*
カウントダウンの数字が、ついにゼロを示した。
いよいよゲーム開始。その瞬間を待ち構えていたキャットとフリオだったが、二人の耳に届いたのは、開始を告げるシステム音声ではなく、拠点の外から聞こえる微かな足音だった。
「……誰かいるな」
キャットは声を潜め、入口へ視線を向けた。フリオもすぐさま作業の手を止め、壁際に置いていた石材を拾い上げる。キャットもそれに倣い、手頃な大きさの石を両手で握った。まだ武器らしい武器は作れていない。相手が敵だった場合、石を投げつけるくらいしか対抗手段がないのが現状だった。
やがて、草を踏みしめる音が入口のすぐ近くで止まった。二人が身構えた直後、草のカーテンが勢いよく押しのけられ、紫色のウィッチハットを被った少女が転がり込むようにして飛び込んできた。
「た、たすけてくださぃぃ……! 」
少女は肩で息をしながら、その場にへたり込んだ。帽子のつばがずり落ち、顔の半分ほどを隠している。服には草や土があちこちに付着しており、よほど慌ててここまで走ってきたらしい。
「……おいおい、いきなり何だよ。お前、誰だ? 」
キャットは石を構えたまま、少女の様子を注意深く観察した。フリオも警戒を解かず、いつでも動けるように身構えている。
「あ……すみません。私はスミレって言います……これ、プレイヤーネームの綴り、合ってるかなあ……? 」
少女は二人の顔を交互に見ながら、申し訳なさそうに呟いた。
「プレイヤーネーム? 」
フリオが首を傾げると、キャットは石を下ろさないまま、彼の方へ顔を向けた。
「このゲームじゃ、プレイヤーネームは英数字しか使えないんだよ。日本語の名前をそのまま登録することはできない。たぶん、こいつが言ってるのは名前の読み方か、登録したときの綴りだろ」
「あっ、そうです! えっと、確か……SUMIRE、だったと思います! 」
少女は思い出したように顔を上げたが、すぐに二人がまだ石を握っていることに気づき、再び縮こまった。
「そ、それで、あの……少しだけでいいので、食べ物を分けてもらえませんか……? お水も、もうほとんどなくて……」
「食料と水が欲しいのか。まあ、それは分かった。けど、その前に説明してくれ。どうしてこんなところに来たんだ? それと、その帽子は何だ? 」
キャットの問いかけに、スミレは一度大きく息を吸った。ようやく落ち着いてきたのか、彼女は自分がここへ来るまでの出来事を、少しずつ話し始めた。
彼女もまた、ゲーム開始前の準備段階でプレーンズバイオームを選択していたらしい。キャットほど深くゲームをやり込んでいるわけではないものの、基本的なシステムや序盤の進め方については、それなりに理解していた。開始直後は周囲の資源を集め、食料と水を確保しながら、簡単な武器や道具を作る。そうした初動の計画も、ある程度は立てていたという。
ところが、転位先で彼女を待っていたのは、予想していたような何もない草原ではなかった。
目の前には、一軒の建物が建っていたのである。
しかも、ただの建物ではない。そこには魔法使いのNPCが住んでいた。ゲームを知っているスミレにとって、それは思いがけない幸運だった。彼女は予定していた資源集めを後回しにして建物へ入り、魔法使いから魔法習得のためのクエストを受注したのだ。
「クエストってのは、NPCから受けられる依頼のことだ。クリアすればアイテムがもらえたり、能力を習得できたり、いろんな恩恵がある。ゲームを進めるうえでの、お楽しみ要素の一つだな」
スミレの話を聞いていたフリオが、疑問を口にしたのを受けて、キャットが簡単に説明を加えた。
「なるほど……。依頼をこなすことで、できることが増えるわけか」
「そういうこと。特に魔法関係のクエストは重要なんだ。魔法を使いたいなら、真っ先に受けておいて損はない。まあ、転位した先に魔法使いがいるなんて、相当運がいいけどな」
「はい! 私もそう思って、これはチャンスだって頑張ったんです! 」
スミレは少しだけ声を弾ませた。先ほどまで怯えていた少女とは思えないほど、魔法の話になると表情が明るくなる。
彼女が受けたのは、魔法使いの指定するアイテムを集めて持ち帰るという、いわゆるお使いクエストだった。指定されたアイテムを探して草原を駆け回り、必要なものを揃え、ようやく魔法使いのもとへ戻ったときには、すっかり時間が経っていたらしい。
それでも、苦労した甲斐はあった。
クエストを見事にクリアしたスミレは、野球ボールほどの大きさの火炎球を放つ『ファイアーLevel1』と、ランダムな地点へ転移できる『テレポートLevel1』を習得した。さらに報酬として渡されたのが、今彼女が被っている紫色のウィッチハットだった。魔法を扱う際に消費するMP、つまりマジックポイントのゲージを少しだけ伸ばしてくれる、魔法使い向けの装備品である。
「すごいな……初日から魔法を二つも習得したのか」
「えへへ……。そうなんです! もう嬉しくって、さっそくテレポートを使ってみたんですけど……」
そこでスミレの表情が一変した。
「……失敗したのか? 」
「いえ、魔法自体は成功したんです! ただ、転移先がランダムだったことを忘れていて……」
どうやら彼女は、魔法を習得できた嬉しさのあまり、テレポートを深く考えずに発動させてしまったらしい。幸いにも、転移先は同じプレーンズバイオームだった。しかし、そこは見渡す限りの草原が広がるだけの場所で、建物も水場も見当たらなかった。
そのうえ、周囲に食料もほとんどなかったため、彼女は歩いて安全な場所を探すしかなかったという。
「それで、ここに来るまでずっと歩いてたのか? 」
「はい……。途中で木の実を探したり、草を食べられないかなって試したりもしたんですけど、食料ゲージがもう限界で……。水も、見つけるまでずっと我慢してました」
「草は種類によって使い道が違うからな。食べられるものもあるけど、適当に口に入れるのはおすすめしないぞ」
キャットはそう言いながら、スミレの頭から足元までを改めて眺めた。疲れ切った顔に、土で汚れた服。どうやら冗談や演技で助けを求めているわけではなさそうだった。
「それで、ようやく川を見つけたんです。水を飲んで、少し落ち着いたところで、あの建物が見えて……。もう、敵が出てくる前に逃げ込むしかないって思って、勢いで入っちゃいました。ごめんなさい……」
スミレは帽子のつばを両手で押さえ、深々と頭を下げた。
話を聞き終えたキャットは、しばらく黙って少女を見つめていた。フリオもまた、手にした石を握り直してから、キャットの判断を待つように視線を向ける。
やがて、キャットは小さく息を吐き、石を床に置いた。
「……まあ、事情は分かった。とりあえず、敵じゃなさそうだな」
フリオもそれに倣って石を下ろす。ようやく緊張が解けたスミレは、ほっと胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます……! 本当に、助かりました……! 」
「礼を言うのはまだ早い。食料を渡すのには、条件がある」
「じょ、条件……ですか? 」
スミレの顔が再び強張る。キャットはそんな彼女の反応を見て、少しだけ口元を緩めた。
「難しい話じゃない。俺たちのチームに入ってくれ。それだけだ」
「チーム……? 」
「そう。今は二人で動いてるけど、人数が増えればできることも増える。お前は魔法が使えるんだろ? だったら、俺たちにとっても悪い話じゃない。食料と水は分けるし、ここで休んでもいい。代わりに、しばらく一緒に行動してもらう」
キャットにとって、これは単なる気まぐれではなかった。魔法を使える仲間がいれば、戦闘の幅が広がる。しかも、ゲーム開始直後に魔法を二つも習得しているのなら、今後の攻略において大きな戦力になる可能性がある。
もちろん、見知らぬ相手を簡単に信用するつもりはなかった。だが、ゲームを生き抜くためには、利用できるものを利用する判断も必要だ。
「俺は構わないぞ。困っている相手を見捨てるのも、気分が悪いからな」
フリオは特に異論もない様子で頷いた。
「ほ、本当にいいんですか? 私、まだそんなに強くないですし……」
「魔法が使える時点で十分だ。それに、最初から何でもできる奴なんていないだろ」
キャットの言葉に、スミレは何度か瞬きをした。それから、帽子のつばを持ち上げ、今度はしっかりと二人の顔を見た。
「……はい! 私でよければ、よろしくお願いします! 」
こうして、キャットとフリオの二人に、新たな仲間が加わった。
そして、仲間が三人になったことで、キャットはようやく、以前から考えていた計画を実行に移すことにした。
「さて、フリオ。ここで一つ、俺達はある条件を満たした」
「何だ? 」
「……ギルドを作ろう! 」
「ぎるど? 」
聞き慣れない言葉に、フリオは首を傾げた。スミレも興味深そうにキャットへ視線を向ける。
「ギルドっていうのは、プレイヤー同士で結成する組織のことだ。アルコーンストラテジーじゃ、同志のプレイヤーが三人以上いれば設立できる。ギルドを作っておくと拠点の恩恵を受けやすくなるし、ギルド専用のクエストやボスも用意されている。攻略を進めるなら、作っておいて損はない」
「なるほど……。つまり、仲間同士で協力するための仕組みというわけか」
「そういうこと。せっかく三人揃ったんだ。利用できるシステムは、片っ端から使っていこうぜ」
キャットは得意げに胸を張った。もっとも、彼の身体は猫の姿をしているため、人間のように胸を張っているつもりでも、傍から見れば少しばかり不思議な格好になっていた。
「では、ギルドの名前も決めないとな」
フリオの言葉に、キャットは待ってましたと言わんばかりに顔を輝かせた。
「もう決めてある。俺たちのギルド名は__『ウィンドーズ』だ! 」
「ウィンドーズ……? それは、どういう意味なんですか? 」
スミレが遠慮がちに尋ねる。キャットは少し間を置き、まるで大それた計画でも打ち明けるかのように、堂々と答えた。
「俺たち三人で、このゲームに竜巻を起こしてやろうって意味さ。どうせやるなら、ただ生き残るだけじゃ面白くないだろ? 最後のボスを倒すのはもちろん、ほかのプレイヤーが驚くようなことをやってやるんだよ」
「……竜巻、ですか」
スミレはその名前を小さく繰り返し、しばらく考え込んでから、控えめに笑った。
「ふふっ……。なんだか、やる気が増しますね! 」
「おっ、分かるか? いやあ、やっぱり名前ってのは大事だからな! 」
「まだ何も始まっていないのに、ずいぶんと自信があるんだな」
フリオが苦笑すると、キャットはすぐさま彼へ顔を向けた。
「何だよ、フリオ。こういうのは最初の勢いが大事なんだって! それに、竜巻ってのは小さな風から始まるものだろ? 俺たちも、まずはここからだ」
そう言ってキャットは、二人の前で小さな前足を掲げた。
戦地出身だという、まだどこか得体の知れない男。魔法を手に入れたばかりの、少し頼りない少女。そして、ゲームの知識だけは誰にも負けないと自負する猫のプレイヤー。
こうして、三人によるギルド『ウィンドーズ』が誕生した。
彼らが本当にこのゲームに嵐を巻き起こすことになるのか。それを知る者は、まだ誰もいなかった。
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