら、まだ思い出せていないのだから。
「それに、俺にも理由があるんだよねぇ」
雄猫は楽しそうに笑った。
「今回の件、絶対に面白いネット記事になると思うんだよ。ゲームの世界に閉じ込められたプレイヤー達、謎のゲームマスター、賞金一千万を懸けた実験……いやぁ、こんなネタ、フリーライターとしては見逃せないでしょ」
「……記事? 」
「そうそう。俺、こう見えても文章を書く仕事をしてるんだよ。まあ、まだまだ食っていくのが精一杯なんだけどさ」
「……そうか」
フリオは雄猫を見つめた。 軽い口調で話しているが、彼なりに考えがあって行動しているらしい。 少なくとも、ただ面白がっているだけではないのだろう。
「……分かった。よろしく頼む」
「おっ、交渉成立! 」
雄猫は嬉しそうに右手を差し出す。 フリオは少し戸惑った後、その手を握り返した。
「ただし、足を引っ張るなよ」
「うわぁ、厳しいねぇ。まあ、俺だってやる時はやる男だからさ」
「……本当か? 」
「そこは信じてくれよ! 」
二人は互いに顔を見合わせ、少しだけ笑った。 この先、どんな危険が待ち受けているのかは分からない。 それでも、少なくとも今は一人ではない。 それだけで、ほんの少しだけ気が楽になった気がした。
*
「……ああ、そういえばまだ名前言ってなかったな……俺はキャット。あっち(現実世界)じゃフリーライターとコンビニバイトしながら細々と生きている人間だよ」
「キャット……それが名前なのか? 」
「いや、本名じゃないよ。ゲーム内の名前。現実の名前はまあ、必要になったら教えるよ」
キャットはそう言いながら、自分の猫の顔を指差した。
「この姿も自分でカスタマイズしたアバターだからね。猫が好きなのと、見た目が面白そうだったからこの姿にしたわけ」
「……そうか。俺はフリオだ」
「うん、それは知ってる」
「……」
「いやいや、そんな怖い顔しないでよ。さっき自分で名乗ってたじゃん! 」
フリオは呆れたように息を吐いた。 キャットはそんな反応すら面白いのか、肩を揺らして笑っている。
「……俺のことは、フリオと呼んでくれればいい。今はそれ以外、何も思い出せないからな」
「了解、フリオね。じゃあ、これからよろしく」
「ああ、よろしく頼む」
改めて自己紹介を終えた二人は、それぞれの手元にある転移アイテムを見つめた。
キャットは、これから始まる実験を記事にするため。 フリオは、弟を救うための賞金を手に入れるため。
目的は違えど、二人が進む道は同じになった。
『それでは諸君、準備を怠らぬように。開始まで、残された時間を有意義に使いたまえ』
ゲームマスターの声が響くと同時に、大型ビジョンが消失した。 広場には、これからどのフィールドへ向かうかを相談するプレイヤー達の声が響き渡っている。
「さて、と……」
キャットは転移アイテムを軽く放り投げ、すぐに手の中へと戻した。
「まずは、どこに行くか決めないとな」
「……ああ」
フリオは頷き、広場の向こうに広がる景色を見つめた。
数時間後、この世界で本当の戦いが始まる。
それがどんな物語になるのか、今の二人にはまだ知る由もなかった。
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