あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。何度も時計は見ていたはずだがそれは全く分からない。もしかしたら無限ループに入り込んでしまって永遠に来ないんじゃないかって思う時もあったけど――でもその時はちゃんとやって来た。
不意にドアが開くと中から先生が姿を現した。あたしは先生が歩み寄るよりも速く駆け寄る。先生が口を開くまでのほんの数秒でさえ、待ち遠しくもどかしい。急かしたい気持ちはあったけど黙って先生へ視線を向け待った。まるで判決を言い渡される人のような気持ちだ。
「命に別状はありません」
その言葉で一気に緊張の糸が切れると体が軽くそして楽になるのを感じた。それと同時に安堵の溜息が零れる。
「ですが……」
だけどその雲行きを怪しくさせる言葉が再度あたしを緊張させた。出来る事ならそんな言葉は聞きたくなかった。だけど耳を塞ぎ現実逃避をする訳にもいかない。色々な気持ちをグッと堪えながら言葉の続きを待つ。
「意識は依然、戻っていません」
「えっ? 大丈夫なんですか? ちゃんと戻るんですよね? 大丈夫なんですよね? また一緒に話したり出来るんですよね? 大丈夫なんですよね?」
思わず捲し立てるように。というより大丈夫だと言ってくれと言わんばかりに先生へ言葉を投げつけた。
「分かりません。今は経過を見るとしか……」
申し訳なさそうな表情をする先生にあたしは少し我に返った。
「――そう、ですか……。分かりました」
力無く俯き、あたしはそう小さく呟くしかなかった。
静かな通路を通り見慣れ始めたドアを開け、病室の中へ足を踏み入れる。
「桃奈ー。今日も来たよぉ」
病室に入るとベッドに横たわる桃奈の姿。目は閉じたままで意識は無い。
あの日から約一週間。あたしは毎日ここへ来ているが毎回家を出る度に思うことがある。
この病室のドアを開けて中に入れば状況が分からなくてキョトンとした桃奈がベッドに座ってる。そしてあたしの顔を見るとあの無邪気な笑みを浮かべて一言「蓮姉」って言うんだ。そんな光景を思い浮かべ、期待してここまで来てる。
だけど現実は夢物語のようにはいかない。そこにあるのは彼女が生きていることを可視化してくれる心拍計とその傍で静かに眠る桃奈の姿だけ。
そんな彼女の頬へ撫でるように触れれば自然とまだ幼かった頃を思い出す。あたし達の後ろに引っ付いていた頃を。
「ふふっ。懐かしいなぁ」
気が付けば笑みが零れていた。
でも今の桃奈は、昔陽南に読んでもらった(そしてあたしが彼女に読んであげた)絵本の眠り続けるお姫様ようだ。美しいというよりは可憐だけど。そしてどこか儚い。
するとあたしはその儚さがとても怖く思えて来た。ちょっとの衝撃で壊れてしまいそうで、彼女を失ってしまいそうで。
そう思うと頬から逃げるように手を離す。彼女の温もりが薄れていくその感覚はまるで彼女自身があたしから離れてしまうようで、何も出来ない自分に対し気が付けばその手を力強く握り締めていた。
それから持ってきた花を入れ替えたり、話しかけたりしていると、突然――病室のドアが強く開いた。一瞬、看護師さんかと思ったが開け方が妙に雑だったからその可能性はすぐに消えていく。それと同時に誰かという疑問が浮かぶが、それもすぐに消えた。
「桃奈!」
慌てた様子で病室に入って来たのは、姉の陽南。アタッシュケースを手に持っているところを見れば空港から直接来たんだろう。来るとは聞いていたけど予定じゃ明日のはず。
「桃奈ぁ~。大丈夫なの?」
アタッシュケースを雑に手放した陽南はあたしとは反対側に行き、桃奈の両頬に愛おしそうに触れる。その表情は眉間に皺を寄せ不安と悲感が混じり合っている様子だった。
「来るのは明日って言ってなかった?」
あたしの言葉に顔を上げた陽南の眉間から皺は消えていたが依然と泣き出しそうそうだった。
「無理やり最低限の仕事は終わらせて来たの」
そう答えながらぐるっとベッドを回りあたしの目の前まで足を運ぶ陽南。
「久しぶりね。蓮」
満面ではなかったが笑みを浮かべた陽南はあたしをそっと抱きしめてくれた。懐古の情をくすぐる温もりと香りがあたしを包み込む。
少し厳しいけどいつでも優しくて頼りになる大好きな姉。
「すぐに返事出来なくてごめんね」
海外に行ってしまってからは中々会えてなかった姉が目の前にいる。それを改めて感じると胸にあった色々なモノが溶けていき少し楽になった気がした。同時に溶け出したそれがあたしの目へ込み上げると一雫だけ頬を流れていゆく。
そして応えるようにあたしも姉を抱き締め返した。
「ううん。仕事忙しいんでしょ? 仕方ないよ」
まだ名残惜しかったが陽南はあたしから離れると両腕に手を伸ばしながら顔を見つめる。
そして今まで幾度となく安心させてくれた笑みを浮かべあたしの涙を優しく拭った。
「一人で不安だっだわね」
言葉の後にポケットから取り出したハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう」
「――改めて何があったか聞かせくれる?」
「うん」
そしてあたしはあの日の出来事を話した。桃奈と久しぶりに会って一緒に出掛けたこと。映画を観てお昼を食べたこと。買い物をして色々なお店を回っている時に事故にあったこと。その瞬間、手を伸ばしたが届かなかったこと。全部話した。
あの時、手が届いていれば……。何度そう考えただろう。何度その後悔の渦に呑まれただろうか。悔いても悔やみきれない。気が付けば意味もないのに下唇を噛み締めていた。
「届かなかった。あたしの――」
「それは違う」
何を言うのかお見通しだったのか陽南はあたしの言葉を遮ってまた抱き締めてくれた。
「蓮は何も悪くない」
胸に顔を埋めるあたしの頭を撫でてくれるその手の優しさはあの頃と同じで、子どもの頃に戻ったような気持ちになった。だからかまた涙が溢れる。
それから陽南はあたしの気が済むまで抱き締め頭を撫でてくれた。
こういう風に甘えるのはいつぶりだろう。昔のようで少し嬉しい。
だけどずっとそうしている訳にもいかずゆっくりと離れた。
「ありがとう」
「大丈夫?」
「うん」
その後、傍の椅子に腰かけると話をした。仕事の事とかあっちの生活はどうかとか。色々。
「どれぐらいいられるの?」
「五日。ここでも仕事しながらだけどね。あっ、そうだ。その間、蓮のとこに泊まっていい?」
「もちろん。いいよ」
「ありがとう」
それからもあたしは毎日毎日、桃奈の所に来ては話しかけたりした。日本にいた五日間は陽南も一緒に。
だけど何度病室のドアを開けてもそこにある光景は変わらない。彼女は眠り続けたまま。先生が言うには身体的には問題がなく、いつ目を覚ましてもおかしくないらしい。だからこそ原因が分からないのだとか。
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