「“クエレブレの盾”、ですか……?」
「そう、それを探してほしいんだ」
探すための手がかりは古い地図と、小さなメモ用紙一枚。家宝だとテトはいうけれど、それを見たことがない。つまり“盾”と呼んでいるそれが、本当に武具の盾なのかすら怪しいわけだ。
悪態をつかないように、ぐっと唇を結ぶ。足元のノノンはしつこいカイから逃げて窓辺に行き、カイもそれを追いかけてそばから離れていった。必要な情報を机上に並べたレナは、テトの背後にひかえ静かにしている。
ミラの反応を観察しているらしいテトは、穏やかな調子で「詳細にいこうか」と続けた。
「“クエレブレの盾”というのは、話によるとすごいものらしいんだ」
曰く。その盾は熱い炎に耐え、鋭い槍をはじき、重たい岩でもつぶれない、不可侵の守護の盾である。血族で受け継ぎ、大切に大切に保管していたのだが――。
「それを、妖精が隠してしまったらしいんだ」
「妖精が、隠す」
「盾自体が、妖精にゆかりあるものらしい」
おかげで今、テトの家は大変なことになっているのだとか。
それはそうか。家宝と呼び大切にしていたものが、どこかに隠されてしまったのだから。
「けれど、家中をひっくり返したおかげで手がかりが見つかった」
「それがこの地図と、メモ……ですか」
テトがうなずく。
視界の端で、窓辺のノノンを抱き上げようと格闘しているカイが見える。
「邸宅も街館も見て回ったけれど、それだと分かりそうなものはほかにはなにも。そうだよね、レナ」
「ええ。テトに報告できるようなものは、特には」
「まなーはうす、たうんはうす……」
レナがはっきり従者だと名乗った時点で気づくべきだった。
テトはきっと、良家の子息なのだろう。貴族か商家か、そこまでは分からないけど。……どちらにせよ、厄介ごとの予感がする。
「ミラ? どうしたの」
「いえ、なんでもない……です」
「本当? なら、話を続けさせてもらうね」
テトがそのまま、古い地図を差し出した。あまりに古く、しなびている。
彼の白い指先が、かすれた国境線をなぞりながら示していく。それを目で追ううちに、ミラはかすかに違和感を覚えた。国境線が、違う気がする。少なくとも、見慣れた形をしていないのは確かだ。……毎日地図と挨拶をする仲じゃないから、確信をもって言えるほどではないが、なにかが変だ。
「これ、今と各国の境が違うんだ。ここや、……ここもそうだね」
「ああ、本当に違ったのね。変だと思った」
「あ、」テトの表情がほころぶ。「そっちが本当のミラ? 仕事中のかっちりした言葉遣いも素敵だったけど、僕は今の、気取らない感じ好きだな」
予想外の言葉に地図から視線がはじかれ、テトを見る。涼やかな碧の目を愛おしげにゆるめて、やわらかい顔をしている。無機質できれいな顔が、ただ穏やかに笑っている。それだけで、なにか、変な気が起きそうだ。
窓のほうから「いて、」と小さな声が上がった。指先を押さえているカイと、毛を逆立てているノノンがいる。あれは多分、噛まれたんだろうな。革手袋をつけているからカイが怪我しないだろうとみて、ノノンが思い切り噛み付いたんだろう。
カイとノノンのおかげで、先程わいてきたはずの気持ちがどこかに行った。
――きっと、彼の手練手管ってやつなんだろうな。
顔がいいことを自覚している彼が、自分に都合のいいように交渉を進める。そのための笑みなのだろう。
「えっと、……」やわらかかった笑みが、少し崩れた。「話をつづけるね」
白い指が、また地図の上をすべる。そして、海岸線のある一点をトントンと示した。そこには小さくバツ印が書いてあった。
「これは?」
「隠し場所のヒントじゃないかなと思ってる。ちょうどこのあたりにも領地があるんだ」
「りょうち」ということは、テトは貴族だろうか。「様子は、見に行ったんですか?」
「もちろん。直接行ってきたよ。ただ……ここにあるのは、大きな森ばかりなんだ」
なにもないところなんだ。と、困ったようにテトはつぶやいた。
「それで、こっちが地図と一緒に保管されていたメモだ」
入れ替わるように差し出されたメモ用紙は、手帳を千切りとったようなものだ。乱雑で、左の長辺がざりざりに破れていて、罫線を無視して、大きく、たった一言だけ記してある。
“歌声に耳をすませろ”
「こ、これだけ……?」
「うん、そう。これだけ」
「ほんとのほんとに、これだけ?」
「そうだよ。ほんとの本当にこれだけ。だから困っているんだ」
「し、」んじられない。
慌てて言葉を飲み込む。喉に変な力が入って、ちょっと痛くなった。完全に流し込むためにも、冷え切ったハーブティーを一気に飲み干す。せっかくのお茶は、香りがすっかり飛んでいた。
憂うようなレナの視線がささくれだった気持ちを刺激する。カイも、いつのまにかミラの行動を観察するようにじぃと見つめていた。
「あのね、テト」
言葉を選ぶ。口調を整える余裕はない。
「相談所にいて妖精が視えるからって、私たちは魔法使いじゃないの。だから、なんでも分かるわけじゃない」
「それはもちろん」
なにを当たり前なことをとでも言いたげに首を傾げたテトは「それで?」と続きをうながす。
「これだけの手がかりじゃ無理よ。私にできることはなにもないわ」
「本当に?」するりと、ミラの手を包む。「ミラだけが頼りなんだ。たいていの相談所は閉じている。妖精に関する資料もない。――君が持つ、宝石の瞳に頼りたいんだよ。知恵者に助力を乞いたいんだ」
まるで雨にうたれて弱った子犬だ。揺れて不安そうな瞳をこちらにむけないでほしい。
手を振り払うことも、視線を外すこともできない。きっとこれも貴族の交渉術だ。手練手管だ。分かっていても、それでも無下に扱えない。
「少しでいいんだ。“クエレブレの盾”という名に覚えはない? 歌声に心当たりは? 地図の印周辺で有名な逸話があるとか、本当になんでもいいんだ」
「そりゃ、あるにはあるけれど……」
「だったら、」
大切な宝物を扱うようにミラの手を両手で包んで、テトは「助けてほしい」と心を揺さぶってくる。
もう一度「お願いだよ」とつぶやく必死な声に、心が揺さぶられる。そのとき、ミラの膝にノノンが飛び乗った。おひさまをたっぷり浴びて暖かくなった彼が、ミラを見上げてンナと一声鳴く。咎めるような声に、崩れかけた理性が戻る。
これは仕事だ。しかも相談所を継いでからはじめての仕事である。良心で引き受けても、達成しなければ給金がもらえないのだ。安請け合いをしてはいけない。慈善活動をしているわけじゃないのだから、きちんとできないのだと断らなければならない。それだって、プロの在り方だ。
「やっぱりさァ」
場違いなほどに能天気で気が抜ける声で、カイが言う。ちょうど窓から差し込む光で、逆光になった彼の表情は見えない。
「妖精なんていねえんじゃねえの」
「なんですって……?」
「聞こえなかった? じゃあもう一回言ってやるよ。妖精なんていないし、ここは詐欺師の店だろって言ってんの」
「内容増えてるじゃない!」
「なんだ、ちゃんと聞こえてんじゃん」
「カイ、やめなさい。テトの心証を考えなさい」
「いいや、やめないね。止めてくれるなよ」
レナの静止を無視して、からかうカイの言葉が続く。面白がるような軽い響きなのに、なぜだろう。背中が寒くなるほどに、怖い。
膝のノノンが牙をむいて威嚇する。テトは、美しく微笑むだけでなにもしない。
「見えないものをいるって言い続けるだけで金になる商売だった。けどここにきて、実在する家宝を見つけろなんて言われて困ってんだろ。ごまかせないから、言葉を濁すんだ」
「違うわ、そんなことない」
「できないならそう言えば? 今まで嘘をついてきました、妖精なんて見えないしそんなものは存在しません、ごめんなさーいってさ。今なら指差して笑うだけで帰ってやるよ」
カイが笑う。獰猛で残忍に笑う。獲物をいたぶり遊ぶようにミラを見据えて、逃がさないと体現するように近づいてきて、テーブルに手を突き、見下ろしてくる。
背中をつたっていた寒さは、いつのまにか失せていた。代わりにわいてきたのは、ふつふつと煮えるような感情。お腹の底をからめりめりと火柱がのぼるようだ。
衝動に任せて立ち上がり、朝焼けの紫を睨み返す。膝からノノンが転がり落ちた。ムカつくカイの黒い髪を引っ張って、無理やり腰を折らせた。彼のつむじが見える。
「おあいにくさま。私に断ってほしいみたいだけど、依頼は受けるつもりなの」
ノノンが責めるように声をあげた。
カイはかすかに眉を顰め、レナは二人の衝突を止めようとしているようだが口がはさめずにいる。
「だってここは相談所で、私はその店主。妖精のことでお困りなら、この瞳と知恵を貸すのが私の仕事。助けを求める声があって、どうして断らなきゃならないの?」
「へえ、」ゆるりとカイがまばたく。「受けるんだ」
「もちろん」
いたずらをした子どもみたいにニッと笑ったカイは「好都合だ」とミラの手を振り払った。ノノンがミラのふくらはぎを何度も肉球で殴りつけてくる。
そこでようやく気付いたのだ。自分が、都合よく煽られて操られたことに。
油が切れたブリキのおもちゃのように、ぎこちなくテトを見る。彼はきれいな顔に花の笑顔を浮かべた。
「すごく頼もしいよ、ありがとうミラ」
もしかして、判断を間違えただろうか。
生ぬるい視線をむけるレナに、どうしようもなくすがりたくなった。
この作品が気に入ったら

コメント
まだコメントはありません。
会員登録(無料)かログインをすると、コメントを書けます。