魔王城・カヅチの部屋➖➖
「……すぅ……すぅ……」
ベッドの上で、カヅチは気持ちよさそうに眠っていた。
「……ん……」むにゃむにゃと寝返りを打つ。
その時……ぞわぁぁぁ……。
部屋の空気が、一瞬で禍々しいものへと変わった。
「…………うん?」カヅチの目がゆっくり開く。
そして、隣を見る。「え……なにごと…」
そこには優しい微笑みを浮かべ、まるで我が子を見るようにベッドの中に釈迦寝で添い寝しているセポネが居た。いつ部屋に入ったのか。いつベッドに潜り込んだのか。
「……カヅチ。おはよう」
「お……おはようございます…」
「随分とリラックスして寝ておるのぉ……」
セポネはニッコリと笑う。
「だが…八回は殺せたぞ……☆」
「……八回…ですか…あの~…」
カヅチは数秒、固まった。
「なんじゃ?」
「俺に……プライベートってありますか?」
「ふふ!ない!」セポネは満面の笑み。
「えぇぇぇっ!即答!?てか、何で体操着?」
「黙ってさっさと用意せい!今日中に終わらんぞ!」
「はいはい……」
「はいは一回じゃっ!」
カヅチは渋々ベッドから起き上がり、布団を畳む。
着替えを済ませると、セポネと共に魔王城の外へ出た。
◇◇◇
魔王城の前➖➖
「ん~~~~っ!」
体操着のセポネが大きく身体を伸ばす。
カヅチは、その姿をじっと見る。
屈伸。前屈。肩回し。そして、アキレス腱伸ばし。入念な準備体操をしている。
「……魔王様?」
「ん?なんじゃ?」
「……なんで準備体操してるんです?」
「はぁ?決まっておるじゃろ?」
セポネはアキレス腱をぐっと伸ばしながら答える。
「走るからじゃ!カヅチよ。お主もアキレスを伸ばしておかんと……」
ル・セポネはゆっくりとカヅチに顔を向けて笑う。
「パーンッとアキレスさんが逝くぞ……?」
「おいおい……まさか」
「あははっ!妾は最近、運動不足じゃからな!今日は南の四天王、リゼルカの城まで走るぞ!」
ル・セポネは豪快に笑い、準備体操を終えると、実に爽やかな笑顔を浮かべた。
まるで近所の公園まで散歩するかのような口ぶりだ。目的地までの距離を考えれば、カヅチにとっては笑顔になれる要素など一つもなかった。
「えっ!?嫌だ…。転移魔法陣出してよ!」
カヅチの顔が引きつる。
「わがまま言うな!なんでお主はいつもそうわがままいうのじゃ!」
「いやいや!わがままとかじゃないでしょっ!転移魔法陣あるじゃん!」
「ダメだ。楽すると癖になる。妾が走ると言ったら走るんじゃ!」
「魔王の移動手段が徒歩ってどういうこと!?魔法陣とかから出て来るから魔王なんじゃないの!?」
ル・セポネは腕を組み、ニヤリと笑った。
「騒ぐなっ!ならば……妾に勝てたら、褒美をやるぞい」
「……褒美?エロいのはいらないですよ…。」
「なっ、少しは欲しがれ…。なら、魔族に伝わる、ちょっとした武器をやろう☆」
「………本当にいいんですね?」
カヅチの目の色が変わった。
「おう!ちゃんとやるぞい……勝てたらな☆」
カヅチは箒を肩に担ぎ直す。
「俺、これでも勇者だった頃は……」
「スピードを評価されてた方なんですよ…」
カヅチ、ニヤリ。セポネも笑う。
「ほう……それは楽しみじゃのう!ならば本気で来い!お主が負けたら妾とトレーニングじゃ!」
カヅチの顔が引きつった。
「あはは……それは絶対勝たなきゃ……!」
◇◇◇
「よーい……」
二人が並んで立つ。
カヅチは腰を落とし、セポネは前を見る。
カヅチは足元を確かめ、走り出す方向へ視線を向けた。相手は魔王。まともに勝てる保証などない。
それでも、速度なら勝機はある。そう考えた自分を、後で後悔することになるとは、この時はまだ知らなかった。
「「…………」」「よーい……」
そして……ル・セポネの身体が、わずかに沈む。
「……ん?」「ドンッ!!」
その言葉と同時に……バリッッ!!ダッ!!
「はぁっ!?」
セポネの姿が、一瞬で消えた。
「ちょっ!?おい!!」
慌ててカヅチも走り出す。
「きったねぇ!!マジできったねぇって!!」
二人は森の中の木々を躱しながら高速で駆け抜ける。
「おいっ!ズル魔王!バカ!!うんこ!!死ね!!」
「……お主」
「うわっ!?」
いつの間にか、セポネがカヅチの隣を走っていた。
「今、妾の悪口言ったか?」
「い、いえ……何も……」
「そうか?」
「はい。何も言ってません」
カヅチは目を逸らし前を向く。
「…………あっ!?」
「なんじゃ?」
「あそこ!」カヅチが指を差す。
「魔王様!重そうなダンベル落ちてますよ!」
「何っ!?」
セポネが反射的に横を見る。
その瞬間……カヅチが加速した。
「へへっ!筋肉バカめっ!」
セポネを追い抜き、引き離していく。
「お返しだよ!筋肉バカ魔王めっ!」
カヅチの背中を見て、ル・セポネは一瞬無言になる。
そして……「ふふ、面白いやつめ…」と呟いた。
次の瞬間。ル・セポネの太ももがムキムキと膨らんだ。シュンッ!バリバリッッッ!!空気を切り裂く音がした。
「えっ?」
ル・セポネが、またカヅチの隣に並んでいた。
「なっ!?なんでっ!?」
ペシンッ!ル・セポネがカヅチの頭を軽く叩く。
「痛っ!首折れるってっ!」
「ふぅ、先に行っておるぞ」
「えっ……」
「転ばないように気をつけるんじゃぞ…」
「いや、ちょっと待……」
その瞬間。ル・セポネの太ももがさらに膨らんだ。
「……え?丸太?」ドゴォォォォン!!
まるで雷が落ちたかのような轟音。
木々が一斉に折られるのを嫌がる様に避け、揺れる。ル・セポネの姿は、あっという間に遠ざかっていった。
カヅチは呆然と立ち尽くす。
「……音速なの……?やっぱ魔王って化け物すぎ……」
涙目で小さく呟いた。
◇◇◇
しばらくして……南の四天王の城。
カヅチが息を切らしながら到着する。
「はぁ……はぁ……」膝に手をつく。
「……つ、着いた……遠すぎるって…」
顔を上げると、そこにはすでにル・セポネがいた。
しかも……スクワットをしている。
「ふんっ!ふんっ!11,002回、11,003回…」
その光景を見てカヅチは絶望した。
「カヅチよ…」
「……はい」
「今日から夜は……妾の部屋で待っておれ」
ル・セポネがスクワットを続けながら言う。
「……はぁ……はぁ……はい……」
カヅチは力なく返事をする。
(くっそ……何だよ……その死刑宣告みたいな部屋への誘い……普通、女性の部屋に誘われたらワクワクするもんじゃないのかよ…絶望感しか湧かないんだよ…)
そして二人は無言で並んで、南の四天王の城を見る。
「「…………」」
城壁は崩れ、建物の一部は倒壊している。
周囲にも、かつての戦闘の爪痕が生々しく残っていた。
崩れた石材には鋭い亀裂が走り、壁面には大きな衝撃を受けた跡が残っている。
かつては敵を倒すため、目の前の障害を壊すことに迷いはなかった。だが、今そこにあるのは、勝利の証ではなく、誰かが暮らしていた場所の傷跡だった。カヅチはしばらく黙って眺める。
「…………酷いことするな……」
ル・セポネがゆっくりカヅチを見る。
「……お主たちじゃ……これをやったのは…」
「……はい…そうでした…」
カヅチは静かに箒を握り直した。
かつて勇者として破壊した場所。
今度は……清掃員として、ここを直す。
ル・セポネは、そんなカヅチの横顔を見つめていた。そして二人は、崩れた城門へと歩き出す。
南の四天王……リゼルカ。
その地で、カヅチはかつての自分が残した傷跡と、再び向き合うことになる。
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