翌朝。草原を照らす朝日が、夜の名残を少しずつ追い払っていく。
川のせせらぎが静かに響く中、フリオとキャットは早くも活動を始めていた。昨日のうちに見つけた水場を拠点の近くに確保できたのは幸運だったが、二人にはまだまだやるべきことが山ほど残っている。ゲーム開始までに安全な拠点を用意し、武器や道具を作るための素材を集め、食料も確保しなければならない。どれか一つでも疎かにすれば、ほかのプレイヤーたちに後れを取ることになる。
「よし、役割分担をしよう。昨日の話を踏まえると、まずは拠点を完成させたい。木材が足りないのは相変わらずだけど、土や水なら周囲にいくらでもあるからな」
キャットはそう言いながら、足元の土を前足で軽く叩いた。
「なら、拠点は俺が作ろう。こういう作業は嫌いじゃない」
「おっ、任せていいのか? 」
「ああ。お前は資材集めに集中してくれ。木材が必要なんだろう? 」
「そうだな。拠点の問題は泥を使えば何とかなるかもしれないけど、道具を作るにはやっぱり木材がいる。特に斧があれば、今までとは比べ物にならないくらい効率が上がるはずだ。あとは食料もだな。昨日の魚は四匹しかなかったし、これから先のことを考えると、もう少し余裕を持っておきたい」
「分かった。なら、こっちは建物を形にしておくよ」
フリオは頷くと、さっそく作業に取りかかった。
まずは地面の土をアイテム化し、近くの川から水を汲んでくる。二つの素材をシステム上で組み合わせると、所持品一覧に泥が表示された。昨日、キャットと話していたときには思いつきに過ぎなかった方法だが、実際に試してみれば、拍子抜けするほどあっさりと成功した。
「よし、これならいけそうだな」
フリオは泥を手に取り、しばらくその表示を眺めた。普通なら、土と水を混ぜただけで建築に使える素材が完成するわけではない。乾燥させたり、焼いたり、場合によっては別の材料を混ぜたりする必要があるはずだ。しかし、ここはアルコーンストラテジーの世界。素材の組み合わせがシステムに認識されれば、それに応じたアイテムを作り出すことができる。
ならば、今ある材料で、より丈夫な建材を作れないだろうか。
フリオは周囲を見回し、草むらに絡みつくツルと、昨日拾った蜘蛛の糸を思い出した。泥だけでは強度に不安が残る。ならば、繊維を混ぜ込んで補強すればいい。そう考えた彼は、泥に草のツルと蜘蛛の糸を加え、素材の組み合わせを試してみた。
すると、システムが反応した。
泥の表面が固まり、所持品一覧に新たなアイテムが表示される。
「……泥のレンガ、か」
フリオは表示された名称を読み上げ、満足げに頷いた。
これなら建物を作るための材料として使えそうだ。しかも、土も水も草のツルも、周囲を探せばまだまだ手に入る。蜘蛛の糸だけは無尽蔵というわけにはいかないが、昨日拾った分で当面の作業には足りるだろう。
「さて、あとは数を揃えるだけだな」
フリオはさっそく泥のレンガを作り始めた。土を集め、水を運び、ツルを混ぜ、レンガを作る。その繰り返しだ。効率のよい道具があるわけでもなく、作業は決して楽ではなかったが、手を止めることはなかった。
キャットと話している最中、フリオはふと手を止めた。
「……昔も、こうやって戦地で作ってたなぁ……」
フリオは泥をこねる手を止め、どこか懐かしそうに出来上がりつつある壁を眺めた。
「……戦地、ねぇ」
キャットは木材を探す手を動かしたまま、ちらりとフリオに目を向けた。ここへ来る前、フリオは自分を故郷のために戦う戦士だと名乗っていた。あのときは妙な設定を演じているプレイヤーなのだろうと考えていたが、こうも自然に言われると、少しばかり引っかかる。
もちろん、今さら信じたわけではない。ただ、少なくともフリオは、そういう場所で暮らしてきた人間のように振る舞っていた。
「戦地か……」
「ああ。まあ、必要に迫られて覚えたことも多いけどな」
フリオは何でもないことのように答え、再び泥のレンガを作り始めた。
キャットは一瞬だけ首を傾げたものの、深く追及することはしなかった。今は彼の過去を聞くより、目の前の問題を片付ける方が先だ。
「まあ、頼りにしてるぜ。こっちはこっちで、何とか使える素材を集めてくるからな」
「任せておけ」
フリオの返事を聞き届けると、キャットは草原へと駆け出した。
*
目指すのは、木材を集められる場所だ。昨日歩いた範囲では、木の棒が落ちている場所も、伐採に使えそうな木も少なかった。だからといって、同じ場所を探し続けても成果は期待できない。少し遠くまで足を延ばし、地形を確認しながら、素材が豊富な場所を探す必要があった。
草原を渡る風を受けながら、キャットは周囲に目を配った。木々の根元、岩の陰、草むらの奥。地面に落ちている物を見逃さないよう、慎重に歩みを進める。
道具がない今、素材集めはどうしても効率が悪い。木材を拾うにも、食料を探すにも、結局は自分の足で歩き回るしかないのだ。
「……やっぱり、斧が欲しいな」
キャットは遠くに見える木立を眺めながら呟いた。
木材さえあれば斧を作れる。斧があれば木を伐採できる。木を伐採できれば、さらに多くの木材が手に入る。そうやって効率を上げていくのが、このゲームの序盤における基本的な流れだった。
だが、その最初の一歩を踏み出すための素材が足りない。
ゲーム開始までに準備を整えられるかどうかは、こうした小さな積み重ねにかかっていた。
キャットは気持ちを切り替え、再び探索に集中した。小さな木の実を見つければ拾い、木の棒が落ちていれば回収し、使えそうな石材があれば所持品に加える。途中で見慣れない植物を見つけたときには、念のためアイテム化して名前を確かめた。
そして、時折、食料ゲージの残量にも目を向ける。
素材を集めることに夢中になりすぎて、空腹や喉の渇きを忘れてしまえば元も子もない。昨日、キャット自身がフリオに説明したことだ。これから先、敵との戦闘が始まれば、体力やスタミナを消耗する場面も増えてくるだろう。食料を確保できていなければ、いざというときに動けなくなる可能性がある。
「あーあ……もうちょい木が生えてたらなぁ……多少時間かかる予定でフォレストプレーンズを選ぶべきだったか……? 」
ぼやきながらも、キャットの足は止まらなかった。
時間は刻一刻と過ぎていく。
やがて、空がゆっくりと茜色に染まり始めた。
キャットはその色を見上げ、思わず耳を立てた。昨日も同じように、作業に夢中になっているうちに夕暮れを迎えてしまったのだ。ゲーム内の一日は短い。探索に時間をかけすぎれば、戻る頃には夜になってしまう。
__……そろそろ戻るか。成果は十分とは言えないけど、これ以上遅くなるのはまずい。
キャットは所持品を確認し、来た道を引き返した。
夕暮れの草原は、昼間とは違った顔を見せていた。長く伸びた草の影が地面に揺れ、遠くの丘は赤い光を受けて輪郭をぼかしている。風が吹くたびに草が波のように揺れ、日中の明るさの中では気づかなかった小さな凹凸が、影となって浮かび上がっていた。
その景色を眺めていると、ほんの少しだけ、ここが命懸けのゲームの中だということを忘れそうになる。
しかし、キャットはすぐに気を引き締めた。
この世界は美しい。だが、美しいからといって安全とは限らない。
*
やがて、見慣れた川と、そのそばに建つ泥のレンガの建物が視界に入った。
「……おおっ! 」
キャットは思わず声を上げた。
昨日の時点では何もなかった場所に、立派な建物ができていたのである。泥のレンガを積み上げた壁は想像以上に高く、遠目には簡素ながらも頑丈そうな小屋に見えた。壁面にはレンガが隙間なく並び、角もきちんと形を整えられている。周囲には建築に使ったと思われる土や草のツルが残っていたが、それを差し引いても、短時間で作り上げたとは思えない出来栄えだった。
建物の前では、フリオが額に浮かんだ汗の粒を手の甲で拭いながら、こちらに向かって手を振っていた。
「おかえり、キャット! 」
「ただいま! これ、お前が作ったの!? スッゲーーー!! 」
「ああ。何とか形にはなったよ」
フリオは少し照れくさそうに笑った。
キャットは建物の前まで駆け寄り、壁を見上げ、それから入口へと視線を移した。建物はおよそ十メートル四方。男二人が過ごすには少々狭く感じる広さだったが、今の状況を考えれば十分すぎるほどだ。
もっとも、よく見れば、まだ完成とは言い難い部分もある。
床は一部が土のままで、天井の中央には大きな穴が開いていた。入口に扉はなく、代わりに草のツルを編んだ簡素なカーテンが垂れ下がっている。窓も当然ついていないため、建物の内部は薄暗く、外から覗き込んでも奥まではよく見えなかった。
それでも、壁がある。屋根の一部もある。雨風を防ぐための場所としては、昨日までの何もない草原とは比べ物にならない。
「いや、すごいな……。まさか、ここまで作ってくるとは思わなかった」
「材料は周囲にいくらでもあったからな。あとは、ひたすら積み上げるだけだった。まあ、細かい部分はまだ残っているけど、ひとまず使えるだろう」
キャットは満足そうに頷いた。
「いや、十分だよ。少なくとも、これで拠点を作るっていう目標は達成できそうだ。ありがとな、フリオ! 」
「どういたしまして。こっちも、やることがはっきりしていたからな」
フリオの言葉に、キャットは笑みを浮かべた。
昨日の夜、木材が足りないと悩んでいたときには、ここまで立派な建物ができるとは想像していなかった。木材がなければ土を使えばいい。土だけでは不安なら、草のツルや蜘蛛の糸を混ぜて補強すればいい。発想を少し変えるだけで、できることは大きく広がる。
改めて、このゲームの自由度の高さを思い知らされた気分だった。
「さて、こっちも成果を見せないとな」
キャットは所持品一覧を開き、集めてきた素材をフリオと共有した。
小さな木の実が七個、木材が十個、石材が七十個。そして、もう一つ。
「……おっ、これは? 」
フリオが目を留めたのは、キャットの所持品に表示された一輪の花だった。
花弁は淡い光を帯び、夕暮れの中でもほのかに輝いている。茎は細く、葉は透き通るような緑色をしていた。周囲の草花と比べても明らかに様子が違う。まるで花そのものが、内側から小さな光を放っているかのようだった。
「へへっ、キレイだろ? これ、精霊の花っていうレアアイテム! 」
キャットは嬉しそうに胸を張った。
「精霊の花……。珍しいものなのか? 」
「そこそこレアだな。俺も、まさかこんな序盤で拾えるとは思わなかったよ。探索中に草むらの中で見つけてさ、最初は普通の花かと思ったんだけど、アイテム化してみたら名前が違ったんだ。こういう予想外の発見があるから、素材探しはやめられないんだよな」
キャットは花の情報画面を表示させ、フリオにも見えるようにした。
「で、この花のすごいところは、武器を作るときに使えるってことだ。精霊の花と一緒に武器を作ると、精霊の加護っていう効果がつくことがある」
「精霊の加護? 」
「そう。少しだけ防御力が上がるバフを、常時受けられるようになるんだ。もちろん、どんな武器にも必ずつくわけじゃないし、上昇量もそこまで大きくない。でも、序盤の装備が整っていない時期なら、少しの防御力だって馬鹿にできないだろ? 」
「確かに。敵と戦うとき、少しでも受ける傷を減らせるなら有利になる」
「その通り! しかも、武器に効果がつくなら、装備している間は恩恵を受けられる可能性が高い。これは使わない手はないだろ」
キャットは精霊の花を眺めながら、早くも何を作るか考えているようだった。
木材はまだ足りない。装備も十分ではない。食料にも余裕があるとは言い難い。それでも、こうした思いがけないレアアイテムを手に入れられたことは大きな収穫だった。少なくとも、二人の冒険を少しだけ有利にしてくれる可能性がある。
「よし、さっそく武器を作ろう。石材もあるし、木材も少しは集まった。今ある素材で何が作れるか、試してみる価値はあるはずだ」
キャットが素材の組み合わせ画面を開いた、そのときだった。
――ピン、ポーン。
不意に、澄んだ電子音が草原に響き渡った。
「……ん? 」
キャットの耳がぴくりと動く。
続いて、空中に半透明のウィンドウが現れた。そこには見覚えのある紋章と、ゲームマスターを示す文字が表示されている。昨日、広場の上空に姿を現した謎のローブの人物。その存在を思い出した瞬間、キャットの表情から笑みが消えた。
フリオもまた、作業の手を止めて画面を見つめている。
やがて、ウィンドウの中央に大きな文字が浮かび上がった。
『全プレイヤーへ通達。ゲーム開始まで、残りわずかとなりました』
それは、二人が待ち望んでいた知らせであり、同時に、恐れていた瞬間の訪れを告げるものでもあった。
『残り時間のカウントダウンを開始します』
数字が表示される。
ゲーム開始まで、あとわずか。
キャットはゆっくりと息を吐いた。ここまで準備を進めてきたものの、十分だと言い切れるほどではない。武器も、道具も、まだまだ揃っていない。拠点はできたが、完成には程遠い。それでも、今さら後戻りはできなかった。
「……いよいよ、か」
キャットは呟き、前足を握りしめた。
「ああ。ここからが本番だな」
フリオもまた、静かに頷いた。その目には、昨日までとは違う強い光が宿っている。弟を救うために賞金を手に入れる。その目的を果たすためにも、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「フリオ、絶対に生き残ろうぜ。俺たちでガルドノアドラゴンを倒すんだ」
「当然だ。俺は弟を救うために、この戦いに勝たなきゃならない。どんな相手が待っていようと、最後まで戦い抜いてみせる」
二人は互いに顔を見合わせ、力強く頷いた。
不安がないわけではない。むしろ、分からないことだらけだ。どんな敵が現れるのか、ほかのプレイヤーたちがどのように動くのか、そして、この世界で本当に生き残れるのか。
答えはまだ、何一つ分からない。
それでも、二人にはやるべきことがあった。
キャットは武器の素材を確認し、フリオは建物の入口に掛けられた草のカーテンを見やった。小さな拠点の中には、まだ十分な設備も、安心して眠れる場所もない。だが、二人が協力して作り上げたものが、確かにここにある。
そのことが、ほんの少しだけ心を落ち着かせてくれた。
カウントダウンの数字が、淡々と減っていく。
そして、二人が迫り来る戦いに意識を集中させている、その頃。
泥のレンガで作られた建物の外から、一人の少女が静かに近づいてきていた。
草を踏む小さな足音は、風と川のせせらぎに紛れて、二人の耳には届かない。
少女の姿に、まだ二人は気づいていなかった。
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