「マキ!! 人が……」
マキが答えた。
「知ってる! だから急いでるんだ!」
明らかな苛立ちが含まれた声だった。一体目はちょうど消滅するところだったが、二体目、三体目の蟲が、逃げ遅れた作業員に向かって這い寄っていく。
「くそっ……!」
マキは作業員の元へと駆け出した。しかし距離が遠い。このままでは間に合わない。
アケルは誘導していた作業員に向かって言った。
「ごめんなさい、ここから先はご自分で」
そうしてアケルは、マキのほうに向かって走り出す。走りながら、もう一度周囲を確認する。アケルの革靴が強く地面を蹴った。宙を舞ったアケルは、マキたちの上にあったクレーンのフックをつかむ。アケルを受け止めてゆれるフックをまるでターザンのように使い、逃げ遅れた作業員の前に着地した。
恐怖にゆがんでいた作業員の顔が、少しだけほっとする。
アケルは刀を抜き放ち、薄紅色の花弁を刀に纏わせながら、作業員に向かってきていた蟲に向かって切りつけた。最初にマキが蟲に攻撃を加えたときと同様、やわらかい肉がアケルの鋭い斬撃を吸収する。
「……」
ぶよりとした感触が、正直ちょっと、気持ち悪い。けれどもそれでわかった。
「マキ、挟むぞ!」
「……」
マキの視線がアケルに向く。マキはそれだけでアケルの意図を悟ったようだ。アケルに切られた蟲がのたうつ横を駆け抜け、マキがアケルのとなりにやってくる。
うなずき合う一瞬。マキとアケルは阿吽の呼吸で同時に動いた。
「せぇーのっ!」
アケルの声に合わせ、マキは左側から、アケルは右側から。二人の刀がまるで鋏のように交差しながら蟲に叩き込まれる。紫色と薄紅色の光が混じり合い、蟲の身体が両断される。蟲は黒い煙となって消えていった。
「もう一体!!」
最後の一体に、同じ要領で刃を叩きこむマキとアケル。三体目の蟲も黒い煙になって風に消えていった。
静寂が戻る。
「ふぅ……」
アケルが額の汗を拭う。マキも刀を鞘に収めながら、破壊された現場を見回した。
コンクリートミキサー車は大破し、クレーンは使い物にならない。足場は崩れ、資材は散乱している。
「被害、でかいな……」
マキが呟いた。
慎吾が二人の元に歩いてくる。その表情は、明らかに不機嫌だった。
「終わったのか?」
慎吾の冷たい視線が、破壊された現場を見回した後、マキとアケルに向けられた。
「華守衆の仕事は現場の破壊か?」
マキの眉間にシワが寄り、口元がヒクリと動いたが、マキは何とか言葉を飲み込んだ。
「始末に手間取りました。申し訳ありません」
アケルが頭を下げる。二人とも、お互いがバラバラに動いたのが悪かったというのは、さすがにわかっていた。蟲の討伐を先にするマキの案か、避難を優先させるアケルの案か、どちらが正しいかはわからなかったが、少なくとも同じ作戦の元で動くべきだった。マキも悔しそうな顔で頭を下げる。
「効率も悪い、配慮も足りない……もう少し——」
慎吾の苛立った声。
その時だった。
マキとアケルが同時に異様な気配を感じ、上を振り仰いだ。クレーンのアームの先から、ワイヤーをたどりながら大きな影がゆっくりと降りてくる。先ほどの蟲とは違う、巨大な蜘蛛のようなシルエット。
「もう一体か……」
マキが呟いた。
「下がってください」
アケルが慎吾に向かって言いながら、マキと共に刀を抜く。花をまとい、淡く光る二人の刀。
しかし蜘蛛が二人の前に降り立った瞬間、マキとアケルは息を呑んだ。それは確かに蜘蛛の体を持っていた。茶色く、ずんぐりとした身体、短くて太い手足。でっぷりと丸い腹。しかしその頭の部分にあるのは、猿の頭だった。だというのにその眼は、バッタやカマキリのように大きく貼り出し、複眼がギラギラと異様な輝きを放っている。さらに蜘蛛の八本の足のうち二本は毛の生えた猿の手だった。蟲は「虫」のはず。動物の特徴を持つものの存在など、聞いたことはない。
「なんだこれ……」
アケルが呟く。となりではマキが目を見開き、わずかに手を震わせていた。
「マキ?」
アケルが不思議そうに声をかける。マキは華守衆としても、どちらかというと向こう見ずで怖いもの知らずだ。そのマキが震えている。しかもいつものように我先に飛びかからない。
「獣蟲……」
ポツリと呟いたマキの声は、かすれていた。
「けものむし?」
聞き慣れない言葉にアケルは眉をひそめる。
「今度は何だ。何をしている、早く退治しろ」
慎吾の苛立った声が響く。
その瞬間、獣蟲が飛びかかってきた。
風を切る音。マキは咄嗟に刀を横に構える。重たい金属音が響き、マキのハイカットスニーカーが地面に食い込んだ。圧倒的な重量。普通の蟲とは比較にならない力に、マキの腕がきしむ。
マキの顔と獣蟲の顔が至近距離まで近づく。息がかかるほどの距離で、その複眼がマキを見下ろしていた。普通の蟲では決して感じることのない「視線を感じる」という感覚。まるで獲物を品定めするような、冷たく知的な眼差し。マキは己の背筋が凍るのを感じた。
獣蟲の口角が上がる。ニヤリと。
「……!!」
その瞬間、マキの脳裏にある光景がよみがえった。
のびっぱなしの髭、白いものが交じったボサボサ頭の中年男。血まみれで倒れ、やがてその体が花吹雪となって消えていく。
「マキ!」
アケルの叫び声がマキの意識を現実に引き戻した。
激しい衝撃がマキの体を襲う。獣蟲の蜘蛛の足がマキの脇腹を直撃したのだ。マキは刀で受けようとしたが、もう防御は間に合わなかった。体が「く」の字に折れ、宙を舞う。
マキの体が、積み上がっていた鉄骨の山に背中から激突した。鉄の棒が雪崩のように崩れ落ち、マキを打ちつける。
「あ……っく、気をつけろ! 目を合わすな!」
地面に這いつくばり、口の端から血を滲ませながら、マキが必死に叫ぶ。
蜘蛛の糸が空を切り、獣蟲がアケルに向かって跳躍する。巨体が宙を舞い、影がアケルを覆った。
アケルは刀を上段に構えたが、獣蟲の着地の衝撃で地面が割れ、アケルの足元が崩れた。体勢を崩したアケルに、猿の腕が襲いかかる。
「くっ——」
間一髪、刀で受ける。ギリギリと金属がきしむ音。アケル革靴が地面を滑り、後退を余儀なくされる。今までの蟲とは明らかに違う。まずは力が桁違いだ。そしてどことなく知性を感じさせる動き。まるで人間と戦っているような感覚だった。
その背後で、マキは痛む身体を起こし、木札に手をかざした。
「応援を頼む……獣蟲。十三年前のと同じヤツだ」
「!!」
アケルは必死に獣蟲の攻撃をかわしながらも、耳に届いたマキの言葉に目を見開いた。
―よみがえる 昔の夢に とらわれる 大きな穴に 落ちた気がした―
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