*
「さて、と。まずはどこに転移するか決めないとな」
広場の喧騒から少し離れた場所で、キャットはゲームマスターから受け取った転移アイテムを手の中で弄びながら、空中に表示されたマップを眺めていた。半透明の地図には、草原や森林、砂漠、雪原といった様々な地形が色分けされており、それぞれの名称と簡単な説明が添えられている。どうやら転移先を選択するための専用画面らしい。
「転移先って、好きな場所を選べるのか? 」
隣から覗き込んできたフリオが、興味深そうに地図を見回す。
「ああ。もっとも、どこを選ぶかによって、その後の難易度が大きく変わるけどな。例えば雪原なんかに飛ばされたら、寒さ対策も考えなきゃならないし、砂漠なら水の確保が難しい。初期装備も大したことないから、最初から厳しい環境に飛び込むのは得策じゃない」
「なるほど……。つまり、最初は生き延びやすい場所を選べばいいわけか」
「そういうこと。で、俺のおすすめはここだ」
キャットが前足で画面の一角を指し示す。そこには、なだらかな草原がどこまでも続く地形の絵と、『プレーンズバイオーム』という文字が表示されていた。
「プレーンズバイオーム? 」
「平原だよ。適度に木が生えていて、石も見つかる。地形が開けてるから周囲を見渡しやすいし、川や湖があれば水も確保できる。初心者が最初に活動する場所としては、かなり優秀なんだ」
「なら、そこにしよう。俺はこの世界のことを何も知らないし、詳しいお前の判断に従うよ」
「おっ、話が早くて助かるね。それじゃ、さっそく行きますか! 」
キャットが選択を確定させると、マップの表示が消え、手の中にあった転移アイテムが淡い光を放ち始めた。光は結晶の内部を走る稲妻のように明滅し、やがて二人の足元まで広がっていく。広場の喧騒が遠のき、視界が白く染まった。
*
次の瞬間、二人は草原の真ん中に立っていた。
「おお……! 」
フリオは思わず感嘆の声を漏らした。目の前には、青空の下、緑の草が風に揺れる広大な平原が広がっている。ところどころに背の低い木々が生え、遠くには緩やかな丘が幾重にも連なっていた。頬を撫でる風は心地よく、草の匂いが鼻をくすぐる。先ほどまでいた石畳の広場とは違い、周囲には人影も建物も見当たらない。耳を澄ませば、風にそよぐ草の音や、遠くで鳴く鳥の声らしきものまで聞こえてきた。
あまりにも穏やかな光景だった。これから命懸けの競争が始まるという事実を、一瞬だけ忘れてしまいそうになるほどに。
「……誰もいないな」
フリオは周囲を見渡しながら呟いた。広場ではあれほど多くのプレイヤーが集まっていたというのに、ここには自分たち以外の人間が一人もいない。見える範囲に他のプレイヤーの姿はなく、遠くの丘にも動く影はなかった。
「まあ、転移先はプレイヤーごとに分かれる仕組みなんだろ。少なくとも、今のところは俺たち二人だけみたいだな」
「ということは……ここを好きに使えるのか? 」
「そういうこと。最初の資材集めには都合がいい。誰かと取り合いにならずに済むしな」
キャットは満足げに頷くと、草原を見渡してから、ふとフリオの方へ顔を向けた。
「さて、ここからが本番だ。ゲーム開始までに、できるだけ準備を整えておかないとな」
「……そういえば、どうしてここを選んだんだ? 」
フリオが尋ねた。転移先を決めるとき、キャットは迷うことなくプレーンズバイオームを選んでいた。何か特別な理由があるのだろうとは思っていたが、彼はまだその説明を聞いていない。
「とりあえず、アルコーンストラテジーについての説明が必要だな……」
キャットは少し考えるように視線を上へ向け、それから前足を腰に当てた。説明する内容を頭の中で整理しているらしい。フリオは黙って続きを待つ。彼にとって、この世界は何もかもが未知だった。目の前に広がる草原も、空に浮かぶメニュー画面も、そして自分の身体に起きている奇妙な現象も、何一つ理解できていない。今は目の前の猫の言葉を頼りにするしかなかった。
「まず、このゲームの最大の特徴は、自由度の高さだ。アルコーンストラテジーは、プレイヤーの発想次第で本当に何でも作れる。……いや、誇張でも何でもなく、文字通り何でも、だ」
「何でも? 」
「例えば、剣を作りたいとするだろ? そうしたら、まずは剣の素材になるものを集める。鉄鉱石を掘って、精錬して、金属を作る。そこに柄になる木材なんかを組み合わせて、形を整える。そうやって条件を満たすと、システムが素材の組み合わせを認識して、剣として成立させてくれるんだ」
「素材を組み合わせるだけで、剣ができるのか? 」
「正確には、素材を集めるだけじゃ駄目だけどな。加工するための道具や設備が必要になることもあるし、作りたいものによっては、いくつかの工程を踏まなきゃならない。ただ、細かい設計を全部自分で計算しなくても、システムがある程度補助してくれる。だから、知識と工夫さえあれば、かなり自由に物を作れるわけだ」
キャットは前足の爪を出したり引っ込めたりしながら、話を続けた。
「で、作った剣に炎の力を宿したいなら、炎に関係する素材やアイテムを組み合わせればいい。そうすれば火炎剣の完成だ。もちろん、素材によって威力も性能も変わるし、何でも適当に混ぜれば強くなるってわけじゃないけどな」
「炎の剣……。そんなものまで作れるのか」
「作れるとも。剣だけじゃないぞ。銃だって、乗り物だって、建物だって作れる。知識があれば、単なる小屋から巨大な要塞まで、自分の好きなように組み上げられるんだ。工夫次第では、既存の道具を組み合わせて、想像もしなかったような装置を作ることだってできる」
「……それは、すごいな」
フリオは素直に感心した。彼の知る武器や道具は、鍛冶職人や技術者が長い時間をかけて作り上げるものだった。もちろん、それらにも工夫や技術は欠かせない。だが、このゲームでは素材を集め、仕組みを理解し、正しく組み合わせることで、現実では考えられないような物まで生み出せるという。
ただの遊びと片付けるには、あまりにも可能性が大きい世界だった。
「もっとも、何でも作れるからこそ、素材が必要になる。どれだけ優れた発想があっても、材料がなければ形にはできないからな。だから、まずは資材を集めるところから始めるんだ」
キャットは足元の草を踏みしめながら、周囲をぐるりと見渡した。
「このゲームには、バイオームっていう地形の区分がある。今いるプレーンズバイオームもその一つだ。森林なら木材を集めやすいし、山岳地帯なら石や鉱石を見つけやすい。砂漠や雪原にも、それぞれ特有の資源がある。つまり、どこで活動するかによって、集めやすい素材も、生き延びるための難しさも変わってくるわけだ」
「では、最初から資源の豊富な場所へ行けばいいんじゃないか? 」
「それが簡単なら苦労しないさ。資材が豊富な場所ほど、環境が厳しかったり、危険な生物が出てきたりすることもある。資源を集める前にやられたら意味がないだろ? それに、今回は俺たちだけで遊ぶわけじゃない。ほかのプレイヤーよりも早く準備を整えなきゃならないんだ」
そこでキャットは一度言葉を切り、フリオの反応を確かめるように顔を向けた。
「ちなみに、アルコーンストラテジーには三つの遊び方がある。ソロモード、マルチモード、それからMMOモードだ」
「三つもあるのか」
「ソロモードは文字通り、一人で広大な世界を開拓していくモードだ。素材を集めて、道具を作って、拠点を建てて、自分だけの世界を発展させていく。マルチモードは、それを複数人で遊ぶようなものだな。友達と協力して巨大な建築物を作ったり、役割を分担して資源を集めたりできる」
「それなら、今回のように競争する必要もなさそうだが……」
「そう、問題は三つ目のMMOモードだ」
キャットの声に、わずかに熱がこもった。
「MMOモードは、ほかのオンラインゲームと同じように、プレイヤー同士の競争がある。ゲーム内にはランキングが存在するから、腕を磨いてトップを目指すこともできるし、サーバーごとにランダムに生成される有限の大地で、巨大な拠点を築き上げることもできる。土地も資源も無限じゃないから、誰かが先に確保すれば、ほかのプレイヤーは別の場所を探さなきゃならない。強い装備や便利な設備を作るために、ほかのプレイヤーと協力することもあれば、資源を奪い合うことだってある」
「……つまり、ほかのプレイヤーも敵になる可能性があるわけか」
「まあ、必ずしも敵ってわけじゃないけどな。協力するか、競争するか、それを決めるのもプレイヤー次第だ。そういう自由さが、このゲームの面白いところでもあるんだよ」
フリオは草原の向こうへ目をやった。今は穏やかな風が吹いているだけだが、この世界のどこかでは、同じように転移してきたプレイヤーたちが動き始めているのだろう。誰かが木を切り、誰かが石を掘り、誰かが武器を作る。そうして準備を整えた者から、次の段階へ進んでいく。
そして今回は、ただ拠点を作って楽しむだけではない。
「今回の目的は、ほかのプレイヤーよりも早くラスボスを討伐することだ。ゲームマスターが言っていたガルドノアドラゴンを、誰よりも先に倒す。しかも、ゲームオーバーにならずにな」
「……そのために、今から準備をする必要があるんだな」
「その通り。時間が経てば経つほど、ほかのプレイヤーも強くなる。のんびりしていたら、あっという間に差をつけられるぞ。だからこそ、最初の資材集めが重要なんだ。良いスタートダッシュを切れるかどうかで、その後の展開が大きく変わるからな」
キャットはそう言って、目の前の草原を見渡した。遮るものが少なく、視界が広い。木々も点在しているし、遠くには石の採取に使えそうな岩場も見える。今のところ、彼らが活動を始める場所としては申し分ない。
「それで、プレーンズバイオームを選んだ理由だけど……。ここは資材と生存環境のバランスがいいんだ。木材も石材も、ある程度は手に入る。森林ほど木が密集しているわけじゃないけど、そのぶん周囲を見渡しやすいし、危険が近づいてきても気づきやすい。運が良ければ川や湖も見つかるから、水と食料の確保にも困りにくい」
「水と食料か……。そういえば、さっきから何も食べていないな」
「そこも大事なところだ。このゲームには、食料ゲージと水分ゲージがある。どちらも通常は百の状態から始まって、時間が経つにつれて減っていく。食べ物を食べれば食料ゲージが回復するし、水を飲めば水分ゲージが回復する。逆に、どちらかがゼロになれば、いろんなデバフがかかるんだ」
「デバフ? 」
「能力が低下するってことだよ。例えば、スタミナが減りやすくなったり、移動速度が落ちたり、戦闘で不利になったりする。状況によっては、まともに動くことすら難しくなるかもしれない。ラスボスと戦うどころか、そこへ辿り着く前に倒れるなんてこともあり得るわけだ」
「それは……避けたいな」
「だろ? だから、武器や防具を作ることも大切だけど、それと同じくらい水と食料の確保が重要になる。どんなに強い武器を持っていても、まともに動けなければ意味がないからな」
フリオは自分の身体を見下ろした。ゲームの中にいるはずなのに、風の冷たさも、草を踏む感触も、はっきりと伝わってくる。空腹や喉の渇きまで現実と同じように感じるのだとすれば、単なる数値の管理だと軽く考えるわけにはいかなかった。
「……わかった。まずは水と食料を確保する。それから、武器や道具を作るための素材を集めるんだな」
「理解が早くて助かるよ。ま、実際に動きながら覚えていけばいいさ。俺もこのゲームを遊ぶのは久しぶりだし、全部を完璧に把握しているわけじゃないからな」
「お前でも知らないことがあるのか? 」
「そりゃあるさ。ゲームの更新で仕様が変わることもあるし、何より今回はMidnightを通してプレイしている。昔の画面越しのゲームとは、感覚も違うからな」
キャットは軽く肩をすくめた。そう言いながらも、その声には不安より期待の方が強く滲んでいる。未知の世界に放り込まれ、ログアウトすらできなくなったという状況にもかかわらず、彼の中では既に、どうすればこの状況を攻略できるかという考えが動き始めていた。
フリオには、そんなキャットの姿が少し不思議に映った。自分にとっては命懸けの問題だというのに、彼はどこかゲームを楽しんでいるようにも見える。もっとも、だからこそ頼りになるのかもしれなかった。
「よし。話はこのくらいにして、さっそく水場を探そうぜ。川か湖が見つかれば、飲み水だけじゃなく、魚なんかも手に入るかもしれない」
「魚までいるのか? 」
「そりゃいるだろ。水があるんだから、何かしら生き物もいるはずだ。……まあ、どんな魚がいるのかは知らないけどな」
キャットは言いながら、平原の緩やかな傾斜へと目を向けた。地面は遠くに向かって少しずつ低くなっており、その先には木々が集まっている一角が見える。水は低い場所へ流れることが多い。地形を手がかりにすれば、闇雲に歩き回るよりは見つけやすいはずだ。
「とりあえず、あっちへ行ってみよう。地面の傾斜からして、水が流れていてもおかしくない」
「わかった。俺は何をすればいい? 」
「周囲をよく見てくれ。水場だけじゃなく、木や岩、食べられそうな植物があったら教えてほしい。変な生き物がいたら、近づく前に知らせてくれよ」
「了解した」
二人は並んで歩き始めた。キャットは草を踏み分けながら、ときおり足を止めて地面や遠くの景色を確かめる。フリオもその動きを真似するように、丘の向こうや木々の間へ視線を走らせた。
まだ、冒険は始まったばかりだ。
水も食料も、武器も道具もない。頼れるのは、この広大な世界と、目の前にいる一匹の猫だけだった。
それでも、二人は歩みを止めなかった。草原を渡る風の向こうに、これから生き延びるための手がかりがあると信じて。
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