「イルヴァ!」
リディアが、飛び込んできた。そのまま体当たりして、魔獣が数歩よろめく。
だけど魔物はすぐに飛び掛かって来た。
リディアは僕の前に立って、剣を横に構える。
爪が、剣へ叩きつけられた。金属の悲鳴が響く。リディアの身体が、ぐんと沈んだ。
「ぐっ……!」
剣が押し下げられて、肩が震える。
爪の一本が刃を滑り、リディアの左腕を走った。袖の裂ける音が、先に聞こえた。
それから、ほんの少し遅れて、赤い口が開く。皮膚が、布みたいにぱっくりと割れていた。肩と肘の間ぐらいに一本の赤い線が伸びている。
その際、一滴が僕の手の甲に飛んだ。
熱い。時間が止まった気がした。音が遠くなる。自分の心臓の音だけが、耳の奥で鳴り響いていた。
リディアの袖がじんわりと赤く染まっていく。
「リディア!」
「大丈夫。浅いから」
リディアは歯を食いしばった。それでも、剣を握った手だけは離さなかった。
「まだ、やれる……!」
剣を押し返そうとする。でも力が足りない。魔物が更に体重をかける。
リディアの膝が、地面に着いた。
怖い。怖くて、身体が動かない。
でも、リディアが目の前で必死に耐えてる。
僕は魔法陣を描こうとした。水でも火でもいい。何かを。何かを出さなければ。
「やめろ!」
声を絞り出した。魔法陣が現れ、水が大きさを増していく。
けれど、リディアの限界の方が早い。間に合わない――。
その時だった。
「そこをどけ!」
横から誰かが飛び込んできた。
剣が魔物の脇腹に突き刺さる。魔物が大きく身を捩った。爪がリディアの剣から外れて、地面に叩きつけられる。
「今だ!」
別の村人が叫んだ。
僕の腕が強く掴まれた。
「えっ」
引っ張られて身体が後ろへよろめく。
振り返ると母さんだった。
「母さん!」
「逃げるわよ!」
「でも、リディアが!」
「リディア!」
母さんが叫ぶ。
リディアも、別の村人に腕を掴まれていた。
「離して!」
「駄目だ!」
「まだ戦える!」
リディアが、魔物から目を離さずに叫ぶ。
けれどその声には恐怖が混じっていた。剣を握る手も、震えている。
「僕だってまだ――」
「戦えるかどうかじゃない!」
母さんが僕を強く引っ張った。
「あなたたちはまだ子どもなの!」
「……!」
何も、言い返せなかった。拳を握り締めたまま、僕は引きずられるしかなかった。
後ろを見る。村人たちが、魔物を相手にしている。剣を突き刺した人が爪を避ける。別の人が横から斬りつける。魔物は傷を負いながらも、身を低くして反撃した。その度に地面が抉れて、怒号が響く。
助けようとした人は、助かった。
それだけは、よかった。
でも僕たちは、何もできなかった。
魔法だって使える。リディアだって剣を振れる。だから、少しくらいなら戦えると思っていた。
違った。本物を前にすると、身体が動かなかった。頭が真っ白になって、魔法陣の形さえ思い出せなかった。練習の時は、相手の動きを読めた。失敗しても、やり直せた。
でもあれは違う。一回の失敗が、そのまま命に届く。
だから怖かった。何もできなかった。もっと早く魔法を使えていれば。どうして、身体が動かなかったんだ。
守るつもりだったのに……。
でも守られたのは、僕の方だった。最後に僕たちを助けたのも、大人たちだった。
母さんに引かれて走りながら、僕は何度も振り返った。リディアも、同じだった。
戦いの音が、少しずつ遠くなっていく。怒鳴り声も、剣のぶつかる音も、魔物の唸りも、細く薄れていった。
僕たちは、避難するしかなかった。
そして、僕たちの知らないところで大人たちは、まだ戦っていた。
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