魔王ル・セポネの部屋を出たカヅチは、肩に箒を担ぎながら廊下を歩いていた。
「さぁて……汐那さんのところに櫛を届けに行かないとな」
歩きながら、カヅチは周囲を見回す。
「……ん?」廊下の隅に、小さな汚れがある。
「……あっ、ここ汚れてる」
カヅチは足を止め、箒を構えた。
シュッ、シュッ、シュッ。
「よし!ピカピカオッケー♪」再び歩き出す。
少し進んだところで……
向こうからオークが歩いてくる。
「よぉ!カヅチ、お疲れさん」
「あっ、オク兄、お疲れ様です……あ、オク兄…」
「ん?どうした?」
「この前、食堂の床に豚汁こぼしてましたよね?」
「……なんで俺だってわかんだよ!?」
「いや、俺が掃除したからですよ…オク兄の足跡が付いてましたよ…」
「おぉっ……すまん……」
「あはは。気をつけてくださいね」
「おう」
◇◇◇
さらに進むと、今度はゴブリンとすれ違う。
「あ、カヅチさん、こんばんは!」
「こんばんは。……あれ?ゴブさん…」
カヅチはゴブリンの足元を見る。
「足に泥ついてますよ」
「えっ?あっ、嘘?」
「大丈夫!ちょっとそのまま待ってください」
シュッ、シュッ。とゴブリンの足を【水拭き】する。
「はい、綺麗になりました☆」
「おぉぉ!ありがとうございます!」
「いえいえ。廊下を汚されると、俺の仕事が増えるので」
「うわっ!その言い方、俺が怒られてる感じになってません!?」
「あはは!そんなことありませんよ。あははっ!」
◇◇◇
さらにその先では、ハーピーが羽を広げて廊下を飛んでいた。
「カヅチー!」
「あっ、ハピさんお疲れ様です」
「今日も掃除してんの〜?」
「はい。係ですからね〜」
「大変だねぇ」
「まあ、慣れました」
「頑張ってねー!」
「はーい。ありがとうございます。あんまり羽落とさないでくださいねー」
◇◇◇
カヅチは魔王城の廊下の真ん中を歩く。
オーク、ゴブリン、ハーピー。その他たくさんの魔族。以前のカヅチなら、敵として剣を向けていたかもしれない者たち。
だが今は……。
「お疲れ様」「また後でな」「頑張ってね!」
そんな言葉を交わしながら、当たり前のように同じ城で暮らしている。カヅチは少しだけ笑った。
「なんか昔より穏やかだなぁ……うん。悪くないな。こういうのも」
◇◇◇
そして、目的の部屋の前に到着する。
そこには、濡れ女、汐那の部屋があった。
コンコンとノックする。
「はい。空いています……」
中から、あのか細い声が聞こえた。
「汐那さん、カヅチです。櫛、買ってきましたよ」
「あっ……どうぞ……!」声が少し弾んだ。
「失礼します」
カヅチは扉を開ける。
すると……カヅチは部屋を見回した。
「……すごいな」
「え?変ですか?」
「いや……変と言うか…」
テーブル。ソファー。椅子。床。座布団。そしてベッド…。
「全部、ビチョビチョに濡れてる……」
「えっ、あっ……恥ずかしい…」
汐那が申し訳なさそうに俯く。
「す、すみません……私、どうしても……濡れてしまって…」
「あはは。いや、汐那さんの部屋ですからね。むしろカサカサだと心配になります」
カヅチは気にせず笑った。
「それより、これ」
買ってきた櫛を差し出す。
「わぁ……!」
汐那の顔がぱっと明るくなる。
「本当にありがとうございます!」
「いえいえ。頼まれてましたから」
「同じ物を買ってきてくださったんですね……」
「えぇ、見つかってよかったです」
汐那は新しい櫛を大事そうに両手で受け取った。
「ありがとうございます……本当に……」
「じゃあ、俺はこれで……」
「あの……!」
「んっ?」とカヅチが振り返る。
「もし、お時間があれば……お茶でも飲んでいきませんか?」
「お茶?」
「はい……。せっかく来ていただいたので……」
カヅチは少し考える。特に急ぐ用事もない。
「じゃあ……少しだけ、お邪魔します」
「はい……!中にどうぞ」
汐那が嬉しそうに頷いた。
そして……
「どうぞ……」
カヅチの目の前に、びっしょりと濡れた座布団が置かれた。
「あの〜……これ、濡れてますよね?」
「あっ、す、すみません……!」
汐那は慌てて別のものを取り出す。
「こ、これを敷いてください……!」
差し出されたのは四角いビニールだった。
「あはは。ありがとう」
カヅチは濡れ座布団にビニールを敷き、その上に座った。
「では……どうぞ」
湯気の立つお茶が出される。
「いただきます」
二人は向かい合って、お茶を飲み始めた。
「街は……どうでしたか?」
「久しぶりだったので楽しかったですよ」
「そうですか……」
「昔、よく行ってた場所だったんですけど、今は見るところが全然変わってて」
「へぇ、どんなところがですか?」
「武器屋に入っても、血が付いたら掃除が大変そうだな、とか。防具屋でも、隙間に泥が入りそうだな、とか。魔具屋では、箒の材料になるものばっかり探してました」
子供の様に話すカヅチを見て汐那が小さく笑う。
「ふふ…カヅチさん、本当に箒がお好きなんですね」
「えっ?好きというか……」
カヅチは肩に担いでいる箒を見る。
「こいつだけが、今の俺の相棒みたいなもんですから」
「……なんか素敵ですね」
「そうですか?」
「はい……とても」
二人の間に穏やかな時間が流れる。
しばらく世間話をしたあと、カヅチはふと思い出した。
「あっ!」
「えっ?どうしました?」
「これ返すの忘れてました」
ゴソゴソと懐から取り出したのは、折れた古い櫛。
「あ……」
汐那はそれを見つめた。
「これ、どうしましょう?」
汐那は少し考える。
「ん〜、私には、もう新しい櫛がありますので……カヅチさんの方で、捨ててもらってもいいでしょうか?」
汐那はにっこりと微笑んだ。
「え?これ……貰ってもいいんですか?」
カヅチの目が、櫛へ向く。
「はい……もちろん。私は新しいのがありますから」
「ありがとうございます!」
カヅチは嬉しそうに櫛を受け取った。
「じゃあ、大事に使いますね」
「……え?」
「いや、箒の素材として」
「あ……なるほど……」
汐那は少しだけ苦笑した。
「では、今日はありがとうございました。またなんかあったら声かけてください。」
「はい。こちらこそ……」
カヅチは部屋を出る。廊下を歩きながら、手の中の折れた櫛を見つめる。
「……これ、絶対、箒の材料になりそうだな」
そして、自分の部屋へ戻る。
◇◇◇
カヅチの部屋。机の上に折れた櫛を置く。
「よし……」箒を立て、櫛へ手をかざす。
「【分解】」パァァァ……!
櫛が光へと変わっていく。細かな粒子となった光が、箒へ吸い込まれていく。
そして……【追加効果・高圧洗浄】
「……おっし!んっ?……高圧洗浄?」
カヅチは目を見開いた。次の瞬間、拳を突き上げる。
「よっしゃぁぁぁ!!やっぱり何か付いた!!」
嬉しそうに箒を抱きしめる。
「ラッキー!これで水を使った掃除も楽になるぞ!いやぁ……素材を集めれば、この箒どんどん強くなるんだなぁ……」
カヅチが喜びに浸っているその時……。
バキィィィィッ!!その音にカヅチの動きが止まる。
ゆっくりと振り返る。壊れた扉。
その扉を持ったまま気まずそうに立っているセポネ。
「「…………」」二人見合ったままの数秒の沈黙。
「おい……やったな?」カヅチは真顔で言った。
「…………」セポネは視線を逸らした。
「ちゃんと俺を見ろ…またやったな?」
「いや……すまない。妾は今はそれしか言えない。」
「………言えないじゃない…やったな?」
「その、ちょっと力が……」
「力が、じゃないんですよ!」
セポネは目を合わせずそっと壊れた扉を壁へ立てかける。そして開き直り……
「まあまあ、そんなことよりじゃ!」
「そんなことよりじゃないですよ!」
「しつこいのぉ。しつこい男はモテないんじゃぞ! 明日、南の四天王、リゼルカのところへ行くぞ」
「………南の四天王って…?それって……俺が通った場所ですよね?」カヅチの表情が変わった
「ああ、そうだ」セポネは腕を組む。
「お主が以前、めちゃくちゃにした場所じゃ」
「……はい。その通りです……心を込めて直させていただきます」
カヅチはゆっくり頭を下げる。
「ふふふ。うむ!頼んだぞ!……」
だが、セポネの表情は晴れない。
「……それもなんじゃが…… リゼルカの方も……深刻な状況なんじゃ。詳しくは明日着いたら話す。」
セポネは、珍しく真剣な顔をしていた。
いつもなら、深刻な話の最中でも大げさな身振りや冗談を交えるセポネが、今はそれをしなかった。
セポネの顔を見てカヅチの顔から笑みが消える。そして魔王城に静かな沈黙が落ちた。
明日、カヅチはかつて自分が破壊した場所へ、再び向かうことになる。
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