下着を含めた数日分の着替え。いくばくかのお金。筆記用具と、……下着類は念のため多めに用意したほうがいいのだろうか? 洗面用具も必要なはずだ。心の安寧のために、お気に入りの本も持っていきたい。でもそうすると、衣類が多い気がする。
大きなカバンに荷物をいれて、出す。代わりに別のものをいれて首をかしげる。……ミラは、諦めるようにため息をついた。
「だめ。旅行もしたことないのに。なにが必要なのか分からないわ……」
テトが持ち込んだ依頼を引き受けた途端、彼は前金を押し付けたうえで「それじゃあすぐに現地に移動しよう」と笑顔で言い放った。
目がくらむような金額。「盾が見つけられたら、成功報酬はその倍くらいだよ」の発言に驚き。まだお金を払うの? と呆けているうちに、出立の用意をすることになった。
周囲に散らかる物品たちに、ミラは再び小さく息を吐く。
「まーた派手にやってんな」
「ノノン……」
転がる化粧品を軽々避けて、ブルーの猫が悠々と歩く。ノノンはカバンの中身を除いて「本は置いてけ、重いぞ」と告げた。
ゆらり、彼のしっぽが揺れている。かなり不機嫌のようだ。お得意の皮肉も欠品のようで、むすっと香箱座りをした。
言われた通りに本を抜く。できた隙間になにをいれようかと考えていたときだ。コンコンコンとノックが響く。不思議に思いつつ応えると「失礼します」と遠慮がちにレナが顔を覗かせた。
「時間がかかっているようですが、大丈夫ですか?」
「ご、ごめんなさいっ。遠くへのおでかけに、慣れてなくって」
なにを持ち出せばいいのか分からない。たくさん荷物があっても困るだろうけど、足りないものに気づいても悲しくなりそうでいやだ。――そう素直に伝えれば、レナはなるほどとうなずいた。
「それなら、お手伝いしましょうか」
「えっ!? そんな、だめですよ! お客様に手伝ってもらうなんて、よくないです!」
「でしたら、友人になりましょう。困っている友人に手を貸すのは、普通のことでしょう」
「友人……? レナさんと、私が?」
「お嫌ですか?」
「そんなわけない、嫌じゃないわ! 違うの、逆なの。とっても嬉しいの」
――だって妖精以外の友人なんて、はじめてだから。
勢いのままに告げそうになった言葉を飲み込む。レナは不思議そうにしていたけれど、ミラに話す気がないと察すると「失礼しますね」と部屋に入って散乱した物を避けながら、隣に座った。それと入れ替わるように、ノノンがするりと部屋から出て行く。彼のしっぽは、いまだに不機嫌で揺れていた。
「お話のついでに、お聞きしたいことがあるのですけれど」
持ち出す予定のカバンと今入っている中身を確認したレナは、手早くそれらを分けていく。迷いのない動きに、彼女が旅慣れていることはすぐに分かった。
「ミス・カーティス……というと、友人相手には固いですね。ミラから見たふたりは、どんな印象でしたか?」
「ふたりというと……」
「テトと、カイです」
瞬間的にミラの表情がゆがむ。取り繕うようにうつむくけれど、レナは苦く笑って「無理をしないで」と気遣ってくれたので、隠すのをやめる。
「控えめに言うなら、あまりいい印象はないわ」
「では、正直に言うなら?」
「最っ悪!」
くすくすとレナが笑う。砂糖の瞳がとろけるようだ。
それがなんだか許しを得られたように思えたから。ミラの口は“友人とのおしゃべり”にはしゃいで、すらすらと言葉が続いた。
カイはとても意地悪だ。どうして相談所の店主を相手に、妖精を否定するのだろう。妖精がいると信じているから、わざわざ依頼しにきたのではないのか。
笑ってなにもしないテトもテトだ。友達が誰かにひどいことを言ったら、それをとめるのが普通ではないのか。誰かを傷つけるかもしれない言葉を笑って見ているのは、少しおかしく感じる。
「ご立腹のようで」
「当たり前じゃない! とっても頭にきてるの。と、友達の主人とその関係者だとは分かっているけど、嫌なものは嫌だったの」
友達。慣れない言葉に、少しだけ唇が引っかかる。ちょっと気恥ずかしい。けれど同じくらいうれしくて、レナの様子をちらと見る。――少なくとも、大きく気分を害している様子はない。
「あのふたりは、笑えるくらいにひねくれていますから」
ある程度の仕分けが終わったらしい。レナが姿勢を正した。
「テトの家は今、家宝がなくなったことで内輪揉めがひどいんです。とても荒れていて、……そうは見えなくても、彼の内心は穏やかではないのかもしれません」
妖精が隠したなんて、誰も信じていないのだという。なぜならそれは御伽の存在で、この世のどこにもいるはずがないから。まともに取り合う者はなく、血縁の誰かが意図的に隠し持っているのではないかと疑心暗鬼な状態が続いているらしい。
「けど、テトは違った」砂糖の瞳が、ペリドットとかち合う。「手がかりを信じて、妖精を信じて、リンダ様……あなたのおばあさまなら力になってくれるかもしれないと信じた」
話を聞きながら、仕分けてもらった荷物をカバンに詰めていく。当初ミラが用意していたときよりもぐっと少なくなって、だいぶスカスカだ。
「けどカイはきっと、……いいえ、私も、妖精が実在しているとは思えないんです」
「レナも、……否定するの?」
「いいえ」首を振って、曖昧に笑う。「否定する以前の問題だったんです」
ガツン。衝撃。
御伽噺を史実か確かめないのと同じで、神の実在を確かめないのと同じだ。――そう言われた気がした。
それは、いるわけがないとバカにされるよりもずっと、胸がつらい。きりりと締め上げられる心地がする。
カバンに手を入れたまま呆然とするミラに気づかないふりをしたレナは、あたりに転がる小物たちを拾い集めてまとめはじめた。
「テトが信じると決めたから、余計にカイの態度がきついのかもしれませんね」
確かにカイは、ミラに敵対していると言っていいほどに苛烈だった。排斥して、懐疑の目をむけて、詐欺師だと断罪した。信じる余地もないというのなら、それは、カイにとっては当たり前のことなのかもしれない。
――なら、テトは? テトは、妖精に対してなにを思っているのだろう。
「どうして?」
こぼれた言葉は、小さかった。ミラは迷子のように、カバンの口を閉じる。
「妖精のことを信じているから、頼りにしてくれたんじゃないの?」
「信じているから疑うのではないでしょうか。信じたいから、疑うんです」
「……難しいわ」
信じたいのなら、信じればいい。目の前の出来事を受け入れて、そうだと認めるだけでいい。ただ、それだけのはずなのに。どうしてわざわざ難しいことをするのだろう。
「レナも、まだ妖精のことを疑ってる?」
「そうですね……」
不安をあらわにするミラに対して、レナはやわらかく笑む。優しくて、あたたかいものだ。
「友人であるあなたにとって大切な方々だというのなら、ぜひ一度、挨拶をしてみたいものです」
もやもやしていた気持ちが、ぱぁっと晴れる。
散らかっていた部屋も、レナのおかげで整理された。荷物だって、彼女のおかげでまとめられた。
――ああ、なにも憂うことなんてない。
ミラは頬をゆるめて、喜色をいっぱいに広げながら、レナの手を取った。ぎゅっと包むようにその手を握る。
「たとえレナに視えないとしても、絶対にみんなのことを紹介するわ。約束する!」
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