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川を見つけたのは、草原を歩き始めてからしばらく経った頃だった。
緩やかな斜面を下った先、背の低い木々の間を縫うようにして、澄んだ水が流れていた。川幅はそれほど広くないものの、水底の石が見えるほど透明で、陽光を受けた水面がきらきらと輝いている。岸辺にはいくつかの植物が群生しており、流れの緩やかな場所では小魚の影が素早く走っていた。
「おおっ、あったあった! 」
先に気づいたキャットが、弾むような声を上げた。
「これが川か……思っていたよりも綺麗だな」
フリオは岸辺に近づき、流れる水を覗き込んだ。故郷にも川はあったが、戦いの続く土地では、こうして何の心配もなく水辺に立つことすら難しい時期があった。今は遠くから聞こえる風の音と、水が石にぶつかる涼しげな音だけが耳に届いている。
「飲めるかどうかは、ゲームの仕様次第だけどな。まあ、こういう場所なら水の確保には困らないはずだ。食料も魚がいるし、うまくいけば植物からも手に入る」
「なら、さっそく魚を捕まえてみよう」
「おう。ただし、あんまり期待するなよ。今は道具がないから、数を集めるのは難しいと思うぞ」
二人は川辺を調べながら、拾えそうな素材を探し始めた。キャットは水際の石や草むらに目を凝らし、フリオは川沿いを歩いて、木々の根元や岩の隙間に落ちている物を探した。今回はまだ採集用の道具を持っていないため、地面に落ちている物を拾うのが中心だったが、それでも何もせずにいるよりはずっといい。
しばらくして、二人はある程度の素材を集めることができた。
石材類が約八十個、木材類が約二十個、蜘蛛の糸が三本。それに、どうにか捕まえた魚が四匹。初期の資材としては決して無意味な量ではない。少なくとも、何も持たずに草原を歩いていた頃に比べれば、選べる行動は増えている。
しかし、集めた素材を確認したキャットは、頭を掻きながら低く唸った。
「これは……思いの外、木材が足りない……」
「足りないのか? 」
「足りない。いや、全然足りないってほどでもないんだけど、予定よりもかなり少ないんだよ」
キャットは目の前に表示した所持品一覧を眺めながら、耳をわずかに伏せた。彼の予定では、二人で協力すれば、開始前に木材を二百個程度は集められるはずだった。もちろん、周囲の環境次第では多少の誤差が出ることも想定していたが、まさかここまで少ないとは思っていなかった。
原因は単純だった。自分たちが移動できる範囲に、木があまりにも少なかったのである。
プレーンズバイオームは視界が開けている反面、森林のように木々が密集しているわけではない。遠くに木立が見えても、実際に近づいてみれば細い木ばかりだったり、素材として利用できる物が周囲に落ちていなかったりする。地面に落ちている木の棒を拾い集めるだけでは、どうしても限界があった。
「あと一本……いや、二本くらい太めの木の棒があれば、小さい斧が作れたんだけどな。そしたら、その辺の木を伐採して木材を増やせたのに……」
言いながら、キャットは近くに生えている木を見上げた。細い幹が風に揺れ、頼りなさそうな枝が何本か伸びている。あれを斧で切り倒せれば話は早いのだが、肝心の斧を作るための材料が足りないのだから、どうにもならない。
もっとも、いつまでも悩んでいるわけにもいかなかった。
「……ま、ないものは仕方ない。今ある素材でできることをやろう」
キャットは気持ちを切り替えるように首を振ると、所持品から石材をいくつか取り出した。
「フリオ、ちょっと手伝ってくれ。これから火を起こす」
「火? 」
「ああ。夜に備えてな」
そう言うと、キャットは拾ってきた石と蜘蛛の糸を取り出し、さらに周辺に生えていた花から葉を何枚か採取した。石を細かく砕いて糸と葉に混ぜ合わせ、システムの補助を受けながら素材を組み合わせていく。すると、所持品一覧に新たなアイテムが表示された。
「よし、できた。ボロい糸だ」
「……ボロい糸? 」
「名前は気にするな。今はこれでも役に立つんだよ」
キャットは少しだけ苦笑した。出来上がった糸は、名前の通り、繊維が不揃いで頼りない見た目をしていた。しかし、今の二人には高品質な素材を選り好みしている余裕などない。使える物は何でも使う。それが、このゲームで生き延びるための基本だった。
次にキャットは、集めた木材の中から木の棒を五本取り出した。それらをボロい糸で固定し、周囲にあった石を組み合わせる。何度か形を整えると、簡素な焚き火台のようなものが出来上がった。
「フリオ、そっちは薪を作ってくれ。細い木材を適当な長さに揃えて、燃やしやすい形にするんだ。やり方はシステムが補助してくれるから、素材を選んで組み合わせればいい」
「わかった。こういう作業なら、何とかなると思う」
フリオは頷き、言われた通りに薪を作り始めた。戦士として生きてきた彼にとって、火を扱うことそのものは珍しくない。野営の経験もあったし、限られた道具で必要な物を用意することにも慣れていた。ゲーム独自の仕組みには戸惑うものの、やるべきことが分かれば手は動く。
二人で準備を進めること数分。ようやくキャンプファイヤーの形が整った。
「よし、火をつけるぞ」
キャットが火種となる素材を組み合わせると、薪の隙間から小さな火が生まれた。最初は頼りない明かりだったが、やがて炎は勢いを増し、ぱちぱちと音を立てながら薪を包み込んでいく。橙色の光が二人の身体を照らし、足元の草に長い影を落とした。
それは、今の二人にとって初めての拠点らしい設備だった。
周囲にはまだ壁も屋根もなく、身を守るものといえば、燃え盛るキャンプファイヤーだけ。しかし、何もない草原に小さな火が灯ったことで、二人の立つ場所にはわずかながら生活の気配が生まれていた。
「……何だか、ようやく落ち着ける場所ができた気がするな」
フリオは炎を見つめながら呟いた。
「気持ちは分かるけど、まだ安心するには早いぞ。これはあくまで最低限の準備だからな」
「分かっているさ。それでも、何もない場所に火があるだけで、ずいぶん違うものだ」
その言葉に、キャットは小さく頷いた。彼もまた、火の揺らめきを眺めながら、ようやく一息つけるような気分になっていた。
そこで、フリオがふと顔を上げた。
「……あれ? 」
「ん、どうした? 」
「いつの間に、あんなに日が傾いたんだ? 」
キャットもつられて空を見上げる。
青かった空はいつの間にか茜色に染まり、太陽は草原の向こうへ沈みかけていた。雲の端が赤く縁取られ、平原を渡る風にも、昼間とは違う冷たさが混じり始めている。水辺を探し、素材を集め、火を起こす。たったそれだけの作業だったはずなのに、気がつけば夕暮れを迎えていた。
「本当だな……。なんだか、あっという間だった」
「そうだろ? 俺も最初は時間の感覚が掴めなくて、何度か驚かされたよ」
キャットは笑いながら、思い出したように前足を打ち合わせた。
「ああ、そうだったそうだった。教えるのを忘れてたけど、ここじゃ一日は二時間しかないからな」
「……二時間? 」
フリオは聞き間違いかと思い、思わず聞き返した。
「そう。一日は二時間。昼の一時間と、夜の一時間で一日が回るんだ」
「待て。昼の一時間と夜の一時間ということは……」
「朝と夕方、それから夜と深夜。それぞれの時間帯がかなり速いペースで切り替わるんだよ。現実の時間とは感覚が全然違う。さっきまで昼だったと思ったら、もう夕方。ちょっと油断すれば、すぐに夜が来る」
「それは……随分と忙しい世界だな」
「だろ? だから、時間管理も大事なんだ。現実ならまだ余裕があると思うような作業でも、ここじゃ気がついたら日が暮れている。特に序盤は、やることが山ほどあるからな」
フリオは改めて空を見上げた。太陽はもう地平線に近く、草原の色も昼間とは違って見える。つい先ほどまで明るい日差しの下を歩いていたはずなのに、今は夜の訪れを意識しなければならない。時間が短いということは、それだけ一つひとつの判断を急がなければならないということでもあった。
そして、その判断を誤れば、命取りになりかねない。
フリオは視線をキャンプファイヤーへ戻した。炎は変わらず揺らめき、時折、小さな火の粉を夜になりかけた空へと散らしている。
「そういえば……」
しばらくして、フリオが口を開いた。
「さっき、お前は木材が足りないと言っていたよな? 」
「ああ。言ったな」
「それなのに、今はこうして火を起こしている。木材は、そこまで重要なものなのか? 」
キャットは炎を見つめたまま、少し考えるように耳を動かした。
「重要どころじゃない。木材は、このゲームの序盤を支える基本素材の一つだ。拠点を建てるときには大量に必要になるし、道具や家具、設備を作るときにも使う。ほかにも用途は山ほどある。もちろん、ゲームを進めて装備や設備がグレードアップしていけば、木材を使う場面は徐々に減っていく。でも、最初のうちは何をするにも木材が必要になることが多いんだ」
「そんなにか……」
「そんなに、だ。木材が豊富にあれば、道具を作って資材を効率よく集められるし、拠点の建築も進められる。逆に木材が足りないと、何をするにも手が止まる。序盤の効率を左右する、かなり重要な素材なんだよ」
キャットは所持品一覧を開き、先ほどまで持っていた木材の数を確認した。そこに表示されている数字を見て、改めて小さくため息をつく。
「木材は、木の近くに落ちている木の棒を拾ってアイテム化するか、木そのものを伐採すれば手に入る。ほかにも入手方法はあるけど、序盤ならこの二つが基本だな。だから、俺としては最初に木材を大量に集めて、そこから道具を作り、さらに効率よく資材を集めるつもりだったんだ」
「だが、思ったほど集まらなかった」
「そういうこと。しかも……」
キャットはそこで言葉を切り、燃え盛るキャンプファイヤーへ目を向けた。
「今、手元にあった木材は、夜に備えるためのキャンプファイヤーで使い切っちまった」
「……全部? 」
「全部」
きっぱりと答えたキャットに、フリオは思わず炎を見直した。先ほどまでは頼もしく思えた火が、今は少しだけ高価なものに見える。確かに木材は重要だと聞いたばかりだ。それをすべて使ってしまったとなれば、今後の計画にも影響が出るのではないだろうか。
「それは……大丈夫なのか? 」
「大丈夫かどうかで言えば、正直あんまり大丈夫じゃないな。でも、必要な出費だったんだよ」
「必要な出費? 」
「ああ。夜になると、敵mobが湧くからな」
キャットの口調が少しだけ真剣なものに変わった。
「このゲームには、プレイヤー以外にも敵対的な生物が出現する。いわゆる敵mobってやつだ。昼間は比較的安全な場所でも、夜になると危険度が跳ね上がることがある。種類によって行動も違うし、暗闇に紛れて近づいてくるやつもいる。装備も道具も揃っていない今の俺たちが、そんな相手とまともに戦えると思うか? 」
「……難しいだろうな」
「だろ? しかも、今回はゲームオーバーになったら終わりだ。普通のプレイなら、失敗してもやり直せばいい。でも、今回はそうはいかない。ここで無理をして倒されたら、ラスボスに挑む前に脱落だ。だから、まずは敵mobを避けられる環境を作る必要があった」
「それで、キャンプファイヤーか」
「そう。火を灯しておけば、少なくとも一定の範囲は安全を確保しやすくなる。もちろん、これだけで何もかも防げるわけじゃないけどな。敵の種類や状況によっては、火があっても危険なことはある。それでも、何もない状態で夜を迎えるよりはずっとマシだ」
キャットは炎の周囲を見回した。今はまだ、草原の向こうに敵らしき影は見えない。しかし、空が暗くなれば、状況がどう変わるか分からない。彼はそのことを十分に理解していた。
「本当なら、もっと早い段階で拠点を作り始めるつもりだったんだ。ここで拠点を構えて、ゲーム開始までに少しずつ大きくしていく。そうすれば、開始と同時に拠点の恩恵を受けながら動き出せるからな」
「拠点の恩恵? 」
フリオは首を傾げた。
「そういえば、拠点というのは具体的に何なんだ? ただの家とは違うのか? 」
「いい質問だな」
キャットは前足を組み、今度は説明するようにゆっくりと話し始めた。
「拠点っていうのは、プレイヤーが活動するための基盤みたいなものだ。安全に過ごすための場所であると同時に、生活に必要な設備を整えたり、いろいろなバフを受けたりするための場所でもある。つまり、単に寝泊まりするための家ってだけじゃないんだ」
「バフというのは、能力が上がる効果のことか? 」
「そうそう。例えば、拠点の設備が整っていれば、作業の効率が上がったり、体力の回復が早くなったりする。条件によって受けられる効果は違うけど、拠点を充実させればさせるほど、活動を有利に進められるようになるんだ。ほかにも、資材を保管したり、設備を置いたり、装備を整えたりと、使い道はいくらでもある」
「なるほど……。それなら、確かに早く作った方がよさそうだな」
「だろ? ただし、どこでもいいってわけじゃない。システムが拠点として認めるには、プレイヤー自身が建造したものであることと、プレイヤーが中に入れることが必要になる。さらに、そこで衣食住をまかなえるような状態であることも条件だ」
「衣食住……。台所や寝室のようなものが必要なのか? 」
「いや、そこまで厳密じゃない。台所や居間がなきゃ駄目ってわけじゃなくて、あくまでプレイヤーが入れるかどうか、そして生活できる状態になっているかどうかが重要なんだ。見た目が立派な家でも、条件を満たしていなければ拠点として認められないことがある。逆に、見た目が簡素でも、必要な条件を満たしていれば拠点として成立する」
フリオは少し考え込んだ。つまり、拠点として認められるかどうかは、見栄えのよさではなく、システムが定めた条件を満たしているかどうかで決まるらしい。
「それなら、最初は簡単な小屋でもいいわけか」
「そういうこと。まずは最低限の拠点を作って、そこから設備を増やしていけばいい。俺の予定では、このプレーンズバイオームで拠点を作って、ゲーム開始までに少しずつ大型化させるつもりだったんだ。そうすれば、開始した瞬間から拠点のバフを受けやすい状態で動ける。ほかのプレイヤーがまだ準備に追われている間に、こっちは有利なスタートを切れるってわけだ」
「安全を確保する意味もあるんだな」
「もちろん。敵mobに襲われないように、まずは身を守れる場所を作りたかった。せっかく集めた資材を失うわけにはいかないし、何より、ゲームオーバーになったら終わりだからな」
そこまで話したところで、キャットは再び所持品一覧に目を落とした。画面に表示されている素材の数は、先ほど確認したときと変わっていない。石材はまだ残っているものの、木材はほとんどない。これでは拠点どころか、まともな道具を作ることさえ難しい。
予定では、明日から拠点の建築を始めるはずだった。木材を集め、斧を作り、伐採の効率を上げ、さらに資材を集める。そうして段階的に準備を進めるつもりだったのに、初日からその計画が崩れかけている。
「……さて、どうしたもんかな」
キャットは小さく唸った。
このままでは、明日になっても木材集めからやり直しだ。しかも、夜を越すためにキャンプファイヤーを維持する必要もある。拠点を建てるための素材を集める前に、まずは生き延びるための素材を確保しなければならない。
考えれば考えるほど、やるべきことばかりが増えていく。
「……なあ」
そんなキャットの様子を見ていたフリオが、ふと口を開いた。
「ん? 」
「拠点を作るのに、木材は絶対に必要なのか? 」
「ん……いや、絶対ってわけじゃないけど。木材があった方が作りやすいし、使い勝手もいいよねって話で……」
キャットは曖昧に答えながら、フリオへ視線を向けた。
「そりゃ、ほかの素材でも建物は作れるけどさ。石材だってある程度は集まってるし、土を使う方法だってある。ただ、土を使うとなると……」
「なあ、土はアイテム化できるか? 」
フリオはキャットの言葉を遮るように尋ねた。
「そりゃあ、まあ……できるけど」
「なら、この土と水を掛け合わせて泥を作って……泥を固めて家を作るのは? 」
「……あ」
キャットの耳がぴんと立った。
視線が、フリオの足元に広がる土へと落ちる。確かに、この辺りには土がいくらでもある。川もすぐ近くに流れているし、水を確保することにも困らない。木材が不足しているのなら、別の素材を使って建物を作ればいい。そんな当たり前のことを、彼はすっかり見落としていた。
いや、正確には、木材を中心に考えすぎていたのだ。
「……なるほど。土と水で泥を作って、それを固める、か」
キャットは顎に前足を当て、頭の中で素材の組み合わせを考え始めた。泥を作ることができるなら、それを建築用の素材として利用できる可能性はある。石材も残っている。木材が足りないというだけで、建築そのものを諦める必要はなかったのだ。
「フリオ、お前……意外といいことを思いつくじゃないか」
「意外とは余計だろ。俺だって、少しは頭を使うさ」
「ははっ、悪い悪い! 」
キャットは笑ったが、その目はすでに真剣だった。木材が足りないという問題は、まだ解決していない。それでも、別の道が見えたことで、止まりかけていた計画が再び動き始めていた。
資材が足りないなら、別の素材で補えばいい。
この世界では、発想次第で何でも作れる。
ならば、今あるものだけで、どこまでやれるのか。
キャットはキャンプファイヤーの炎を背に、足元の土を見つめた。明日から始めるつもりだった拠点建築は、もしかすると、今夜のうちに一歩を踏み出せるかもしれない。
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