日曜日の昼前。名梧屋の街中から少し離れたところにある喫茶店。休日らしいゆったりとした雰囲気の店内、窓際の席で、黒い陣羽織姿のマキとアケルがこの店の特徴的な赤い椅子に向かい合って座っている。
マキの前には樽を模した容器に入ったアイスコーヒー、アケルの前には湯気の立つ紅茶のカップ。そして二人の間には、丸いデニッシュパンの上にソフトクリームが乗った、この店名物のスイーツが置かれている。
「これ、写真撮ってもいい?」
アケルがスマートフォンを取り出しながらたずねる。
「好きにしろよ」
マキが面倒そうに答える。アケルはテーブルの上を軽く整えるとそれを写真に収めた。
「一昨日、図書館でさ……」
アケルが話しはじめようとした、その時だった。二人の腰にある木札が同時に震え、赤い光を放った。緊急連絡を示す色だ。マキとアケルは慌てて木札に手をかざした。
『樟田マキと一条アケルに応援要請。東杣動物園に向かえ』
ホログラムの画面はなく、木札から直接声が響く。その内容と、指示的で固い声に店内の他の客たちの視線が、一斉に二人に注がれる。二人はすぐに立ち上がった。ここからすぐの、大型動物園だ。
「もう行きます。おつりはいりません」
マキが一口だけ水を飲む間に、アケルは財布から千円札を数枚取り出してテーブルに置いた。おそらく十分に足りるだろう。こういうときは払わずに出て行っても別に咎められないのだが、できれば払っておくのがアケルの方針だ。
店の入り口の、花が絡む階段を駆け下りながら、マキが木札に向かって叫ぶ。
「東杣動物園のどこですか?」
『スカイタワーの近くだ』
「それならわかりやすい」
二人は街中を走り始めた。
◆
東杣動物園の駐車場に入るとすぐ、避難する人たちとすれ違うようになった。子どもを抱えて走る大人、慌てた表情で携帯電話で誰かに連絡を取ろうとする若者。そんな人々の波に逆行しながら、マキとアケルは走り続ける。
動物園のシンボルであるスカイタワーが近づくにつれ、戦闘の音が聞こえてきた。金属が激しくぶつかり合う音、人の悲鳴、何かが地面に激突する重い音。
動物園の入り口ゲートは既に破損していた。鉄製の柵が歪み、小屋だったものはただのコンクリートの山に変わっている。その奥で、二人の華守衆が戦闘を続けていた。
敵は蟲が7体。ハチのような姿をした人の大きさほどの蟲が2体、茶色くて平たく、畳一枚くらいありそうな大きさの、ゴキブリのような蟲が5体。数も多く、それぞれが素早い動きで華守衆を翻弄している。
ストレートの長い黒髪をポニーテールにした華守衆が、まだ避難しきれていない民間人を結界で守りながら誘導している。
「あいつ、兼務か……」
マキが感心したように呟く。刀と結界の両方を使えるということだ。アッシュカラーのショートボブの女性華守衆が、ポニーテールの華守衆を護衛しながら蟲と戦っていた。
「一条アケル、樟田マキ、応援入ります!」
アケルが木札と先にいた二人の両方に向かって叫んだ。
「なんか俺たち最近、条件悪い現場ばっかじゃないか?」
マキが刀を抜きながらボヤく。それほど広くない現場、多くの民間人、やっかいな蟲。
「華守衆なんてそんなもんだろ?」
アケルが答えると、マキは軽く肩をすくめた。
「言えてる」
二人は駆けながら刀に花の力を纏わせた。花弁が舞い、マキの刀は薄紫に、アケルの刀は薄紅色に光る。
マキは茶色い蟲に向かって斬りかかろうとしたが、その瞬間
「民間人の避難が先よ!」
ショートボブの女性華守衆がマキを怒鳴りつけた。マキは一瞬顔をしかめたが、アケルは既に民間人の誘導に入っている。
小さな子を抱え、もう一人の子の手を引いて動けなくなっている男性に襲いかかろうとする茶色い蟲。アケルは、親子の前に立ちはだかって、それを防ぎながら、後ろの子どもに優しく声をかける。
「大丈夫、泣かないで。がんばって走ろう」
アケルは全力で蟲を押し返すと、子どもの手を引いて走り出した。子どもの足が動き出したのを見て、そっと手を放す。あとは男性と共に走っていくだろう。
マキとショートボブの女性がアケルとポニーテールの華守衆を守る形で、何とかこの場の民間人を全て遠ざけることができた。避難が完了すると、四人は円陣を組むように背中合わせに立つ。
「これで思う存分戦えるな」
マキがそう言った瞬間、ハチ型の蟲が二体同時に襲いかかってきた。
「……花結」
ポニーテールの華守衆が上空に手をかざす。四人を包むように五枚の花弁をもった青い花の形の半透明の結界が展開された。蟲の攻撃が結界に阻まれ、火花を散らす。
「すごいな……」
アケルが素直な感想を漏らした。ショートボブの女性がほんの一瞬、わが事のように誇らしげな笑みを浮かべて言う。
「その子は樫村シノブ、私は樟田ヒナ」
ひとつうなずいて、シノブとよばれた華守衆が言った。
「人がいる建物はあれとあれです。そっちがジャガー舎」
シノブの指が、坂の上の花に覆われたスカイタワーと背後の白い建物、木立の向こうを差す。
「建物の被害は最小限にするわよ」
ショートボブの女性、ヒナが厳しい口調で言う。マキは面倒そうに舌打ちした。
その時、ゴキブリ型の蟲が突進してきた。ヒナがさっと身をかわす。黒いブラウスの胸元をかざるフリルがふわりと揺れた。そんな優雅にも見える動きとは裏腹に、彼女はすり抜けざまに鋭い一撃で蟲の脚を一本切り落とす。バランスを崩した蟲の動きが鈍くなった。
「人数が増えたから……」
ヒナが花に包まれた白い建物を指差す。
「シノブは建物のそばで守りながら戦って。あなたたちの得意不得意は?」
アケルが何か答える前に、マキが口を開いた。
「アケル、お前は上をやれ。俺は茶色いのをやる」
マキは言うのと同時に飛び出した。姿勢を低くして走り、茶色い蟲を跳ね上げるように斬り上げる。
「それなら、私もいっしょに茶色いのをやるわ」
ヒナは結局、マキの戦闘スタイルを見て判断を下したらしい。ヒナとシノブが同時に飛び出していく。アケルは小さくため息をついてから、ハチ型の蟲に向けて高く跳躍した。空中で一度斬りつけて注意を引き、高度を下げさせる。
地上ではヒナとマキが茶色い蟲を相手に立ち回っている。蟲は時折羽根を広げて低く飛ぼうとするが、ヒナの斬撃が羽根を切り落とし、そこをマキの一撃が切り伏せる。
シノブは建物に向かおうとする蟲や、空に逃げようとする蟲を結界で阻みながら戦っていた。結界を展開し、蟲の進路を塞ぐ高度な技術だ。その上、自分の方に向かってくる蟲への反撃も忘れない。
アケルは空中戦でハチ型蟲を翻弄し、マキとヒナは地上で茶色い蟲を次々と斬り伏せていく。シノブの結界が戦場を管理し、被害を最小限に抑えている。
やがて最後の蟲が黒い煙となって消え去ると、戦場に静寂が戻った。四人は息を整えながら、刀を鞘に収めた。
ヒナが腰の木札に手をかざす。
「東杣動物園の現場、応援者と共に終了しました。対応者への被害はなし、民間被害者なし、建物の損害少々です」
◆
「応援ありがとう。人も蟲も多くて……来てくれて助かったー」
ヒナがマキたちに向かって頭を下げる。手入れが行き届いたアッシュカラーのショートボブ、黒いフリルブラウスと、裾が広がる黒いマーメイドパンツ。耳元には金のピアスが光っている。戦っているときは気づかなかったが、マキたちよりも少しばかり年上のようだ。
アケルがニコリと笑って答える。
「いえいえ。むしろ、あなたの指示が的確で助かりました」
「……」
その言葉に、マキもまたうなずく。ヒナの指示で四人がまとまって動いたのがよかったのだという実感があった。
ヒナはマキたちを見上げると、改めて言った。
「私は樟田ヒナ」
長い髪をポニーテールにし、黒いワイシャツに青いネクタイをした方の華守衆が言う。
「樫村シノブです」
改めて聞くと、その声は明らかに女性のものだった。通った鼻筋に、長いまつげの影がわずかに落ち、美しい陰影を描いている。
「一条アケルです。……ちょうどすぐそこの喫茶店にいたので」
「樟田マキだ」
マキが言うと、ヒナがぱっと顔を輝かせた。
「おー。樟田なかま! マッキーってよんでいい?」
マキが露骨に顔をしかめた。
「とりあえず、建物の中の人たちに安全を知らせようか」
アケルは、マキが何か言うより先にそう提案した。このままではマキがヒナに噛みつきかねないと判断したのだろう。ヒナとシノブが周囲を見回し、互いにうなずき合う。そうしてヒナが言った。
「オッケー。じゃあアケルっちたちは、そっちの白い建物よろしく。私たちはタワーの方行くね」
アケルが、珍しい味のグミでも噛んだような顔をして、マキがニヤリと笑った。
―昼のパン カバンの底で みつかって 消し飛んでいた 昼休みを知る―
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